翌日の未明。友人のヴェラにたたき起こされる。眠気まなこで表通りを見ると、未明のやみの中に、日中のような喧嘩(けんそう)が充満していた。巡礼の人波は風のように街道を吹き抜けていく。クンナクディの村から夜を徹して歩き通してきた人の群れは、夜明けの町に土ぼこりの帯をつくって続いている。
昨晩、僕とヴェラユタムはクンナクディから約十キロ離れたティルパトウールという町まで、バスに乗ってしまった。インドに来てまだ日の浅い異邦人の体を気づかって、ヴェラが「リタイア」を勧めてくれたわけだ。
ティルパトウールには、彼の親類が住んでいる。以前に何回も訪ねてお世話になった家族だ。彼等は、明日からポンガル(南インドの収穫祭)があるので、巡礼に参加できないのをたいそう悔やんでいた。ただ、長男のセンディル君(19)は別だ。彼は巡礼歴6年の熟練者。毎年のバラニ巡礼が至上の楽しみなのだ。実はヴェラも彼以上の猛者なのだが、今回は我慢して僕の面倒をみてくれている。
ここでヴェラがチャーターしてくれた二頭立て牛車が待っていた。普通、巡礼者は一族郎党で牛車を借り、巡礼中の炊事用具や穀物、野菜類およびパラニ到着後の衣類や生活用具などを満載して連れていく。僕らの牛車は、未熟な異邦人のためのいわば休憩用だ。
英語で「パラニ・ジョリーツアー・ジャパン」と書いたノポリを立て、タミル語で「信仰心薄弱なれど陽気で愉快な旅をいたします」と添え書きをした。
チャーター料は十日間で千ルピー(約二万五千円)。後で分かったが、相場は四〜五百ルピーのところ、巡礼の直前に交渉したため、ぼられたらしい。通りを行く他の牛車は数カ月前に予約されたので、外見も立派で牛もたくましいが、僕らの牛車はいかにもみすぽらしい。牛はやせ細って、二頭の体格もちぐはぐだし、屋根すらない。ヴェラが憤慨して、せめて風雨をしのげる程度の屋根を作るよう求めると、改修代百ルピーを請求された。
第二日は道なき道を歩くので、牛車は改修後に本日の目的地、約二十キロ先のマルトウパッティで待たせておくことにした。
午前七時出発。ティルパトウールの町を離れると、巡礼の群れは街道から水田のあぜ道に入ってゆく。見わたす限り黄緑色の稲穂が広がり、収獲を終えた所では、たくましい牛が耕作を始めていた。はるか遠方には、パルミラヤシがとぼけたように林立している。ぬめっとした大地の温かみが足の裏から伝わってくる。その感触は幼い日の泥んこ遊びの記憶のようでもあり、母の胎内のようでもあった。
突然、巡礼の行列が滞った。前方を見ると、道は水田を抜けて土手の上に登り、そこから急に人々の歩調が落ちている。やがて、広々とした河原に乳褐色のとうとうたる流れが視界に飛び込んできた。
痛い!!
足の裏から激痛が走った。足元をみつめると、粘土質の地面に無数の砂轢(されき)が針のように浮き上がっている。一歩踏みこむ度に油汗がにじむ。さっきまで陽気に真言(マントラ)や聖歌を口ずさんでいた人々の表情がゆがむ。
たばこの火も裸足で踏み消すほど強鞍(じん)な足の裏を持つ彼らでさえこのありさまだ。僕は悲鳴をあげたくなるが、いまさら後には戻れない。水田は消え失せて、すぐわきまでイバラが迫る。前万にはうつむいた人々の列が何キロも続いている。 ここはパラニ巡礼の「針地獄」なのだった。人々のうめくような真言が聞こえる。
「カンルム、ルンルム、カールク、メツタイ」
(石もトゲもわが足には座布団なり)
*上記のマントラをタミルの人の前で言うと、とても喜んでくれます
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