What's Ki?とは?
                                             《藤平光一先生の著書からの引用や稽古・授業での言葉を中心に》


31/2003・1・18

 氣祓い

 払う、追い払うではない。
 禊、清めるということ。

 統一体であればよい。
 プラスの氣が起きればよい。
 念。

 声の大きい小さいではない。
 声を出さなくともよい。
 印もいらない。


 氣で清める
 
 マイナスの観念を一切排除し、プラスの氣で一年を送る。
 一年中プラスでいること。

 心をプラスに変えること。
 それにはまず統一体になること。

 いつでもプラスの氣で充満しているよう、一年をプラスで始めよう。


 一期一会

 「いま」の「ま」の時「い」はもうない。
 過去は二度と戻らない。
 後悔してもしかたがない。
 悪かったら改めればよい。
 今がよくなればよい。
 今から・・・
 反省しない。
 一瞬一瞬を全力で生きる。

 正月に人生を設計しなおそう。


 oneness
 =a peaceful feeling of being part of a whole.

 peaceful

 =quiet and calm without any worry or excitement. 


 総ての一部であり、心配・動揺のない、静かで落ちついた心の状態


 氣の原理

 天地の大道に則って恥ずかしくないことをする。
 プラスになるということ。
 氣を出す。

 一日中氣が出ていると決めてしまう。


 悟り
 =enlightment

 明るくすること
 心が身体を動かすのであるから、心を明るくする。
 そうすれば身体もプラスになる。

 世の中を明るくすること。
 誰でも出来る。

 悟りを開く=氣が出ていること


 天地に任せてほおっておく。


 氣で守る

 氣で守ろうと思ったら天地の涯まで守れる。


 洗心の行

 プラスの氣で入れ。
 氣を出して入れ。


 一年をプラスの氣で始める。
 前の年のよかったことも悪かったこともすべて洗い流し、
 赤子の心で一年をスタートする。


 世の中は

    今より他は
       なかりけり
 昨日は去りつ
    明日は知られつ


 出来た感覚がない。
 昨日は出来たのに、と思うと氣がとまる。
 一瞬一瞬。一期一会。
 心身一如であればよい。


 〈栃木総本部「氣圧療法士・氣の健康学士・氣の健康学院生合同スクーリング」にて〉


30/2002・11・22

 天地は無限小、無限大
 無始無終

 〈東京地区本部「圓心館道場」朝稽古にて〉


29/2002・2・14

 もともと弱い者が自分の心と身体を、
 綿密にコントロールする努力を積み重ね、
 自分の弱さを乗り切れた時、真の大胆になり得る。
 つまり細心にしてはじめて大胆たり得るのである。

 〈『氣の実在』財団法人氣の研究会出版部〉


28/2002・2・8

 私は、天地に氣があるのではなく、氣、そのものが天地であると解釈している。

 〈『氣の実在』財団法人氣の研究会出版部〉


27/2002・2・4

 信奉宇宙霊 しんぽううちゅうれい
 感應即現成
 かんのうそくげんじょう

 絶対的天地を信じ、
 天地の理を行えば、
 天地はこれに感應して、
 必ず、現実に成就させて下さる。


26/2002・2・4

 世の中は 今より外はなかりけり
   きのうは去りつ 明日は知られず

 過去は二度と戻らない。
 一寸先も闇である。
 確実なのは、即今、唯今である。

 天地より与えられた、心と身体を統一し、
 現在を全身全霊で事に当たり、
 あとは天地に任せきればよいのである。


 〈『氣を出す』財団法人氣の研究会会報誌/平成14年1月号・第23号〉


25/2002・1・30

 呼吸法 意志法
 行っている時は氣の切れ目がない、氣をとめることがない。

 いつでも統一体。
 毎日行うこと。


 五感
  眼 げん    見る
  耳 じ      聞く
  鼻 び      嗅ぐ
  舌 ぜつ    味わう
  身 しん    触れる
 第六感
  意 い     心


 小我を捨てて 大我にに生きる
 天地の心を以って我が心とする。
 小我も大我も区別しない。自他の区別がない。
 人のためにやることが、自分のためとなる(盥の水)。
 陰徳。


 心身一如
 心と身体の区別はない。
 心と身体を一緒に使っているかを確かめるのが、氣のテスト。


 氣祓い
 プラスの氣でマイナスの氣を祓う。
 
 統一の印
 統一体で行うと、30分でも1時間でも出来る。

〈1月26日「指導員講習会」〉


24/2002・1・23

 総て物を計るには、1を以って始めとす。
 これを無限に集約しても、遂には零とはならない。
 ゼロより1は生じ得ないからである。

                          〈『誦句集十一、〈氣の本質〉より』〉

 1を無限に縮小しても零にならぬ如く
 一つの言動も、

 一旦発せられたる以上永久に消えることはない。
                             〈『誦句集二十、〈陰徳〉より』〉


23/2001・12・7

心身統一の四大原則
 1
.臍下の一点に心をしずめ統一する
 2.全身の力を完全に抜く
 3.身体の総ての部分の重みを、その最下部に置く
 4.氣を出す

臍下の一点の五原則
 1.下腹を感じない姿勢
 2.足に重みのかからない姿勢
 3.無息の姿勢
 4.総てを受け入れられる姿勢
 5.総ての原動力を発せられる姿勢

リラックスの五原則
 1.全身の力を落ち着く可き所に落ち着ける姿勢
 2.力が抜けるのではなく力を抜いた姿勢
 3.一番大きく見える姿勢
 4.一番強い姿勢
 5.争わざるの姿勢

落ちつきの五原則
 1.一番楽な姿勢
 2.身体を重く感じない姿勢
 3.一番氣の出ている姿勢
 4.機に臨み変に応じられる姿勢
 5.明らかに見、明らかに感じられる姿勢

氣を出すの五原則
 1.身体を意識しない姿勢
 2.遠心力の働く姿勢
 3.慈眼温容の姿勢
 4.一番静かな姿勢

 5.明るく氣にしない姿勢


22/2001・11・29

 無限に小なるものの無限の集まり、ということは無限大ということだ。
 無限小=無限大

 意志法。
 仰向けでもよい。そのまま眠ってしまえばプラスの夢を見る。

〈11月25日「杖特別講習会」〉


21/2001・11・21

 天地の姿

  天地は、無限の半径で描いた無限の円周である
  天地は、無限に小なるものの無限の集まりである
  天地は、生成流転して瞬時も止まらない


   
天地とは、空と地でなく、絶対的天地即ち、大宇宙そのものを指している


20/2001・10・22

 萬里一條鉄    ばんりいちじょうのてつ
                                      天地の大道を、潜在意識が変わるまで継続実行することの意

   万里にわたって続いている一本の鉄というところから、万物の諸相、時々刻々に現れるすがた、はさまざまに変わるが、
  その実相は変わることなく過去・現在・未来を貫いて一本のすじのように連なっているという仏教の教え〔万里一条の鉄〕。

 陽氣生万象  ようきばんしょうをしょうず
                                      プラスの氣が、万象を生成発展させる意
 清風佛明月  せいふうめいげつをはらう
                                      天地の真理は不変、いつも清らかに接することの意
 心静自清涼
    こころしずかなれば、おのづからせいりょう
                                      無限小の臍下の一点に心をしづめることの意
 平常心是道
    へいじょうしん、これみちなり
                                      心を静めていれば、万象明らかに映ずるの意

〈10月21日、藤平先生のご子息、新郎の信一先生と新婦佐知子さんとの「結婚披露宴」が行われました。この五つのことばを認めた書が、
出席者へ記念の品として贈られました。ちなみに私がいただいたのは萬里一條鉄≠ナす。〉
                                               


19/2001・10・15

 人間が自分で自分の身を守るなどというのは、とんでもない。
 人間が人間の身を守ることはできない。
 飛行機が落ちればそれまで。
 天地の道を行ずる者の乗っている飛行機は落ちない。
 天地の道を行ずる者は落ちる飛行機には乗らない。
 落ちたら行じ方が足らなかったと明らめる。

 リスクケア、ヘルスケア両者揃って初めて護身術といえる。

 天地が守ってくれる。
 その間は生きている。
 天地の大道に適っているかを点検すること。
 天地が生かしてくれるうちは生きている。

 絶対的天地はひとつ。
 根本に天地がある。
 天地の理を原理という。
 イスラム原理≠ヘ原理ではない。

 氣の原理はプラスの原理である。
 「万有を愛護し、万物を育成する天地の心を以って我が心としよう」。これがプラスの理である。

 心身統一するとリスクケア、ヘルスケアができる。

 天地に適う自分自身を磨き上げること。

 天地に対して恥ずかしくない行動をする。

 アメリカは、自分を改めるのが先。
 温暖化防止条約の京都議定書も承認しないし、国連分担金も拠出しない・・・
 改めればテロもない。

〈10月6日「心身統一合氣道特別講習会」にて〉


18/2001・10・10

武道の心得五原則
 @武道の根底は氣にありと知る
 A武道は己を統御するためのものと知る
 B武道は危険を予知する心を磨くものと知る
 C武道は強きを論ぜず正しきを学ぶものと知る
 D武道は天地の理に適うべきものと知る


17/2001・9・21

 コマが激しくまわる時静に帰する如く、静は動の極致である。
 台風の眼の静かなる如く、動は静によってその力を得る。正に静動一致である。
 常に臍下の一点に心をしずめて統一してこそ、忙中閑を生じ、
 大事に臨んで平常心を失わず、事に臨んで、驚天動地の働きを成し得るのである。


 〈「十三、静動一致」〜『誦句集』藤平光一/財団法人氣の研究会出版部〉


16/2001・9・21

 絶対的天地に争いはなく、相対的世界にのみ争いは生ず。
 我れ、心身を統一して天地と一体となり、天地の理を実行するならば、人自ずから我に従う。
 生存競争、弱肉強食という勿れ、真の成功の道は、
 争わざるの理、即ち、平和への道と全く同一の道である。

 〈「十、争わざるの理」〜『誦句集』藤平光一/財団法人氣の研究会出版部〉


15/2001・9・13

 個性を尊重・・・
 短所をけずり、長所を伸ばすこと。

 〈藤平学園「心身統一合氣道学院」での稽古で〉


14/2001・9・13

 護身術・・・
 日常使うことはない。
 自分で自分の身を守ることはできない。
 天地に守られている人になること。

 〈藤平学園「心身統一合氣道学院」での稽古で〉


10/2001・9・13

 眼を閉じると集中しにくい。
 その状態だからこそ、集中法・拡大法を行う。

 〈藤平学園「心身統一合氣道学院」での稽古で〉


9/2001・9・13

 春風を以って人に接し
 秋霜を以って自らを律す

 〈藤平学園「心身統一合氣道学院」での稽古で〉


8/2001・9・13

 「藤平流」はない。
 『天地の理』に則っている。

 〈藤平学園「心身統一合氣道学院」での稽古で〉


7/2001・9・13

 無言の氣合い。
 氣を送る、念は通る。

 〈藤平学園「心身統一合氣道学院」での稽古で〉


6/2001・9・13

 言葉の受け売りでなく、体得し、自分の言葉で説明すること。

 〈藤平学園「心身統一合氣道学院」での稽古にて〉


5/2001・9・13

 反省しない、省みない、クヨクヨしない。
 悪いことはやめればよい。

 〈藤平学園「心身統一合氣道学院」での稽古にて〉


4/2001・9・3

 「氣」とは決して特別なものではない。誰もが持っているものだ。
 それどころか、人間だけではなく、動物や植物、
 そのほか宇宙に存在するあらゆるものが、氣の現われなのである。

 〈『氣で病を癒す』藤平光一/サンマーク出版〉


3/2001・9・1

 総て物を数えるには、1を以って始めとする。この1を仮定しなければ、
 計算をすることは出来ない。しかし、この1が問題である。
 大宇宙も1なら、石ころも1である。1の中には総てが含まれる。
 ここに1があるとする。それを1/2にしても、そのもの自体は1である。
 これを無限に縮小していったら、最後には零となるであろうか。
 否、絶対に零にはならない。零より1は生じない。
 ここにある1は、どこまでさかのぼっても1、即ち、無限小の1である。
 この無限に小なるものの無限の集積を総称して、
 「氣」といい、「絶対的天地」というのである。


 〈『氣と健康』藤平光一著/財団法人氣の研究会出版部〉


2/2001・9・1

 人間の生命も肉体も、一木一草も、みな天地の氣より生じたのである。
 然らば、私たちの生命は、ちょうど海の中へもぐって、両手で海水を囲い、
 「これは私の水だ」といっているようなものである。
 囲っているのは私の手であるが、囲われているのは「海の水」である。
 私たちも、私たちの身体を天地の氣の一部を囲って「私」といっているのである。
 即ち、身体は私であっても、氣自体は天地の氣である。
 私の体内の氣が、いつも天地の氣と交流しているのが自然であり、
 そういう状態を「生きている」という。


 〈『氣と健康』藤平光一著/財団法人氣の研究会出版部〉


1/2001・9・1

 いかなる重度の病氣、いかなる難病を抱えて苦しんでいる人も、
 決してあきらめないでほしいということだ。
 私は氣圧療法を学ぶ者たちに、「生きている間は、必ず生命力を持っている。
 生命力があるうちは、氣を送ったら必ずその生命力が動きだす。
 生命力が強くなって悪くなる病氣など一つもないはずだ。
 だから、どんな病氣の人絶対に見捨ててはいけない」と教えてきた。


 〈『氣で病を癒す』藤平光一/サンマーク出版〉


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