97全国水墨画協会横浜研修会レポート


上手な落款印の捺し方「生かすも殺すも落款印」

1997年12月7日、横浜市中区大桟橋国際客船ターミナル4階にて全国水墨画協会主催の研修会が開催されま
した。当日の講師は、篆刻家の小林早容子先生。演題は、「作品を生かす落款印の捺し方」でした。100人以
上の会員が参加され、おみやげに横浜名物、中華街の肉まんあんまんの詰め合わせをもらって、有意義な時を
過ごされました。研修会の後は、横浜一の格式を誇る萬珍楼での夕食会。30名以上が参加するにぎわいで、
ビールやショウコウ酒を片手に話の花が咲きました。

【講師プロフィール】
小林 早容子
篆刻家。昭和41年國學院大学卒。在学中より保多孝三に師事。
昭和40年二十歳の時に日展初入選。以後受賞多数。
現在、毎日書道展審査会員、朝日カルチャーセンター講師、相長印室主宰。
「季刊水墨画」(日貿出版社)に連載執筆中。

【講演要旨】
 まず、印の大きさですが、大きい絵には、大きい印、小さい絵には、小さい印というのが原則ですが、絵の
感じによっても違ってきます。細かいタッチの絵には繊細な小ぶりの印、大胆なタッチの絵には力強い大ぶり
な印を選ぶなど、絵の雰囲気に合わせることが大切です。落款印は絵の脇役として、絵を引き立たせるもので
すから、印があまり主張しすぎてはいけません。目立たせず作品にとけ込むようにというのがポイントです。
 落款印の捺し方ですが、印泥は、買ってきたものをそのまま使うのではなく、よく練ってから使うことが大
切です。へらを使い容器の中でよくこねて、饅頭のように形を整えます。ぐちゃぐちゃになったままでは印に
印泥が均一につきません。印泥は、一年も寝かしたままにするとすぐ固くなってしまいますので、ちょいちょ
い出して練ってください。固くなったからといって、油を足したり、水で溶かしたりしてはなりません。せっ
かくの印泥がダメになってしまいます。また、新しい印泥は、油分が多くてべたべたしますので、よく練っ
て、
寒い冬から使いはじめると、べたべたが押さえられて良いようです。そうすると、夏になる頃には、油が切れ
てきて夏もべたべたしません。とにかく、印泥がよくつかない、べたべたするというのは、練りが足りないこ
とが殆どですのでよく練ってください。
 印泥の値段はピンからキリまでありますが、あまり安いものはお奨めできません。最低でも、十匁で二千五
百円から三千円くらいのものを使って欲しい。
 捺すときは、絵を描いたフェルトの上で捺してはいけません。固くて平らなものの上で捺します。ガラス板
を用意してその上で捺すのがよいでしょう。古い鏡なども使えます。ガラス板と絵の間には半紙を5枚くらい
はさんで捺します。
 捺す前に別の紙に捺した印影を切り抜いたものを用意して、画面の上においてみて位置を決めます。画中の
顔や花の横には置きません。絵裏に置きます。絵の上部でも下部でもかまいません。
 捺すところが決まったら、印矩を置いて場所を定めます。紙が毛羽立っていたらガラス棒などの固いもので
こすってなめらかにします。印矩は必ず用意してください。通常はL字型のものやT字型のものが市販されて
います。L字型の方が使いやすいと思います。面取りしてある方を下にします。そうしないと印矩についた印
泥が紙につくからです。私は、自作の印矩を使用しています。かまぼこ板などを縦に用い、右肩を縦数センチ
横1センチぐらい切り落とします。そうするとL字型の市販品より左手で押さえる部分が広くて使いやすいも
のができます。印矩を使うと印影が曲がるのを防げますし、印影が明瞭でなかったときは2度押しすることも
できます。印矩は動かないようにしっかりと押さえます。
 よく練った印泥を印につけます。印で印泥を30回ぐらいとんとんと軽くたたくようにして、まんべんなく
つけます。印泥に穴があくような、強く押しつける付け方はよくありません。印材の石が冷たいと印泥はよく
つきません。手でしばらく握っていたり、こたつにちょっと入れておいたりして、石を温めてやるとよくつき
ます。水分は禁物です。三文判じゃないんですから、ハアハアと息を吹きかけるのはもってのほかです。。
 いよいよ捺すときは、心を込めて、印矩に沿ってすっと落とし、強く圧して、紙に印泥がしみていくのを待
ちます。祈るように、石に刻まれている生命のしみこむのを待ちます。静かに離します。
 印影は真っ直ぐになるように捺します。自然のままの形を生かした印や、楕円形のものは、曲げて捺しても
良いのですが、尻が中へはいる捺し方は可とされますが、逆に頭が中へはいるのはいけません。方形の印は曲
がりが目立ちますので真っ直ぐに捺します。
 捺し終えたら、必ず印についた印泥は、タオルかティッシュでふき取ってください。印面はよく拭いておく
ことが大切です。続けていくつも印を捺すときは、2〜3枚捺したら、一度印泥をふき取ってから印泥をつけ
なおしてください。ふき取らずに印泥をつけ直すのは3枚が限度です。4枚目は必ずふき取ってつけなおしま
す。
 印を捺すことは誰にでもできる簡単なことのように思われますが、そうではありません。顕印術といって篆
刻家の中にもこれはと言える人はなかなかいません。上手に捺すには、練習が必要なのです。依頼した印がで
きてきたときについてくる印影は、専門家が捺したものなので、まず、それを手本に同じように捺せるまで練
習してください。練習無しに絵はうまく描けないのと同じく、練習無しには落款印もうまく捺せません。
 次に、印泥の色ですが、それこそいろいろな色があります。まずは自分の使用する墨の色に合わせて選ばれ
るのがよいでしょう。たとえば、古墨にはオレンジがかった色のものが合うと思います。美麗というピンクが
かった印泥は、青墨と使うと派手になってしまいますから、茶がかかったものや朱色の印泥がよいでしょう。
さらに一歩進めるなら、墨に合わせて色をそろえた上で、もう一色あると違ってきます。黒いところや紺紙の
上でも目立つ洗足などは好適です。朱文は赤い部分が小さく白文は多くなりますので、その違いによっても色
を微妙に変えることも良いでしょう。
 印の数は、一つの絵に一つの落款印が通常ですが、二つ並べたり、重ねたりして捺すこともできます。また、
条幅では三つ捺すこともあります。作品の始まりに捺すのを引首印(いんしゅいん)、下へ捺すのを押脚(お
うきゃく)といいます。引首印や押脚には遊印を用います。遊印とは、有名な詩句や自分の心を戒めるような
文章、人生観や芸術観などを刻したものをいいます。たとえば、「万象皆師」、「画中詩在」「座花酔月」、
「萬古清風」、「行道在福」、「山静似太古」、「髪短思長」、「温故知新」などを刻したものがあります。
遊印は、篆刻としての美しさの他に思想や文学としての優れた内容を持ち、これを観賞することは、同時に刻
された文章の内容を観賞することでもあります。これに画賛としての意味を持たせて使うことは味わい深いも
のということができるでしょう。
 印は本当は自分で彫るのがよいと思います。それほど難しいことではありません。出来合いの安っぽいゴム
印などを捺すと格調が下がります。それなら自分で彫った方がよいと思います。
 二つの印を重ねて捺す場合は、白文を上に、朱文を下に捺します。白文の方が格が上だからです。したがっ
て、本名は白文にし、雅号は朱文で下に捺すということになります。格の高い方を白文、低い方を朱文でとい
うことです。本名が必ず白文でなければいけないというわけではありません。一つしか印を捺さないなら本名
を朱文で捺すことができますし、朱文白文とも本名でということもあるわけです。白文の方が固い感じがしま
すが、どちらか一つ捺したいがどっちがよいかと迷ったときは、白文を捺すのがよいでしょう。名前は、白文
一個にして遊印を朱文で捺すということもできます。朱文を二つ重ねたいときは、間を取って離して捺します。
朱文を二つ重ねるのはしゃれてないと思います。
 捺す位置については、作品毎に違ってくるので一概には言えませんが、基本は作品の左下です。あんまり下
の方には捺さない方がよい。額の縁がかかってしまうこともありますのでその辺も考えてください。先生の捺
している位置をよく見て勉強すると良い。前にも述べたように、印影を切り抜いて、絵の上に置きちょうど良
い場所を決めます。一度決めてもすぐには捺さず、一晩寝て、もう一度考えてから捺します。捺してしまえば
元には戻せませんので、慎重に定めます。
 落款は本来絵が完成してから捺すものですが、風景画のように画面の隅々まで黒くしてしまうような場合、
描き終えてから、さて落款をと思っても捺す場所がないということがあります。構図の段階で捺す場所を決め
て、そこの墨は薄目にしておく必要があります。高橋東山氏は、制作中に署名捺印する方法も紹介していま
す。
 印は一個より二個の方が格が高いとされています。落款は、名前を書いてその下に二個の印を捺すのが本来
の形です。しかし、印一つの場合もあるし、署名せず印のみのこともあります。最近は特に印だけの例が増え
ています。小さい六号くらいまでの絵では印だけの方がすっきりして良いかもしれません。
 二つ印を捺すときでも、雅号印と遊印とを捺すときは上下に並べては捺しません。離したうえで中心をずら
して捺します。
 また、小さい印を二つ離して、横並びにして捺すと、大きい印を一つ捺すのと同じように大きく見せること
ができます。大きい印の持ち合わせがないときなどに有効な方法です。
 年をとったら、印も名前だけを彫るのではなく、「翁」や「長寿」といった文字を足してみると、ぐっと
しゃれた感じになります。安二郎という名前ならば、「安翁」とか「安二郎長寿」あるいは、単に「長寿」と
か、80才なら「八十翁」などというのも素敵です。昔の人は45才くらいでも「長寿」を使っていたようで
す。他に名前の後ろにつけるのは「居士」とか「散人」というのがあります。永井荷風は「散人」を好んで
使ったようです。
 女性の場合ですと、「尼」とか「女史」というのがあります。上村松園は「女史」をよく使ったようですが、
自分で使うにはどちらもちょっと…という感じがします。そこで、私は「恙無(つつがなし)」というのおす
すめします。
 このように印を楽しむということが一番大事なことのように思います。印は大小二つあればよいというよう
なものではないわけです。みなさんも古い作品を見たときなど、落款印にもぜひ注意を向けてみてください。
人柄も偲ばれますし、何より人のを見ると役に立ちますから。(文責 全国水墨画協会事務局)




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