PICTURESQUE INDIA Vol.4 南天竺・巡礼の旅-02

パラニ巡礼

孔雀を従えた少年神ムルガンと聖山パラニ

 インド世界は、五千年以上の歴史を誇る、明細にして不可思議な精神文化の大宇宙だ。仮にこれを小字宙としての人体=すなわち微細身に照らしてみれば、農村は無数の毛細血管。都市はおぞましいガン細胞かもしれない。微細身の新陳代謝は、永遠の一日を切々と生きる信仰深い村人たちがつかさどる。それはふだんはいたって穏やかだが、あるとき雄々しい血流となって一気に大動脈へ流れ込む。この「活流」こそが、祭りや巡礼なのだった。


 バラニ巡礼は、それら無数の活流のひとつ。毎年一月、南天竺(てんじく)の人々は一年間の感謝と祈願を一点に凝縮させて巡礼の族に出る。数十万の群衆の一人ひとりが歓喜の血球となって着のみ着のまま六日間、約二百キロの道程を歩き続ける。まるで人体の六つのチャクラ(霊魂中枢)を旅するように、南天竺という小宇宙の「心の脳下垂体」である聖山バラニを目指して。

 南インドにはまったく異質のインドがある。特にタミル・ナードゥ州には、濃厚な土着信仰に根ざした純ヒンドゥー文化が脈々と生きている。マドラスで偶然にも知りあったヴェラユタム君の誘いで彼の故郷の村を訪れ、五ヵ月間滞在した。村人たろは、きめ細やかな感性と雄々しい情熱を秘め、親切で愛嬌に満ちていた。


 僕は、ここには古来のインドがあると直感し、去年もまた正月を返上して「心の故郷」に帰ってきてしまったわけだ。
 彼らの豊かな精神世界を支える柱は多々あるが、その中でもこの「パラニ巡礼」は極めて強力な求心力を持っている。


 聖山パラニは、避暑地として名高いコダイカナルの北方約80キロに位置し、びょうぶのような東ガーツ山脈がタミール平原に切れ落ちた所に、突如として盛り上がっている。その山頂に、主神ムルガンを祭る大きな寺院が建てられている。ムルガン神はクジャクに乗った少年神で、神話上では宇宙の破壊と再生を司どるシバ神と、その妃パールバーティの末子で、象頭人身でおなじみのガネーシ神の弟とされている。


 彼は、果物をめぐって兄貴のガネーシといざこざを起こし、両親の止めるのもきかず家出してしまう。そして自らの寺を開山する。タミル語で果物を「パラム」と言うが、後にそれがパラニとなり、総本山の名称となったそうだ。
 この神話から察するに、ムルガン神は元来土着の神様で、後にヒンドゥー教へ組み込まれたといえよう。またパラニ巡礼の特筆すべき点は、信者の枠をヒンドゥー教徒のみならず、あらゆる教徒に開放していることだ。インドでは「にわか仏教徒で通している風来坊の僕でも、喜んで迎えてくれる、まことに寛大な神様なのだ。


 パラニ巡礼は、正式には「タアイ・プーサム」と呼ばれている。タミル暦タアイ月(1月)の満月の日をクライマックスに、三日山間の大祭が行われる。人々はこの熱狂的なお祭りに参加するために、タミル・ナードゥ州はもとより、南インドの各州、遠くはスリランカ、シンガポールから海を越えてやって来る。

 僕はあれよあれよという間に、南天竺に逆巻く強烈な信仰の「血流」にのみ込まれてしまった。