in rain 前編




「!?」
 思わず立ち上がりかけた伊沢を、高村が怪訝に振り返った。
「伊沢?」
「・・・・・・・いや」
 何でもない。
 そう続けて、伊沢は椅子に腰をかけなおす。高村の向こうに立つ、端正な面差しの少年を伊沢はまともに直視できなかった。
 ――晶・・・・・!
 なぜ、来た。
 そう、叫びたかった。
 ここはお前が来るような所ではないはずだ、と。
「矢野アキラといいます。よろしくお願いします」
 緊張に上ずった声が、伊沢の耳に届く。
 伊沢は、高村に挨拶する少年に目を戻した。
 その目も、その頬も、その唇も。昔の面影そのままに。
 どうして高村が気づかないのか、伊沢には疑問なほどだった。
 短く切られた髪、不安に揺れながらも決意に満ちた瞳。
 それが、胸に痛かった。
 普通の、普通の少女だった彼女。
 本当ならば、こんな世界になど触れることもなく、幸福に生きていくはずの彼女。
 ―――なぜ、来た!!
 その時の伊沢の正直な想いは、腹立ちというのが一番近かったかもしれない。






「羅魏・・・・。高村さん、ホントに連合集めなくていいんすか?」
「ったりメーだろ。相手はせいぜい50人だ」
 高村は、つまらなそうに言う。
 だが、その目は久しぶりの戦争に子供のように昂ぶっていた。
「今夜中にブッ潰す」
「・・・・・・・・・・・・・」
 伊沢は、遠くで取り巻く党の者たちの中に立つアキラを見た。
 彼女が入ってはじめての、本格的な抗争。
 伊沢は、アキラの腕がたつことは分かっている。
 女の身でそこまでの腕になるのに、彼女はどれだけの努力と痛みを自身にかしてきたのか、と思う。
 荒くれが揃う党の中でも、一対一で彼女に勝てる者はそういなかった。
 だが。
 喧嘩は試合ではない。そして、戦争は一対一ではない。
「・・・・・・・・・・・・・・」
「伊沢?」
 高村が、伊沢に声をかける。
 伊沢はただ小さく息をついた。
「高村、命令」
「おうよ」
 言って、高村はニッと笑んだ。腕を振り上げる。
「出るぞ!!」
 党首の声に、党の面々が応える。
 高村が、その後を伊沢が進む。それにあわせるように、集団が割れる。
 アキラを通り過ぎる時、伊沢の目が痛そうに彼女を見たのに気づいた者はいなかった。






「――ッ」
 息が、上がる。
 アキラは、目の前の羅魏の男をなんとか殴り倒した。
 何も、考えられない。ただ、身体で覚えた空手と反射神経だけで動いていた。
 突然、右の視界が陰る。
「!?」
 無意識になぎ払おうとして、慌てて拳を止めた。
 倒れてきたのは、仲間だった。
「おいっ。大丈夫か」
「あ、すまねー」
 一瞬意識を途切れさせただけらしく、アキラにもたれかかった男はすぐに体勢を立て直すと羅魏の方へまた突っ込んでいく。
 アキラが知らず、小さく息をついた時、後頭部で風を切る気配がした。
 反射的に、身体をずらす。それでも、男の振った鉄パイプが肩のあたりをかすっていった。
 倒れる、と思った瞬間何かに抱きとめられる。
 鈍い音とともに、アキラの横を先ほどの鉄パイプの男が吹っ飛んでいく。
「・・・・・・・・・・・」
「っ」
 視界に闇色の――幹部の特攻服。アキラは慌てて、自分を支える腕から身を起こした。
「す、すみません!」
「・・・・・・・・・・」
 アキラは伊沢を見上げる。伊沢はアキラの方を見てはいなかった。
 伊沢はぐいとアキラを背後に押しやった。
 振り下ろされる木刀を、片手でねじり止める。そのままもう片方の拳でその男を後方に吹っ飛ばしてから、伊沢はアキラをちらりと見た。
「集団で戦う時は、・・・・・・・・・仲間と背中合わせで戦え」
「は、はい」
「壁でもいい」
 言いながら、伊沢は向かってくる敵を難なく沈める。アキラは息を整えると、再び羅魏との戦闘に身を投じた。
 後ろに副党首の気配が確かにあって、完全に安全な背中を持つ安心を意識せずに感じていた。
「――相手を沈めるのに余計な力はかけるな」
「え?」
「お前の正確さなら、さほど力を込めなくても顎を狙えば沈む」
 淡々と背中から聞こえる声に、アキラは頷く。
「はい」
「・・・・・・・・・・・・」
 どれだけの、時間が過ぎただろう。
 伊沢の言葉どおりに戦って、アキラはさっきよりは随分とラクに戦えた。自分を鍛えてきたとはいえ、圧倒的に力と持久力は男と違う。しかし、伊沢から教えてもらったやり方なら、彼女の体力でも十分長い時間を戦えた。
「・・・・・・離れる。背後に気をつけろ」
 そう言って、ふい、と副党首は動いた。
 はい、とアキラは声にならない声で応える。
 さすがに、体力の限界だった。腕の感覚がなくなっている。
「・・・・・・・・あ・・・」
 でも、もう終わりそうだ。
 アキラは、周りを見てそう思った。ほとんど羅魏で立っている者はいない。
 とりあえず、彼女の範囲に立っているのは、もうフラフラになった男一人だった。
 アキラはそれを回し蹴りで仕留めて、高村の方を見た。
 高村のほうは、すでに羅魏の幹部たちを倒して豪快に笑っている。
 アキラは、ほっと息をついた。
 

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