甘い接吻
〜時代劇浪漫譚妖恋話−其之八之三〜
(Written by まりあ さま)
〜大奥擾乱参之段〜
つつがなく式は始まった。式典も厳かにしめやかに行われた。大名に、旗本、並びに御三家も祝いを言いに、将軍の元へ訪れる。将軍の横では、新妻であるリリア姫の姿は白い絹の覆いに隠され、その噂高い美女の顔は見る事が出来なかった。だが、それでも祝いの席とばかりに多いに盛り上がっていた。
夜になると、一段落落ち着いた処で将軍と御台所が二人きりになる機会が訪れた。
「お久し振りです、殿」
すっと三本指を立て、深々と額に付ける姫君に、セイリオスは表をあげさせた。セルリアンブルーの髪を垂れ髪にし、美しいコバルトブルー色の瞳した彼女は噂に寸分も違わず絶世の美女だった。
「ああ、久しいね。リリア姫。気分はどうであろうか?」
長旅で疲れたであろうと気を遣う様に、セイリオスが尋ねた。
「道中、色々な名所が見れて楽しゅうございました。この下町の景色も都とは違い、驚きもしましたが、大変賑やかで都とは違った趣があって、わたくしは好きです」
にこりと微笑むその顔は、まるで少女の様に愛らしい。
「そうかい。そう言ってもらうと私も嬉しいよ。・・・君と会ったのは何時の頃かな?」
実は、将軍セイリオスとリリア姫は何度か小さい頃に会っていた。
「殿が成人なさった頃が最後ですから、もうひさしゅうございます」
リリアは、嬉しそうに笑みを返していた。
「・・・・何か頼もうか」
セイリオスは、二人きりになった安心さも手伝って、人を呼び、酒を用意させる事にした。
シルフィスも、今回の任務はつつがなく終わりそうだと思い、ほっと一安心をしていた。そんな中、大奥では少しいつもと違った動きが見られていた。
「あの女性・・・」
シルフィスは、ずっと以前から目を付けていた女が動いたのに気が付いた。名は確かエルディーアと言う女性だった。打掛を着たその女性は、話によると将軍家に仕える御家人の娘として、大奥入りをしたというのだが、どうもその身のこなし方から、シルフィスは以前から違う様に見えてならなかった女性である。
その女性が何やらローゼンベルグ家のものと会話をした後で、懐から何かを受け取り、そのまま姿を消した。それを目撃したシルフィスは、ローゼンベルクの者を追い掛けようともしたが、それよりも女の方を追い掛ける事にした。
エルディーアは、御台所へ酒を運びに行く途中の腰元を呼び止めると、何か話し掛け、隙を盗んでその酒に何かを盛った。どうやら先程受け取った何かである様だ。しかし、それに気が付かずに、腰元はそのままその酒をもって、再び廊下を歩いていってしまった。
シルフィスは、それが何であるか良くは分からなかったが、とにかくあの女を追おうと、気配を殺しながら、後を付けた。月が奇麗だった。彼女は、そのまま人通りの無い庭へと出る。そして、彼女は行き成り立ち止まった。シルフィスは、警戒した様に物陰に隠れた。
「いるのでしょう?女狐さん」
不意に、彼女は言葉を放った。どうやらとっくにばれていたらしい。シルフィスは、無言のまま姿を現した。
「ずっと、わたくしを監視していたのは貴方ですわよね?」
冷然と目を細め、エルディーアは言い放った。エルディーアは、打掛が投げ上げた。ばっとそれが夜空に舞う。そして、そこには黒い衣装を纏い、短刀を手にしたくの一が現れた。
「見たところ、あなたも同類の様ですわね。楽しめそうですわ」
シルフィスは、懐に隠してあった短刀を抜き出す。
女の戦いがここで始まった。
何度かの打ち合いの音がする。くの一の華麗な戦いが月の下行われた。力はややエルディーアの方が優勢な様であるが、シルフィスも負けじという感じで中々決着が付かなかった。だが、長引き掛けた勝負は意外なほど呆気なく決まった。だが、シルフィスの方は一瞬不利になり、エルディーアの短刀がシルフィス目掛け振り下ろされそうになった時に、何処からか飛んできた石つぶてがエルディーアの前を横切った。
「!」
その一瞬出来た隙を狙い、びゅっとシルフィスの短刀がエルディーアの頬を掠めた。じわり、と掠めた場所から血が滴り出した。
「・・・くっ。ここは一先ず退散の様ね」
エルディーアは、顔を多少歪めたが、そのまま煙幕の火薬を投げつける。そして、それを隠れ蓑にし、退散していった。
「さっきのは・・・」
シルフィスは、エルディーアの前に掠めた石つぶてが誰が投げたのか、言わないでも分かっていた。
影ながらいつも見守ってくれたのだ、と彼女は顔を綻ばせた。それから、シルフィスは彼女が居なくなった辺りに不意になにやら小さな包みが残されているのを発見した。
「・・・これは」
拾い上げてみると、先程ローゼンベルクのものから受け取ったものの様である。
急いで、今回任務の為に城に詰めていたキールに、シルフィスはその包みを渡しに戻った。キールは、それを受け取ると、それが何であるか直ぐに判断した。そして、シルフィスがそれを聞いた時に恐ろしく、顔を青くさせた。
「・・・どうしよう」
今からでは間に合わない。既に、あのエルディーアという女性が仕組んだ酒は御台所へ向けて持っていかれている。このままでは将軍とその妻の命の危険が・・・。ぐるぐるといきなりの出来事に、シルフィスは混乱し始める。
「・・・シルフィス」
そこに、矢張りといっていいのだろうか、シルフィスの思い人が救いの手を差し伸べる為に現れた。
「旦那様!」
シルフィスの顔が途端に綻びる。
「・・・私に任せろ」
短く言い放つと、レオニスは直ぐに姿を消した。後はもうレオニスに頼むしかなかった。
御台所の部屋に届けられた酒には、まだ幸いな事に誰も手を付けていなかった。リリアがとくとくとセイリオスの杯に酒を注いでいたが、どうも彼女に見惚れているのだろうか彼は一向に飲もうとしない。そんな彼に、リリアは困った様な、恥かしそうな顔をさせながら、上目遣いで見上げる。
「お飲みにならないのですか?」
「もう君に酔っているから、良いんだよ」
さらりと言う辺りは、流石は上様なのか。リリアは、一瞬目を丸くさせながら、それから一気に顔を真っ赤にさせる。
「と、殿。からかわないで下さい」
「・・・冗談で言っているつもりは無いのだけれどな。君こそ、飲まないのかい?」
にっこりと上様スマイルで言うセイリオスに、リリアは何処か憎めないとばかりに苦笑する。
「・・・では、少しだけ」
リリアは、もう一つの杯を取ると、セイリオスがそれに酒を注ぐ。ありがとうございます、と微笑みを浮かべ、リリアは少しだけ盛られた酒を見詰め、やがて口元へと持っていく。
正に、リリア姫が口から飲もうとしたその時である。表からは警護が厳重でどうしても入れなかったレオニスは、屋根裏から侵入したのであるが、その瞬間を見た時に咄嗟にリリア姫の手元に何かを投げつけた。
瞬間、リリアの小さな悲鳴が起こった。セイリオスは咄嗟に飾ってあった刀を持ったが、多少眉根を寄せただけで、それ以上は動きはしなかった。
「・・・レオニスか?」
問い掛けると、しゅたっと屋根裏部屋からレオニスが現れた。
「・・・寝所に入り込む無礼、申し訳ありません」
下を俯き、礼を取るレオニスに、セイリオスは鋭く目を細めた。リリアの方は、多少驚いた様であるが、直ぐに落ち着きを取り戻し、彼らを黙って見詰めていた。
「・・・・彼女の手に当てたのはお前かい?」
「はい、大変申し訳無く存じますが、何分時間も無く、他に手がありませんでしたので」
「・・・何か入っていたということだね」
セイリオスは、杯を手にすると、匂いを嗅いでみる。特に、変な匂いはしなかった。次に、飾りのあった和金が入っている金魚蜂に、その酒を多少入れてみる。すると、途端に生き生きとしていた金魚は腹を上にし、ぷかりと水面に浮き上がってきた。それを見たリリアは、途端に青い顔をさせ、両手を口元へと持っていく。
「・・・そういう事か」
言葉少なげに、セイリオスは眉間に皺を寄せた。
「リリア?」
セイリオスが声を掛けると、彼女は青い顔をさせながらも、気丈にも大丈夫ですとはっきりとした声で返事を返した。意外な程気丈である御台所に、レオニスは感心した。皇族として、箱入り娘として育てられたと聞いていたので、その気丈さは本当に意外だった様である。
「・・・気にはしておりませんから。それに、助けて下さって有り難うございます」
レオニスによってなげられた、手加減をしたとは言え、多少痛むであろう手を庇う事もせずに、レオニスに笑みを浮かべ、礼を述べるほど姫君は気丈であった。将軍セイリオスは、その姫を本当に愛しそうに見詰めていた。
それから、その暗殺未遂は大事にされずに、だが、これから要注意とばかりに城への警護、またはローゼンベルク家への警戒がますます強まっていった。表立った証拠が今回は取れなかったという事もあり、いづれはローゼンベルク家とも決着を付けねと考える上様であった。一方、リリア姫の事を後程セイリオスがずっと前からの知り合いだと知り、何よりリリア姫の優しく人の出来た彼女の性格と合間って、ディアーナ姫は姉が出来たと真に喜び、仲良くなったという話である。尚、シルフィスが見掛たエルディーアなる女も何処か(いづこか)へ姿を消していった。
取り敢えずは、表面上の平和が保たれた様である。
続刊