どんよりと曇った空の下に、乳褐色の川がよどんでいる。
「ハリ地獄」はなおも続く。足の裏から血が噴き出すような痛み。数時間前の滑らかな水田のあぜ通が「天国」のように思えてならない。やがて、川が大きく蛇行した所に小さな寺院が見えた。
カンダバラヤンパッティだ。人々は寺に参拝してから昼食をとり、夕方まで休息する。足元は依然として「ハリ地獄」だが、布を一枚敷けば「天国」に一変する。そこにはヴェラやセンデルの親族が来ていて労をねぎらってくれた。まさに「天使のもてなし」。昼食はバナナの葉皿にイディリー(米粉蒸しまんじゅう)とバアダイ(豆の粉の揚げドーナツ)をもらって食ベた。
大満足で河原に横たわっていると、急に人々がざわめきだした。太鼓の音が近づいてくる。「カヴァリ」と呼ばれる御輿(みこし)の行列がやってきたのだ。その数九十六台。赤・青・白に染め抜いた寺院の旗を先頭に、上半身裸の男たちが、前後にクジャクの羽をつけた布張り竹製の御輿を担いでいる。
「カヴァリ」はパラニ巡礼の象徴。チェティヤール・カーストの住む村には必ず一台ずつあり、「毎年選ばれた在家衆がカヴァリを担いでパラニ山を目指す。ふつうの巡礼者より数段厳しい戒律があり、ヴェラでさえ敬遠するほどだ。
カバリの前後にくくりつけられた小さな壷には、ミルクとギー(精製バター)が入っている。それをパラニのご本尊にふりかけた後の「聖なるミルク」を再び集めて村に持ち帰り、人々に配る。聖山パラニでの大祭が終わると人々は車やバスで帰郷するが、カヴァリの男たちは再び二百キロ歩いて帰らねばならない。
あの「ハリ地款」さえ平然と歩いてきた彼ら神人(かみぴと)を、巡礼老は合掌して迎える。ここ、カンダバラヤンパッティは、巡礼老が最初に「カヴァリ」と出会う地点なのだった。
夕劾近く、次の中継地ムルトウパッティヘと向かう。道は河原から離れて再び快適なあぜ道となった。やがて雨が落ちてきた。最近まで三年間も干ばつが続いていたので、乾ききった大地は歓喜のうちに霞(かす)んでゆく。
あたり一面がぬかるみに変わると、今度は足をとられて思うように歩けない。ほとんどの人は傘もなくずぶぬれ。冷たい風が体温を奪ってゆく。これも一程の「地獄」だなと思った。やがて、アスファルトの街道を走る車の音が近づいてきた。
ふいに一群の人々に呼びとめられた。「スワミ・スワミ」(タミル語で神様の意)と微笑みを浮かべながら合掌して、小さなビニール袋に入ったビスケットとアメ玉をすべての巡礼者に分け与えている。子供たちは先を争って、パラニ巡礼のすてきな施しを満喫していた。
土砂降りの街道をさらに進む。冷たい雨も地面に届けば、ほんのりぬるまって疲れきった足の裏をいやしてくれる。すっかり暗くなったころには雨も上がり、夜霧の中にムルトゥパッティの灯が見えた。そこは、街道沿いに集落がへばりついただけのさびれた中継地。人々はたき火で体を乾かし、数時間の休息後さらに先へと歩み始める。
いまごろカバリを担いだ一団は、あの、ぬかるみの中を歩み続けているに違いない。
長い一日だった。天国と地獄、快楽と苦痛が混在する陶酔の世界。それは第二のチャクラ「性器」そのものであった。
神びとたちは「性の陶酔」をも超えて、真一文字に聖山バラニを目指す。体内にわき上がる生命力「クンダリニー」のように。
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