甘い接吻
〜時代劇浪漫譚妖恋話−其之八〜
(Written by まりあ さま)
〜大奥擾乱一の段〜
クライン城本丸にて、時の将軍セイリオスが着流し姿で脇息に肘を突きながら、寛いでいた。
何時もきちっとした身のこなし方をする将軍にしては着流しの為か、多少ゆうるりと胸元が開き、若い女子(おなご)がその場に居たらその艶姿に暫し見惚れる処である。
「・・・大奥に?」
北町奉行シオン=カイナスは、いつも下町では遊び人として着流し姿とは全く別に、高級武家が殿中における礼装、長裃姿で座している。だが、何時もと違った怜悧な雰囲気の彼であるが、遊び人と今の彼がどちらが本当の彼なのかは誰にも知らぬ処であろう。
「・・・ああ、少々気になる事がある」
セイリオスは、政治家の顔をさせながら、笑みを浮かべた。それから、脈を診ている御殿医キール=セリアンの方に目を向ける。キールは、下町の診療所の医師であるが、その優秀な評判の為に時折将軍の具合を診ているという訳だ。彼の同僚メイと同じ様に表向きはその様な顔をしているが、その実彼の正体も隠密である。が、特に薬草に詳しく、影で暗躍する黒髪に青い瞳の隠密とは違い、全般的には薬の調合もしくはそれに関する調査等を主に仰せつかっていた。
「・・・・どうであろうか?」
セイリオスが尋ねると、眼鏡に隠された閉じていた翡翠の瞳が見開かれる。
「・・・脈が少し。ですが、案じられる事はありますまい」
テキパキとした身のこなしで、自身が持ってきた道具の中から丸薬をとり、それをお側付に渡す。
「私が調合した薬です。もし、痛む様でしたら、お飲み下さい」
「・・・ありがとう」
セイリオスは、裾を直す。高貴なる身分にしては礼をわきまえたこの将軍に、キールはいいえとだけ言葉少なく返す。キールは、下の席へと移動する。セイリオスは、人払いをすると、彼ら三人のみに相成った。
「ん?何の薬だ?」
「胃薬です」
キールが率直に返すと、シオンは苦笑する。セイリオスは、眉を顰め、咳払いを一つ。
「何処ぞの誰かのお陰でね、私の繊細な胃は痛んで仕方が無いのだよ」
「ほう、何処ぞの誰か・・・ね」
シオンは、目を細め、将軍を見遣る。キールは、狸の騙し合いとばかりに二人を呆れた様子で眺めていた。
「・・・して、上様。何故に大奥に?」
シオンは、にやりと遊び人の顔をちらりと垣間見させ、旧き御学友である将軍に問い掛ける。
「・・・席、外しましょうか?」
キールが気を利かせて、すっと席を立ちあがると、セイリオスが留めた。
「いや、構わないよ。君にも、関係のある事だから」
嫌な仕事になりそうだ、と内心キールは思いながらも、その場に座り直す。それを横目で確認しながら、セイリオスはシオンに話を続ける。
「ローゼンベルク家の動きが微妙に妖しい。それが気がかりでね」
ローゼンベルク家とは一代前の将軍から分家した一族であり、将軍セイリオスの親戚に当たる。一代前にもめた権力の火種となり、今も常に将軍の地位を狙っているという噂が後を立たなかった。
「・・・近く大奥で騒がしくなるだろう。その機を狙って何かある様な気がしてならない」
将軍は、怜悧な菫色の瞳を細め、何かを案ずる様に吐息を吐いた。シオンは、それを聞いて、にやりと口の端を吊り上げた。
「・・・となりますと、取って置きの隠密を派遣しなければなりますまい」
「・・・かの者か」
セイリオスは、シオンのその言葉にすぐさま反応する。
「どういたします?」
「・・・毎度悪いとは思うが、彼らは優秀だからね。宜しく頼むと言っておいてくれ」
「承知」
シオンは頭を深く下げる。キールは、その該当者が誰であるか、すぐさま分かり、お気の毒にと自分ではない、かの者達を珍しく案じた。
骨董屋は今日も繁盛をしていた。その店の若旦那こと、その実クライン家お抱え間者レオニス=クレベールは、奥に来た男の顔を見るなり、眉間にむっつりと皺を寄せたままである。その若亭主の横で、控えめに座する娘は、彼の婚約者であり、今はまだ奉公人の身であるシルフィスが居た。
「つーわけだ。上様直々の勅令だ」
若亭主に機嫌を損ねさせる人物は、先に出てきたシオンである。城に居た時とは違って、彼は下町のいつも様相の着流し姿であっけらかんと言い放った。
「・・・分かりました」
「・・・あの、旦那様?」
途中で来たシルフィスは、一体どういう事であろうか、と訝しそうに夫となる恋人を見遣る。
「お前さんが、大奥に入るっていう話だ?」
レオニスが応える前に、シオンがさらりと言い流した。レオニスの眉根がまたぴくりと動く。
「お、大奥入り!?」
シルフィスは、翡翠の目を見開いた。今回の任務は、城に潜入せよというのか。シルフィスは、驚きのままにレオニスを見詰める。
「・・・そういう事だ」
吐息混じりに、レオニスは短く応える。将軍に仕える身とはいえ、よくもまあ何度も厄介事、もとい、仕事を押し付け・・・もとい、任命して下さるものだ、とレオニスは、内心恨み言の一つでも言いたくなった。それだけ信用されていると言えば、信用されているのかもしれないが・・・。どうも人使いの荒い上様にも困ったものである。
「・・・でも、どうして?」
「近々上様に宮の姫君のお輿入れが決まっている。知っているか?」
「えっと、はい。お噂は聞いた事があります」
「その姫君の護衛をしてもらいたい」
シオンが悪びれもなく、飄々とした顔で言い放つ。それから、シオンの前に差し出された茶を一気に飲み干し、ぽつりと一言。
「・・・それにしても、茶が不味い」
「私が煎れたお茶では、お気に召してもらえないでしょうか?」
これまたこちらも容赦無く言い放つ若旦那。シルフィスは、困った様に相互を見遣る。
「それほど怒る事でもあるまい?・・・きちんと用意はしてある。万が一の為にも、お前さんの力を借りるかもしれないからな」
大奥は将軍以外、男性禁止である。入り込めるものは限定されてしまう。つまりは裏から入れと言う事であろう。シオンの言葉に、レオニスは何も応えずに茶を啜った。
「・・・という訳でよろしくな」
遊び人はにやりと笑みを浮かべ、何やら腕を袖の中に文を取り出し、レオニスに渡すとそのまま立ち去った。シルフィスは、レオニスの方を黙ったまま見詰めていた。
その夜、シルフィスは緊張の為に眠れなかった。大奥などという未知世界で果たして自身はきちんとお役目を果たせるものだろうか。初めての大役でもあり、彼女は極度に緊張していた。眠れもせずに、心もとない油菜の行灯をぼんやりと眺めていた。
「シルフィス、起きているか?」
そこに、レオニスの影が障子に映し出された。シルフィスは、夜着の胸元を直し、銅鏡で髪の乱れを慌て直し、返事をする。
「はい、旦那様」
「入るぞ」
レオニスが障子を開けると、シルフィスは文机に本を載せ、呼んでいる後ろ姿が目に入った。
「本を読んでいたのか?」
「え・・・、はい。少しでも教養を身に付けないと今度の場所ではそれこそ何が粗相があっても参りませんし」
振り向き、シルフィスは笑みを返した。何処か不安そうに見えるのは、行灯のせいばかりではあるまい。
「・・・不安か?」
手繰り寄せる様に、シルフィスの髪に手を伸ばすと、彼女の肩がぴくりと揺らいだ。そのまま、レオニスは彼女を自分の方へ抱き寄せ、顎を自身の方に上向かせる。戸惑いの色を見せた翡翠の瞳と顔が、朧げな光の下(もと)に曝け出された。
何もかもお見通しなのだろう。シルフィスは、素直に主人に今の心情を告白する。
「はい。私の様な無作法者には、『大奥』という世界もよく分かりませんし・・・それに」
任務とは言え、何より愛する人と離れて過ごすこの寂しさは心もとない彼女には言い知れぬ不安をより煽る事になる。
「・・・今回のお役目。確かに難しいかもしれないな。だが、お前だからこそ、上様は頼んだのかもしれない」
「・・・まだ修行の身の様な私にですか?」
身じろぎをしながら、シルフィスはレオニスを見上げた。
「それだけ、信用されているという事だ。案ずるな」
彼は、安心させる様に笑みを浮かべ、そっと桜色の小さな唇に自分のそれを落とした。
「・・・万が一は、私も力になろう」
去り際に、シオンが手渡した文の中にセイリオスの認められた文と共に裏ルートで大奥に直接侵入出来る地図が入っていたのを、レオニスは思い出していた。
「さあ、今日は遅い。もう寝るがいい」
優しく抱き締め、レオニスが言うと、シルフィスは小さくこくりと頷いた。その愛らしい仕草がレオニスの何かを刺激したのか、彼の瞳に行灯とは違う光が放たれた。
「・・・それとも、暫しの間、肌寒い思いをするかもしれぬ。暫しこうしていようか」
言いながら、シルフィスを既に用意してあった布団の上へと投げ込んだ。
「え?!きゃっ。だ、旦那様〜〜っ!?」
不意に宙に浮いたかと思うと、軽い痛みと共にレオニスの巨体がシルフィスに覆い被さった。
あ〜れ〜といわんばかりの早業に、若旦那は若き娘の衣服を剥ぎ、そのまま行灯の火も気にせず、今夜の肴を楽しみ始めた。
こうして、一人のうら若き娘のクライン城大奥入りが決定したその夜は、寝ても覚めても黒い髪の男の懐から離して貰えなかったという話である。
続刊