PICTURESQUE INDIA Vol.4 南天竺・巡礼の旅-01

門出

巡礼の門出を祝って踊り狂う巡礼者たち。満月の夜をめざして巡礼がいよいよ始まる

 暑い、土ぼこりの道を、親友ヴェラユタム君(23)と僕は、巡礼の起点となるチョッカリンガム村へ向かっていた。

 すでに無数の巡礼団が方々の村々から出発していて、街道筋で出会う。その度に、まだ見ぬ聖地と、満月の夜を目指す旅への期待で僕の胸は高鳴った。

 村に着くと、がっしりした体格のアラガッパ・チェティヤール氏が満面の徴笑で出迎えてくれた。氏とは去年(1983年)知り合い、訪れる度にお手製の豪華な菜食料理を振る舞ってくれた。
 数年前奥さんに先立たれ、今は大きな屋敷に息子のマニカム君(25)と二人で暮らしている。とても信仰深い方て、夫人の命日(毎週金曜日)には断食して冥福を祈る。また村で祭りがある度に、多額の寄進や施しをしたり、自ら進んて寺に泊まり込んでブラーミン(僧侶)らとともに祭式の準備を手伝う。
 「私の生きがいは神様にお仕えすることてす」と胸を張る彼は、村の顔役であり村人の頼もしい相談役だ。人々は彼に「スワミ」(タミル語で神様の意)という称号を与えている。

 そんな彼にも一つだけ残念なことがあった数年前から足を悪くして、長年続けていたパラニ巡礼に参加できないことだ。僕と巡礼をともにするヴェラ君もそうだが、アラガッパ氏は「チェティヤール」というカーストに所属している。正式には「ナガラタ・ナートコータイ・チェティヤール」と呼ばれ、パラニ巡礼にとって欠くことのできない存在となっている。
 彼らは元来、四姓制度のシュードラ出身だが、百数十年前から東南アジア、特にビルマに進出し、高利貸で荒稼ぎをした。巨額な富が南インドに流入し、村々に宮殿のような豪邸が次々と建てられた。この点だけをみれば単なる成り金カーストの域を出ないが、同時に彼らは津々浦々に巨大な寺院を建設し、おしみない寄進を行った。なかには、私有財産のほとんどを神に捧げた者もいたという。


 彼らが絶対的な信愛を寄せる神はムルガンであり、シヴァ神である。バラニ巡礼を最初に始めたのも彼らで、後に他のカーストを引き込んでいった。それというのも、彼らは巡礼者はもろろん街道沿いに住む付人たちにも、分け隔てなく、おしみない施しをするからだ。


 そんなチェティヤールの血をそのまま受け准いだアラガッパ氏は、巡礼の門出を祝って村中の人々にごろそうを振る舞う。ふだんは野ザルがやってくるだけの寂しげな屋敷が、このときは千人近い人々でふくれあがる。バナナの葉皿に盛られた純菜食料理を頂いた後、巡礼者はホールに集い、神への賛歌を高らかに歌いあげて巡礼の無事を祈る。群集の輪はやがて踊りの波に変わる。


 村のお寺に参拝していよいよ出発の時、アラガッパ氏からムルガン神の文字の入ったオレンジ色のルンギ(腰巻き)と水筒用のビニール瓶、そして僕のネームが入ったお手製のバックが贈られた。


 空はいまにも泣き出しそうだった。よどんだ雲間からにじみ出る紅(くれない)の陽光。落日は近い。


 「ムルガニック・アローハラ」

皆の力強い真言(マントラ)の響きが巡礼の「日の出」を告げていた。