神明鍛心流と私の出会い
・私、鍛星は高校1年の頃、剣舞と言う物に出会いました。
高校の正課(修めるべき正規の課目)で、少し経験のある剣道を選びました。、
授業の時、先生が「体育祭のアトラクションとして剣舞をやるから」と言われ、
白虎隊を3年間、荒城の月の伴奏に乗って、グラウンド両サイドから十数名が、静々と入場〜
「歌謡吟詠 白虎隊」あの有名な「戦雲暗く・・・・吟:鶴ヶ城望めば・・・白虎隊〜」
当時は模擬刀は揃えられなくて、木剣でした。素足に草履を履き、白の刺子に太めの紫の襷姿で舞いました。
・その後ふるさと山口県下関市「赤間が関」を離れ、今の八王子に住んだ頃、近くに剣舞道場(楠至心流)
をたまたま見つけ、そこで3年間指導を受けましたが、先生は当時から心臓や脊髄を患われていて、
代範もその後稽古が付けられなくなり暫く、稽古を休み、稽古が再開できる様になったらとのことで中断。
そして10年後、先生から稽古が再開できない旨の連絡があり、「お前をある先生に預けるから、そこへ行きなさい」
との事でした。
私は紹介された、当流二代目宗家 酒井鍛道先生を一人訪ねました。
酒井先生の自宅近くのそば屋さんで初対面、そこから私の剣舞人生は遅まきながら再出発しました。
毎週土曜の夕方、武蔵野線とバスを乗り継いで1時間半、埼玉の新座市まで通いました。
神明鍛心流の流れ
流 の 祖 : 故 永野鍛心先生(神刀無念凱山流 初代鈴木凱翁先生に師事したと伺っています)
在りし日の開祖の演舞「槍、本能寺」。
流派紋(ロゴマーク):日本刀と扇を組合せたデザインです。
一般的には無い紋で残心さが有り、かっこ良く、身が引き締まります。
二代目宗家 : 故 酒井鍛道先生(平成23年1月元旦 酒井先生は老衰のため静かに逝かれました 合掌)
二代目は私 鍛星の師匠です。
先生は現在も一人で生活をして居られ95歳です。右の写真は平成22年5月4日自宅を訪問。
記念に写真を携帯で撮って来ました。
左は老いても血気盛んな頃の舞台姿「九月十三夜陣中の作」
三代目宗家 : 故 荒木鍛誠先生
三代目は私の兄弟子です。
鍛誠先生は平成19年3月宗家継承を、後わずかで10周年になろうかというところで
病に倒れ他界してしまいました。
写真は在りし日の舞台姿「九月十三夜陣中の作と中庸」
四代目宗家平成24年11月23日代行を取り宗家を継承しました : 北川鍛星
鍛星は現役です。伊藤博文作「某楼に飲す」 松口月城作「那須与一宗高」