LivingStereoTitle.jpg

The Age of Living Stereo

彼の人生の最後の年、Jack Pfeifferは、ロンドン、ハンブルクおよび東京へ旅行し、オーディオ愛好家にLiving Stereoについて個人的な講演をした。このまれな機会において、彼は、ステレオ録音の起源と革命的なLiving Stereセッションに参加した芸術家に関して話した。彼の話は、黄金時代の珍しい音源で彩られていた。それらの多くは、レコードでは聞かれていないものである。
ジャックの黄金時代の回想「The Age of Living Stereo」をどうぞお楽しみ下さい。

Pierre Monteux and the BSO - December 1953

音楽のステレオ再生は多年の夢であった。1930年代の初期には、いくつかの実験で興味深い結果が得られていた。ストコフスキーとフィラデルフィア交響楽団は、ベル・テレフォンと、左右の情報を刻んだ2本の溝によるディスクを何枚か製作していた。それらは、カッティングにも再生にも2本の針が必要な平行溝によるもので、システムは非実用的であり、商用では受け入れられない製品であった。

LPレコードの出現後、カッティング技術は更に発展し、電子的操作の実用化が現実のものになったことにより、ステレオレコードの可能性について再び考えが向き始めた。ステレオレコードの実現は、基本的にはディスクカッティングの問題なのだが、レコーディング会社は、録音の問題に集中していた。1953年当時、RCAは2トラックのプロ用機器を持っており、複数入力を受けるためのコンソールを設計していた。エンジニア達は、各トラックあたり3本のマイクロフォンの入力チャンネルで十分と感じており、1本のマイクロフォンの信号を2つに分割するための準備を行っていたのだ。

私は、本当に熱中していて、生オーケストラによる実験のすべてに参加した。最初は1953年10月6日で、ニューヨークのウェブスター・ホールでのレオポルド・ストコフスキーと彼のオーケストラによるものであった。そのセッションの2トラックの結果は全く残っていない。1953年12月には、ピエール・モントゥがボストン交響楽団のメンバとドリーブのコッペリアの抜粋を録音するためにマンハッタンセンターにいた。エンジニア達は商用のモノーラル録音の準備に追われていたので、ステレオ録音装置は一部がセットアップされたのみだったが、2本のマイクロフォンをセットアップしていくつかのテイクがステレオで録音された。


Coppelia - Pierre Monteux and the BSO - December 1953(mp3)


The Ride to Hell - Charles Munch and the BSO - February 1954

将来性を確信していたので、私は、すべてのオーケストラのセッションは、商用のモノラル録音とステレオ実験用の2つの体制で行うべきだと主張した。最初にそのセットアップを用いたのは、1954年2月21-22日にシャルル・ミンシュとボストン交響楽団で録音したベルリオーズのファウストの劫罰であった。ソロ奏者がいたので、3本のマイクロフォンを使用し、センターのマイクロフォンを左右のトラックに分配した。地獄への騎行はとても印象に残っており、私はそれをデモンストレーション用のテープに使用して、なかなか動こうとしない人たちに再生してみせた。このデモテープはなくしてしまったが、有名な地獄への騎行の部分は他のテイクから採ることができた。


The Ride to Hell - Charles Munch and the BSO - February 1954(mp3)


Also sprach Zarathustra - Fritz Reiner and the CSO - March 1954

Zarathustra.jpg Richard Strauss in High Fidelity
フリッツ・ライナーは、1953年にCSOの音楽監督に就任しており、彼の最初の録音は、シュトラウスの「英雄の生涯」、「ツァラトストラはかく語りき」、「サロメからの7つのベールの踊り」で、1954年3月の6日及び8日に行われた。ツァラトストラはとてもドラマチックなので、私はデモテープのオープニングにそれを使った。 最初のセッションで、私がサロメの踊りの一部をライナーとオーケストラに再生して聴かせたのだが、ちょっとしたセンセーションであった。


Also sprach Zarathustra - Fritz Reiner and the CSO - March 1954(mp3)


Salome - Fritz Reiner and the CSO - March 1954

これは、その最後の部分である:


Salome - Fritz Reiner and the CSO - March 1954(mp3)


Beethoven, "Pastorale" - Leopold Stokowski - March 1954

ストコフスキーは、常に音響実験のパイオニアであった。私たちは、彼の1954年3月18日に行われたベートーベンの田園のセッションのために、2つの録音システムを用意した。

ニューヨークのマンハッタン・センターは、周囲からの残響音のレベルが高いのだが、さらに臨場感を増すため、3本目のマイクロフォンを試してみた。しかし、ストコフスキーは、オーケストラを弦を左、木管を右、金管を木管の後方、打楽器を中央後方といった奇妙な配置にしており、結果は興味深いものだったが、オーケストラの配置が普通でないので、後で検討した結果、ステレオでの発売は見送りとなった。

ここにあるのは、最終楽章の一部である。すべての弦が左にあり、木管と金管が右にあるのが聞き取れる。失敗スタートは、ストコフスキーが彼の楽団員に対していかに我慢強かったかを示している。


Beethoven, "Pastorale" - Leopold Stokowski - March 1954(mp3)

Brahms, Piano Concerto No. 1 - Rubinstein/Reiner/CSO - April 1954

BSO、CSOそしてストコフスキーとの共同作業で、我々は直接音と残響音の理想的な比率についての判断に自信を感じ始めていた。私にとって、この比率は、リスナーに録音の現実感を与えるための決定的要因だった。しかしながら、正しいテクニックの開拓には、さらにいろいろなレコーディングセッションが必要であった。 1954年4月、ブラームスの第一協奏曲の録音で、ルービンシュタイン/ライナー/CSOの最初のセッションが行われたとき、我々はもっと学習すべきだと気づいた。そのセッションは栄光あるもので、ルービンシュタインとライナーは音楽で愛情を交換していた。結果はとても印象深い物であったが、録音は実験的なものと思われていたため、お蔵入りとなってしまった。それは、1977年1月にようやくステレオバージョンがリリースされるまで現れることはなかった。

これは、最終楽章のスタート部分である。ピアノの後ろでバスーンのソロが明瞭に聴かれるのに注目して欲しい。


Brahms, Piano Concerto No. 1 - Rubinstein/Reiner/CSO - April 1954(mp3)

Debussy, La Mer - Monteux/BSO - Summer 1954

この年の夏、ピエール・モントゥはタングルウッドでボストン交響楽団に出演した後、ボストンでドビュッシーの「海」を録音した。私は、そのステレオテープの編集してモノーラルでの発売用にトラックダウンしたことを覚えている。この編集したテープもどういう訳か無くしてしまったが、開始部分のテイクが残っており、使用された2本のマイクロフォンでの収録技術が、素晴らしくクリアーなものであることを示している。


Debussy, La Mer - Monteux/BSO - Summer 1954(mp3)



Offenbach's Gaite Parisienne - Arthur Fiedler and the Boston Pops -
the first Living Stereo


bostonpops.gif 同じその夏の間に、アーサー・フィードラーとボストン・ポップスが一連のセッションを行った。いくつかは、ステレオで録音されたが、そうでないものもあった。この時までに、私たちが獲得した成果はポップ系のプロデューサーに強い印象を与えており、エンジニアリング部門はポピュラーセッションの仕事を楽しみにしていた。使用できるステレオ機材は、ほんの少しであった。ポップ系の人たちは、ステレオがポピュラー音楽で効果を発揮すれば大きな宣伝効果になり、内部的に大きなサポートが得られるだろうと感じており、それは全く正しいことであった。ビッグバンドが非常にはやっていた時代であり、彼らのサウンドの演出にステレオは適していた。

そのような状況の中、その夏の私たちが行ったレコーディングは、一枚の素晴らしいステレオレコードを生み出した。オッフェンバックの「 Gaite Parisienne」がそれで、最初のLiving Stereoとしてリリースされた。

その夏が過ぎた後、ストコフスキーの更なるレコーディングが計画された。そして、私はこの機会を使ってステレオ録音のプロセスをさらに改善するように任命された。ストコフスキーのサウンドの好みを知っていたので、ある晩、マイクロフォンのチャンネルを操作して彼のオーケストラの配置を音響的に変換すれば、サウンドステージ全体に弦を響かせることができ、普通のオーケストラの配置と同じ効果が作り出せることを説明した。すると、彼は席から立ち上がり、「私は、“普通”など少しも望んでいないんだ!」と怒鳴った。それでも、私はマイクロフォンを左右に分割し、弦がサウンドステージ全体に広がるようにした。私は、それをストコフスキーには聴かせなかった。そして、この録音が1978年にステレオで発売されたとき、彼はまだ生きていたが、なにも言わなかった。

Berlioz, Symphonie Fantastique - Munch/BSO - November 1954

fantastique.GIF さて、別のセッションに話を戻そう。ベルリオーズの幻想交響曲は、シャルル・ミュンシュの有名な演奏の一つであった。それを、1954年の11月に(ステレオとモノラルの)両方の設定で録音した。RCAの公式カタログには、そのLiving Stereo版を載せていますが、実際のレコードは発売されなかった。(ニューヨークのディーラーがそのコピーを15,000ドルで申し込んできたという噂が流れた)。 Living Stereoでは発売されなかったが、Gold Sealでリリースされた。

(訳注)最近BMG JAPANが、この1954年の幻想交響曲のステレオ録音をCDで発売した。

ここにあるのは、第2楽章の一部である:


Berlioz, Symphonie Fantastique - Munch/BSO - November 1954(mp3)

また、1954年の4月には、トスカニーニの最後の2つのコンサートを録音した。しかし、これらは演奏に欠陥があり発売禁止になった。この巨匠の細部にこだわる感情のため、私たちは少数しか立ち入りを許してもらえず、空間の質感を欠いた録音となってしまった。カーネギーホールの響きは、私たちが仕事をした他の場所に比べてかなりドライなものだったが、私たちの要求には適していた。実際、巨匠の最後のコンサートに続く月曜日、 Guido Cantelliが、フランクの交響曲を録音することになり、私たちはそれをステレオ録音したのだが、それはとてもうまくいき、数年後に発売された。

エンジニアは、木管楽器および金管楽器のために、さらに時にはパーカッションのためにマイクロホンを追加することを試みていた。それは、水を濁らせるようなものだったので、私は2又は3マイクロホンシステムを要求した。しかし、それも実験に過ぎなかった。商用製品はモノラルであったので、エンジニア達は、モノラルでモニタリングとバランシングすると主張していたものの、1955年前半までに、ステレオが進むべき道であることは明白になった。

daphis.gif 私の一番好きな録音のうちの2つは、その方法によったものである:
ミュンシュ/BSOのラベル:ダプニスとクロエ
そして
ハイフェッツ、ReinerおよびCSOによるブラームスバイオリン・コンチェルト
である。

brams.jpg これはハイフェッツがReinerと行った最初のセッションであった。私には、Reinerが少しハイフェッツを畏敬していたように感じられた。Reinerがオーケストラにハイフェッツを紹介した後、ぎこちない瞬間があった。彼は、何を言ったらいいか分からないようだった。それで、私は通話システムを押して、「ハイフェッツさん、準備はいいですか?」と言った。彼が「いや、でも、これ以上準備はできそうもないよ!」と答えたので、オーケストラは笑いどよめき、フリッツさえ少しくすくす笑い、その場が打ち解けたのだった。そして、その日の終わりまでに、あの曲の最も素晴らしい録音の1つがテープに収められたのだった。

上の写真は、Jack Pfeifferの監修で再発売されたLiving Stereoシリーズのジャケットである。ダプニスとクロエはLPジャケット、ブラームスはCDジャケット。マスターテープの保存状態も良く、貴重な演奏記録が素晴らしい音質で甦っている。

1955年の中頃までに、産業界は数種の家庭用ステレオ・テープマシンを生産していた。RCAは、それらの品質に感動して、商用市場に一連の7.5インチのオープン・リール・テープを発売することを決定した。私たちは、それらをStereo Orthophonicと呼び、私たちのカタログは、まもなく4トラックテープとテープ・カートリッジを含んだものになった。ついには、世の中がステレオを含むハイクオリティな再生機器を持つようになったため、普通のクラシックなモノラル録音でさえ、いくつかはこのフォーマットでリリースされた。

heifetz2.gif heifetz1.gif

ハリウッドスタジオ(Sycamore Street)で、レコード製造のミステリーを調査しているハイフェッツ。1950年代の終り頃。

3トラック1/2インチのテープが1956年に使われるようになり始め。より多くの入力チャンネルとより柔軟性を持った新しいコンソールが構築された。 我々はmonoでモニターすることを諦めて、立体音響の広々としたしぶきで調整室を満たした。アーチスト達は、それが好きであった。もっとも少し混乱した人も何人かはいた。 私がウラディーミル・ホロヴィッツのためのステレオの再生を最初にセット・アップした時、彼は2つのスピーカーを凝視し苦情を言った。「しかし...ピアノは、スピーカーが無い中心から来るじゃないか!」 また、ハイフェッツはそれに対する彼の軽蔑を表すために、この新しい技術をHystereoと呼んだのだった。(彼はまた、HiFi HiFooeyともあだ名を付けた)

WestrexがLPラッカー・マスターにステレオの溝を切るための45/45ヘッドを開発 した時までに、RCAは、当時の大スターによるステレオ録音の備蓄を持っていた。その後、新しいステレオLPにそれらを移すための突進が始まったのだった。

それは1958年の春のことだった。すべての関係者が座って、頭を引っ掻きながら「この新しい音となんと呼ぶべきか?」を考えていた。最終的には、広報担当者が、それは現実体験のようだとの私たちの主張からヒントを得て、「Living Stereo」に決まった。

新しい製品の導入における技術的な問題は大変なものであった。レベル、溝幅、カットの深さとピッチ(1インチ当たり溝の数)が最適になるまで、何度もマスター・ラッカーをカッッティングしなければならなかった。

レコードの外周と内周の線速度の違いを埋め合わせるために、径補償を使用する必要があった。レコードを市場に送り出すため、スタジオは24時間ぶっ続けで稼働していた。いうまでもなく、製造設備も同じように大忙しであった。 1958年の10月には、カタログが発行され、クラシックのリストには、48種のシングルステレオLP、2種のオペラセット、そして5枚物のアルトゥール・ルービンシュタインによるベートーベンの協奏曲全集のLPパッケージが載っていた。 アーティストの大半は、 Reiner/CSO, Munch/BSO そして Fiedler/BPO だったが、 Robert Shaw合唱団とMorton Gouldが特に選ばれていた。

cliburn01.gif 1958年5月に録音された有名な Van Cliburnによるチャイコフスキーのコンチェルトも含まれていた。ポップ系のステレオ・カタログには、RCAを代表する主要なアーチストの115種のシングルを載せていた。ステレオLPの登場から半年間で、トータルで約200種のLiving Stereoアルバムが売り出された!

cliburn02.gif ところで、それらはどれくらい良かったのだろうか? 控えめに言えば、変化であった。我々がそのころステレオにおいて培ったことはすべてLiving Stereoに盛り込んだので、録音品質は通常の物ではなかった。これは、本当のことだった。ポップの制作では、ニューヨーク、シカゴ、ナッシュビルおよびハリウッドの様々なプロデューサーおよびエンジニアが録音した。クラシックについては、2人のプロデューサと3人のエンジニアがすべての製品を制作した。たとえLiving Stereo製品を作るように設計された特定の技術がなかったとしても、単純なセット・アップ、少ないマイクロホン、オーケストラの楽器の音が混ざり合いながらも最大限の明瞭性を備えた直接音と間接音の比率、録音および再生装置が扱える最大限のダイナック・レンジを基本的な考え方としていた。オリジナル・レコーディングは3トラックに限定し、マスターのカッティングは一様にコントロールされ、注意深くめっきとプレスされ、ビニールは最高品質のもので重量盤であった。その結果、リリースの多くは素晴らしいものだった。

shadowdog.gif そのプレスは、今日においても伝説的なものだ。それらはロゴの後ろの影付きのエリアのために「影犬」と呼ばれた。それらの品質は、工場での高度のコントロールと、カッティング・レースに払われた注意の成果であった。オリジナルの編集されたセッション・テープ(仕事部分)からミックスダウンされる生産マスターテープは、マスター・ラッカーをカットできるようになる前に、何度もミックスダウンの修正がなされた。ダイナミック・レンジ、周波数レスポンス、平均レベル-すべてを注意深くバランスさせる必要があり、片面あたり約23分に限定していた。

とはいっても、私たちは、レコーディング・セッションで聴いた音にできるだけ近いものを望んだだけなのだ。私たちは、今日ではさらに原音に近づくことができ、デジタル再生によるオリジナル作業部分からのデジタルマスタリングは、おそらく素晴らしい忠実度をもって目標を満たすことができるであろう。今日、ビニールプレスを聴くことには、独特の魅力がある。多分、私たちは、レコーディングセッションのイミテーションとは異なる芸術的な体験を望んでいるのだろう。これらの演奏を聴くことで、多くの異なる目標を満足させることができる。だから、私たち皆が、最も素晴らしい満足を与えてくれるものを探し求めることができるのだ。

しかも、それらはすべて Living Stereo の品質を持っているのである。



Dick Schory, Parade of the Wooden Soldiers - September 1961

この短いノートの終わりに当たり、我々のポップ部門によってリリースされた録音を再生したいと思う。それは、 Dick Schoryと彼のパーカッションアンサンブルと呼ばれるグループによる、「木製兵士のパレード」と呼ばれるトラックで、シカゴのオーケストラ・ホール(偉大なReiner/CSO録音のすべてが作られた場所)で1961年9月26日に録音されたものである。


WoodenSoldier - Arthur Fiedler and the Boston Pops(mp3)

初期のステレオ・ポップ製品の多くは「ピンポン」効果-つまり楽器の極端な隔離と音の移動を強調したものであった。それはモノラル録音を集めたように聞こえる。しかし、ステレオ効果を非常に明白にするために、マーケティング担当者はこの誇張をほしがった。

それもまた、Living Stereoと呼ばれたのだ!