甘い接吻
〜時代劇浪漫譚妖恋話−其之九〜
(Written by ミシェール さま)


 
シルフィスのもとに付け文がされた。近所の子供が届けてきたのだ。
内容は簡単に言えば、次のようなものだった。
重大な用件があるので、本日のこれこれの刻、これこれの茶屋秋月に来て欲しい。若旦那も承知のことだから、誰にも知られないように。
秘密めかした内容よりもシルフィスを驚かせたのは、その差出人だった。
中村座のイーリス。先日上方から下ってきた若女形で、江戸でお目見得したばかりだった。
シルフィスもこの間、姫のお供で一座を訪れた折、その美しさのうっとりしてきたのだが。
(今ご城下で評判の役者さんが、どうして私に?)
役者から茶屋に呼び出されたら、普通なら色恋沙汰を連想して、舞い上がったり怖じ気づいたりするのだろうが、そこはシルフィス。
(旦那様のお仕事かな?)
そういえば旦那様は今日は仕事で帰りが遅いはず。若旦那も承知、の一文から、表か裏かわからないがとにかく仕事なのだろう、とあさっり納得すると、店閉まいの後、宵の町へと出かけていった。
誰にも知られないように、とのことだったのに、お店の奉公人には不似合いな場所を一人歩く姿を、旧知の魚屋の少年に見られていたとは気付いていない。
 

秋月で訳知り顔の女中に案内されたのは、離れの一隅。
高級そうな店の拵えに、場違いな思いを味わいながら襖を開けると、
「いらっしゃい。来て下さって嬉しいですよ」
初対面の挨拶と共に、イーリスがにこやかに出迎えてくれた。
若旦那もいるかと思ったが、上座にいたのはシルフィスの見知らぬ、町人髷の神経質そうな男だった。
「これがその娘だというのか」
仕立ての良い着物の割には優雅さのない物腰で、不機嫌さをあからさまにして話すその男に、イーリスは少しもたじろがない。
「その通りです。シルフィス、こちらは札差の天河屋さんですよ」
「はじめまして」
丁寧に手を付いて頭を下げたシルフィスだが、話がさっぱり見えてこない。
「なかなかの器量よしでしょう? それに気立てもいいんですよ」
イーリスが言っているのは自分のことらしいが、知合いでもないのに、と首をかしげる。
「だがまだ子供じゃないか」
「さあ。愛らしい娘さんですがね。子供かどうか」
(子供じゃないって、何のことだろう)
さすがのシルフィスも、なんだか危ない会話のような気がしてきた。
よく見てみれば、天河屋の目つきは悪いし、イーリスはまるで舞台上かのように自分に流し目を送っているような気がするし、とにかく居心地が悪い。
旦那様はどこにいらっしゃるのだろう。もしかしたら自分は大変な間違いをしてしまったんじゃないだろうか…。
天河屋は苛々と扇子を右手で弄んでいる。
「お前さんがこんな小娘に執心だなんて、信じられないね」
「今のところ、一方的に私の片想いでして。そういうわけで、申し訳ありませんが、せっかくの旦那のご厚意、お受けすることはできないんですよ」
「そうかい。……ここまで私を虚仮にしておいて、ただで済むとは思っていまいね」
それまで堪えていたものがぷっつりと切れて、天河屋は大声を上げた。
「お前たち、やっておしまい!」
とたんに廊下に殺気が立ち込め、蹴倒された襖と共に、室内に流れ込んできた。
白木造りの鞘に収められたままの刀を左手に立っている大男の発する気は、紛れもなく修羅場のそれであった。
「ひいっ!……だ、誰だ!」
天河屋の予定では、自分の用心棒が三人ばかり、入ってくるはずだった。
だが、殺気を発してそこに立っているのは、見ず知らずの大男だった。
「旦那様!」
「……言い忘れてましたけど、この娘さんには恐い情人(いろ)が付いていましてねえ。私も難儀しているんです」
予期せぬ闖入者の足元に倒れる用心棒を見つめて腰を抜かしている天河屋に向かって、イーリスは悠然と微笑む。
「私に関わっていると、天河屋の旦那も、どんな巻き添えを食うかわかりませんよ」
その言葉に天河屋は真っ青になった。
目の前の着流しの男がシルフィスをかばうように立つ様は、どう見てもヤクザ者だ。
まだ刀こそ抜いていないが、イーリスと自分を睨む、その目付きだけで殺されそうだった。
「わ、わたしだって命は惜しいからね。イーリス、あんたの贔屓もここまでだよ。今までのこともなかったことにしておくれ」
本人は精一杯の捨て台詞のつもりだったのだろうが、へっぴり腰で逃げながら言っても迫力がない。
表向きはにこやかながら邪険な扱いで天河屋を送り出したイーリスは、襖を閉めると、相変わらず凶悪な人相で立っている男に向き直った。
「筋書き通りです、骨董屋の若旦那。さすが、千両役者といったところですね」
「……どういうおつもりです、イーリス殿」
レオニスの低い声を聞いたシルフィスは首を竦めた。旦那様、怒ってらっしゃる…
「天河屋の旦那が、世話をさせろとうるさいので、ちょっとね」
ご自分が陰間好きなのは結構ですが、私にそういう趣味はないので、と息を吐くイーリス。
「羽織も着ないで飛び込んでくるなんて、よほどこの娘さんを大切にしているんですね」
「……なぜシルフィスを利用した」
事と次第によっては、という構えを崩さないレオニスに、イーリスは動じる気配もなく、
「あなたにお会いしたかったからですよ。この娘さんにちょっかい出せば、本気のあなたにお目にかかれると思いまして」
そして上方中の娘を失神させたという涼し気な声で付け加えた。
「ここで騒ぎを起こしたら、お困りになるのはあなた方ではないのですか」
「…………」
しばし無言のままイーリスの目を見つめていたレオニスだったが、ふっと警戒の色を解くと、
「いずれまた会うこともあるでしょう」
そう言った後はもうイーリスを見ようともせず、
「帰るぞ」
座り込んだままだったシルフィスを無理矢理立たせると、肩を抱いて出ていってしまった。
一人残されたイーリスは、謎めいた微笑を浮かべて、手付かずだった盃に手を伸ばす。
「払いは天河屋ですからね。残すなんてもったいない」
 

夜道を無言で歩くレオニスの隣りで、シルフィスは件の付け文を見せて謝っていた。
「申し訳ありませんでした。てっきり仕事のことかと思ったものですから」
「……仕事のことなら私が直接言う」
こんな風に怒っていても、旦那様は私が困った時にはいつでも来てくれるんだ、と思うと嬉しかった。
「あの、一つ伺ってもいいですか?」
「なんだ」
「イーリス様が言っていた『いろ』って何のことでしょう?」
「知らないのか……では今晩これから教えてやろう。そしてもう他の男の文で出掛けたりしないと約束するんだぞ」
こうしてまた、眠れない夜を過ごすシルフィスであった。

(おわり)
 
 
 
 
 


 
作者の言葉

甘くない。けど気にしない。
シルフィスが他の男と同じ座敷にいると、必ず若旦那が乱入してくる、というパターンを意識して書きました。
永遠のワンパターンこそ時代劇の美学。
イーリスがわけありげですが、裏設定はありません。裏の世界に通じてないと、役者さんも生き残れないってことで。(逃げの姿勢)
 


 
感謝の言葉

甘くない……か?(笑)
最後のレオニスとシルフィスの会話は十分妄想させるものだと思うのですが……。
イーリスのがめつさと皮肉な口調が活かされていて面白いです。女形……はまり役ですね(^^)。
他人の奢りなら酒一滴も残さずというその性格がとても好きだ(笑)。
きっとその美貌を武器に自分の金は一切出さず飲み食いしているのではないだろうか……と思うのは私だけでしょうか?
初投稿ありがとうございました〜。
 

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