父、母、夫、私の4人家族。
昼食は両親を交え4人での食事。 夕食は夫婦のみの食事である。
昼食は忙しい農作業の合間にサッと食べる、味には保守的な両親のことを思った料理。
夕食は夫婦でゆっくりと酒を呑みながら食べるので酒の肴でもある料理だ。
二つの台所を行き来し、二つの食事の傾向を行き来している。
 
 2005/6月
●色のついた料理の名前をクリックすると作り方のページに進みます    
 
   

いつの間にか6月である。
近頃は朝早くに目覚めてしまう。起きるとまず、音楽をかけながら、描きかけの作品をぼーっと眺める。
そして制作を始める。午前中の光が入ってくる部屋の中で描くというのは気持ちのいいものだ。
昔から諸先輩方に「午前中の光で描きなさい」とさんざん言われていたが、夜更かしをしてしまう癖があり、なかなか長続きしなかった。 今回は長続きしますように、と祈る。
歳をとってきたから大丈夫かもしれない。

 

6月1日      

制作中に流れていてほしい曲を選び、iTuneのプレイリストに入れた。出来上がったプレイリストに入った曲を聴いているとそれらに共通することがあるのに気がついた。どれも“歩いている感じ”があるのだ。時にはひたすら黙々と、時にはのんびりとおもむくままに、そして風に吹かれているような感じだ。今はそういう気持ちで画面に向かい、制作を進めてゆきたいのだろう。

…と、そんなことを思っているうちに、「あ、そうか!」とさらに気がついた。最近ひんぱんに聴いている小林旭の唄。その唄世界は“歩む”“動く”なのだ。 「この声がなんとも素晴らしい」と惚れ惚れしていたけれども、それだけではなかったのだ。小林旭が唄っている“歩む”“動く”その姿、在りかたに私は惹きつけられていたのだ。

今日はだいぶ気温が上がった。これからは絵の具の乾きも早くなるのだろう。

●トマトの冷製スッパゲッティ(参考●生トマトのさっぱり味スパゲッティ

 

6月2日      

と思ったら、今日は曇天で肌寒い。昨日との温度差は相当なもの。がっくりきちゃう。こういう日は一日中とても眠い。朝はさっそく寝坊した。
が、最近気に入ってしまい、毎日のように作ってしまう、かぶ料理を今日もまた楽しく作る。そして食べる。

●かぶのとろ煮

余ったかぶの葉を活用する。
●ひき肉とかぶの葉のスパゲッティ

さらに余った葉は、茹でてちりめんじゃことすりごまとポン酢醤油で和える。

 

6月3日      

東京に出かけたときに一人で飲食店に入る機会も多い。そんなとき、ついつい店員さんの働く姿を眺めてしまう。お客や出している酒、料理に愛情を持って働いている姿は美しい。先日も友人の店に行き、働く友人の姿に「なんて美しいのだろう」と見とれてしまった。(もともと彼女は美しいのだが)
かつて飲食店で働いていたせいだろうか、そんな姿を見ているうちに、むしょうに「働きたい!」という思いに駆られるのだ。

そんな折り、別の友人が、一日だけ飲み屋を任されることになった。楽しみに飲みに行くつもりでいたが、なぜだか私も働くことになっていた。思いもしない形でやってきた久々の飲食店バイトだ。グラス洗うぞ、皿洗うぞ、カウンター拭くぞ、…わくわくする。
「貴方は客ではなく店員です。シフトにはいってるからよろしくね。」とメールを送ってきた彼女に感謝だ。

●ごぼうの唐揚げ

 

6月4日      

思いもしない形でやってきた久々の飲食店バイトは無事終了。厨房の裏側にいること、グラス洗い、皿洗い、配膳、伝票付け、脚の疲労、友人宅でビールを呑んでお疲れさま、気づけば外は明るい…すべてが懐かしく楽しかった。

 

   

6月。用水路を流れる水の量が一気に増える。我が家の小さな庭のすぐ向こうにも用水路が流れている。部屋の中にいても水の流れる音がよく聞こえる。贅沢な音だ。
近所の田んぼに次々と水が入り、苗が植えられてゆく。水面に空や木や建物が映る。自転車を止めてつい見とれてしまう。
夜になると田んぼの辺りからたくさんのカエルの鳴き声が聞こえてくる。部屋のステレオのボリュームを下げて聴き惚れる。これはかなり贅沢な音だ。

 

6月7日      

東京に出かけたときには画材を買ってくる。
「これだ」と思った色の小さな20mlチューブの油絵の具が1,000円の上もする。筆は2,000円くらい。…こういうものをいくつも使い、必ず売れるというあてもない絵を描くことに時間を費やしている。そんな私は親や友人たちに誘われるままには旅行や食事に行ったりすることは出来ないのだなぁ…と思ってしまう。大人げないが、この10数年ずっとそうなのだ。画材売場の一角で小さな絵の具のチューブを手にしていると、せつない瞬間が訪れるのだった。
でもそれは一瞬だけだ。旅行より素晴らしい旅を、ご馳走より味わいあるものを、絵を描いてゆくことによって感じられるのだもの。幸せなのだ。きっと。

●ひき肉とかぶの葉のスパゲッティ

 

6月8日      

ご近所から春菊をいただいた。サッと茹でて食べてみると、ふわっと軽く、甘い味。どうしましょ、というほどおいしい。

●ゆで春菊 (ポン酢醤油を少しだけかけ、すりゴマをふって食べる)

 

6月9日      

ずっと気になりつつも、見なかったことにしていた生長著しい庭の雑草。梅雨に入る前になんとかせねばと、今日はいよいよ草むしりをした。砂利の隙間から生えている草をむしり取るとワラジ虫を筆頭にいろんな虫が出てくる。こんなに居たのか! というほどの数。蠢いているとはまさにこのことだ。
草をむしっていると、いつも一匹の小さなカエルに出くわす。我が家の庭に棲んでいるのだろうか。小さくてかわいいのだが、よく見るとおじいさんみたいな顔をしている。
(食欲をなくすような文章ですみません)

●アボカドと豆腐の和えもの

 

6月11日      

昨日、梅雨入りした。顔や床がベタベタする感触が懐かしい。洗濯物が乾かずに苛々する日が必ずややって来るのだろうが、梅雨を梅雨なりに楽しみたいものだ。
今日はS家へごはんを作りに行かない日。そのうえ夫は出かけている。目に入ったもので簡単手抜き料理。いや、料理とはいえない。が、けっこういける。あっという間に食べ終え、あとは煮卵でも口に放り込み、再び画面に向かうのである。

●トマト茶漬け

今日はずっと家に一人きりで誰にも会わずに絵を描いて過ごした。こんな日は久しぶりだ。
一つのことに集中して夢中になっていると、そのうちにさまざまなことに気づいて、さまざまなことに思いをはせることができるのだ。そんな当たり前のようなことに気づいた、素晴らしい一日である。

 

6月14日       渡り鳥、現る!
我が家の玄関先に、ツバメが巣を作り始めていることに気がついた。なにゆえ我が家を選んだのだろう。我が家を選んでくれてありがとう、という気持ちで、とても嬉しく、わくわくする。
今はまだ壁に泥をペタペタと貼り付けている状態だ。小さな体で少しずつ少しずつ材料を運んでいる。なんとも涙ぐましい姿、見ていると手伝いたくなってしまうほどだ。最後までうまく完成しますように、と祈る。
ツバメの飛ぶ姿はなんとかっこいいのだろう。地面すれすれを流れるように飛ぶ様子はシャープでしびれる。これからは毎日、間近でこの姿を見ることができるのだ。
ちなみに「ツバメが巣を作る家は縁起がよい」「繁盛する」「火事にならない」などという昔からの言い伝えがある。

●焼き茄子とオクラの酢醤油びたし
 
 
まだこんなもの 
 

6月17日      

渡り鳥、いつまた帰る…。
ここ2日、ツバメの姿をとんと見なくなってしまった。ここに巣を作るのをやめたのだろうか。落胆。

我が家は「縁起が悪く」「繁盛しない」のか。「火事」には気をつけよう。

●冷や奴(梅ねぎ)

 
 
これにて終了? 
 

6月18日      

東京へ出かけた。いくつかのギャラリーを巡った。今日見た作品たちは「急に個展が決まった」などの理由で短期間に集中して描かれた作品が多かったようだ。きっとそれが効を成しているのだろう、軽やかで自由、風が吹いているような、息をしているような感触が、作品と空間にあり、気持ちよかった。
11月の私の個展までにはたっぷりと時間がある。それはありがたいことなのだが、「気をつけなくては」と思った。時間に余裕があることで、余計な“絵づくり”に気持ちや手が動いてしまわないように気をつけなくては。うまくまとめたものは息苦しくてつまらない。そんなものを見たいのではなく、むき出しのものに触れたいのだから。
帰りの電車に揺られながら、そんなことを思った。

最後に行ったバー&ギャラリーにて居合わせた方々と話がはずみ、食べ物を注文するのをすっかり忘れてしまった。結局夕食は群馬に帰ってきてから、

●セブンイレブンのお総菜(サラダ、チャーハン、あんかけ焼きそば)

コンビニ総菜の中ではセブンイレブンのものが群を抜いて旨い! のである。

 

   

11月の個展の前に、8月にグループ展が決まっていたのである。→2005年の展覧会
版画家ではない作家による“版による作品集”の発刊記念展である。打診があってから今までの一ヶ月半のあいだ、私は“版による作品集”の作品だけを作り、展示すればよいものだと思い込んでいた。が、違ったのだ。そのほかにも自分の作品を展示する展覧会であったのだ。気がついてよかった…。
以前(6/18の『S家の食卓』)にも書いたように、時間の余裕がありすぎることは決してよいこととは思えないので、歓迎すべきことである。そして、暑い盛りに作品を展示できるのは、そんな季節を好きな私にとっては嬉しいことなのだ。忙しくなってきたぞ。

 

6月20日      

近所の商店に三陸のカキが! 殻付き1個80円。もちろん買った。店を出たとたんにスキップしたくなるほどの思いがけなく嬉しい出会いである。
…というところまではよかったが、殻を開ける際に手元が狂い、カキの殻を開ける刃物が指をザックリ貫通してしまった。痛みはないのだが、血がたくさん出た。ヤクザ映画を思い出したり、司馬遼太郎の『燃えよ剣』のなかで土方歳三が深手を負いながらも焼酎をかけて自分で処置する描写を思い起こし、このくらいの傷なんか大丈夫、大丈夫だ、と言い聞かせる。が、血は
流れる流れる、止まらない…台所が血だらけだ。
もう夜も遅かったのだが、そんな光景を見て驚いた夫が病院へ連れて行ってくれた。
この病院の院長先生は遠い親戚で、日頃から家族揃ってお世話になっている。今年に入ってからも、牛小屋の屋根から落ちた(夫)、暴れ牛にこづき回された(父)、牛に転ばされた(母)…などの理由で通院している。今朝には飼い犬と遊んでいるうちに倒され、頭に怪我をしたお父さんが通い始めたばかりである。
貧血を起こしてベッドに横になっている間に、看護士さんが消毒をし、ガーゼを当て、包帯を巻き、注射を打ってくれた。そのうちに包まれるような安心感が訪れた。夜遅いというのに看てくださり、感謝である。

●生ガキ

 

6月21日      

傷口の消毒に病院に通う。その病院では夫のお姉さんと姪っ子が働いているのだ。受付で事務をしているお姉さんに「大変だったねぇ」とにこにこ顔で出迎えられ、消毒後の処置をする姪っ子の鮮やかな手さばきに感心する。お父さんも傷口の消毒をしに来ていた。

夜はレコードを聴いて過ごした。ジョン・コルトレーンの『Expression』を夫と惚けたように聴いていると、夫が“美しいということ”についてポロッと話した。「なるほど」と思いながら、畳の上に寝そべって、だらーっと音楽を聴いているうちに、こんなことを思った。

 


美しいとは、そうならざるを得ない形のことだ。
田んぼや畑が美しいのはそのせいだ。
河原に建つ青い家を美しいと感じるのはそのせいだ。
70歳を過ぎてなおも働いている母の姿を美しいと感じるのはそのせいだ。
これ以下はなく、これ以上もない。これでしかありませんという姿(形)は美しく、胸を打つのだ。


なくてはならないものは大切にして、余計なものを削って削って、美しい形を見つけたい。味もそうだ。

●明太子スパゲッティ

   

6月下旬、実家の父方の祖母が92歳で亡くなり、東京の実家で葬儀がとりおこなわれた。祖母の子と孫くらいが集まる小さな葬儀。心にしみる、とてもいい葬儀だった。
お焼香の煙がふわぁ〜っと昇ってゆくのを見ていると、この煙のように自由に伸び伸びとおばあちゃんが次の世界でやってゆくのだろうなぁ、そうだといいなぁ、と思った。

通夜と告別式の後は食事会。というよりあれは飲み会。我が親戚たちの豪快な飲みっぷりに驚く。仕出屋さんに配達されたビールや日本酒だけでは済まず、ワイン、焼酎、泡盛まで。皆なぜだか、それらを持参してきているのがおかしい。
祖母の祭壇にも各種酒の入ったグラスが並んでいた。