1996年度全国水墨画協会研修会レポート


魅力的な画題の付け方画題は絵の通訳

 平成8年12月5日、東京都港区の「AZUR竹芝」13階「飛鳥 西の間」にて研修会が催されました。
当日の講師は、木内彰志先生。演題は、「魅力的な画題のつけ方」でした。約70名の会員の方が参加され、
講演の後は、爆笑もでる楽しい質疑応答があり、なごやかに昼食をして、おみやげをもらってお帰りになりま
した。

【講師プロフィール】
木内 彰志 先生
昭和10年5月4日、千葉県木更津市生まれ。俳人。
「かつらぎ」会員の織本良、「海雲(もずく)」高橋采和、「氷海」秋元不死男らに師事。
昭和38年氷海賞、昭和45年星恋賞、昭和54年狩くらべ賞、昭和59年第30回角川俳句賞、平成3年
「狩」10周年功労者顕彰。平成7年4月「海原」創刊、主宰。昭和58年より「塔の会」会員(実務幹事)、
俳人協会幹事、NHK学園講師、よみうり文化センター(横浜、町田)講師。
句集に「春の雁」(昭和59年東京美術)、「仏の座」(平成元年富士見書房)がある。

【講演要旨】
 俳句は、出会いの感動、出会いの縁を伝えるものである。出会いの瞬間は、「ああ…」という一言に過ぎな
いかもしれないものを17音へ拡げていくのである。行事の報告ではなく、一つの感動だけを伝える。そこに
は、季節感も不可欠である。他人と違った見方をすることも大切である。これは、始めての人ほど鋭いもので、
慣れてくるにつれて決まったものの見方になりやすくなる。どんな人、どんな物と出会っても、出会いの教え
というものがあるはずである。それを捉えることが重要になってくる。ひとと違った見方をするところに個性
が出るのである。
 水墨画も同じではなかろうか。第3回展を見てそのように感じた。たとえば、久保田会長の「月を招く」
は、墨一色の世界でありながら、24色、48色、否、96色もの豊かな色彩を感じさせ、画中の月が、姫に
招かれて近寄っていくような感じさえした。速水理事の山の絵では、稜線におかれた墨の力強さ、黒の恐さに
感じ入った。また、文部大臣賞受賞の加藤孝子氏の「からまつ」では、松林の向こうに配した幻日に、墨の幻
想性を味わった。牡丹や桜の絵では、この花明かりを出すのが難しいだろうと思った。そして、こうしたすば
らしい絵の数々を見ながら思ったのは、題名にもう一工夫あったら、もっとよくなる絵もあるんじゃないかと
いうことである。この絵にこんな堅い題は似合わないと思うものもあった。逆に、画題を見て予想のつくも
の、季節感の感じられたもの、絵に描かれなかったものを画題を通じて想像できたもの、作者の絵を描くとき
の想いを伝えたものもあった。
 題名は、絵を案内する通訳のようなものである。観覧者が、作品の前に足を止め、絵との対話が始まる。そ
のとき、ちらりと画題に目をやる。画題が絵の言わんとするところを通訳してくれる。あるいは、ヒントをく
れる。そして見る者は、絵の中に更に深く入り込み対話がすすむ。作者と見る人との意思の疎通を図る。そん
な画題であってほしいというのが、見る側からの要求である。
 「作品は、一人歩きする」と言うように、見る側の思いは、作者の思いとは、また、離れたところにあるこ
とも多い。画題に対しても同様に見る側からの要求が生じる。たとえば、水仙の絵に、「水仙」という題が付
いていても、そんなことは、絵を見ればわかるのであって、あえて題とする意味が感じられない。そのものず
ばりの題では、奥行きがないのである。友人の貼り絵の個展に招かれたときも、富士山の絵に「富士」という
題、焚き火の絵に「焚き火」という題が付いていてがっかりした。燃えさかる炎がたいへん上手に表現されて
いるのにこの題では、台無しだと思い、友人に提案して、その夜二人でほとんどの題を付け直した。「雪の朝
富士」は「雪晨」に、「姫の恋」は、「情炎」に。すると、翌日には、今まで人があまり足を止めなかった作
品の前にも人だかりができている。それは「霊現」とつけた例の焚き火の絵で、みんな口々に「なにか見える?」
なんて目を凝らしていた。題が無ければもの足りないこともあるのである。
 画題は、見る人への「お誘い」でもある。人の注意を引きつけ、数ある作品の中から、これはよく見てみよ
うかなという気にさせる。かといって、あまりとっぴではいけない。俗に堕してもいけない。自分の子に名を
付けるように、いとおしんで付けなければいけない。
 作品には、「うまい作品」と「良い作品」とがある。「うまい作品」は、見る人が、はっとする。しかし、
どこかにちゃらちゃらするものが透けて見える。それに対して、「良い作品」というのは、あとでじわっと来
ていつまでも頭に残る。見る側にそれだけのものを与えてくれるからである。そして、ことあるごとにそれを
思い出す。表現に多少の難があっても心を打つのが「良い作品」である。画題も同じではないか。気負ってし
まえば、逆に作品が小さく見えることになる。絵を描きながら、自分の体験を思い出してみる。すると絵の方
から、これを付けてくれと言ってくるのが聞こえるはず。素直な心で、素の味を生かす。素が一番すてきだか
ら、あまりいじり回さない。
 あるいは、画題は、「玄関におかれた一輪の花」と言うべきか。作品を見る前にちょっと目をやる。そして
そこに作者の姿勢を見る。どうぞいらっしゃいと内へ招き入れる。訪ねてくる者への心遣い。
 実際にどんな題を付けようかというときは、「歳時記」が大いにヒントになる。[歳時記」には、俳句の季
題、季語、傍題季語が整理されている。中でも、傍題季語には、画題向きのものが多いので、参考にされると
良いでしょう。たとえば、ただ「梅」と付けるのではなく、傍題季語を用いて「梅月夜」とか「梅吹雪」とや
る。それだけでも、ずっと情感が出る。傍題季語から連想される意外な発想もある。類想類句をさける。その
ためには、頭の中で考えるのではなく、実際に梅を見に行って、いい風に当たって、花びらが髪についたりす
る中でつくるのがよい。作者と絵とのつながり、技術的にはどうかなと思っても、季語をふまえて更なる発想
を重ね、体験などを思い出して自分なりの題を付ける。スケッチに行ってふっと浮かんでくる言葉がいい。野
菜もとれたてが良いように、素の味、素の良さを生かすのが大切。特に梅や桜のような描く人の多いものは似
たり寄ったりになりやすいので注意が必要。
 第3回全国水墨画展の画集から、具体的に見てみよう。神奈川県の渡辺さんの「昼下がり」(p.4)は、絵
に隠されている人物の心が表現された画題である。背景の日差し、昼下がりのけだるさ、やるせなさが伝わっ
てくる。日貿出版社賞の松井さんの「北限の囁き」(p.4)も良い題である。雪山を走る2頭のキタキツネ、
そのものをいわず、画題にメルヘンを語らせている。それは、キツネたちのささやきであり、雪のささやきで
あり、山のささやきであろう。ささやき合うキツネは、つがいだろうか、それとも若い雄の同志だろうか。い
ろいろなこと想像させ、絵の中に引き込まれる題である。特選の岩下さんの「木洩日」(p.7)は、静の世界
を描いている。木漏れ日の降る森の様子や、その枝を仰ぎ見た感じ、森の匂いまで思い出させる。
 地名は、よく画題にされるが、珍しい地名は別にして、有名な仏閣や山の名はさけた方がいい。行ったこと
のある人が多いから、絵を見ながら、「いや、あそこはこうだったぞ。」とか「こんなだったっけ?」と余計
なことを考えさせてしまう。ところが、有名な名を用いても、通産大臣賞の平井さん(p.3)のように、「東
大寺浄雪」とやれば、この「浄雪」が効いてうまく逃げることができる。この言葉が見る人を東大寺の中へ、
その清浄なる結界へと誘い込む。また、厚生大臣賞の瀧さん(p.2)の「我が阿修羅」も、誰でも知っている
興福寺の阿修羅像であるが、「我が」と付けたところに作者自身の無限の想いが表れ、見る者に迫ってくる。
固有名詞は、プラスαで生きてくる。
 全国水墨画協会会長賞の平さん(p.4)の「惜春」は、アイリスを描いて、この花の咲いた状態から、光が
うつろい、変化し、花が枯れて、季節が移っていく様を題名によって伝えている。東京都の秋田さんの「春
霖」(p.82)春の林に降る雨を描いて、芽吹きの力強さや若葉の息づきを伝える。
 これらのように、作品の奥にあるもの、それを見ていただく方に伝えるのが、画題の役目だと思います。	
			
						(文責 全国水墨画協会事務局)




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