甘い接吻
〜時代劇浪漫譚妖恋話−其之十〜
(Written by 沙月 さま & さわ さま)


 
大工仕事の帰り道、熊さんは足を止め、にやりと笑った。
「お、今日は運がいいねぇ」
遠目にも目立つ金髪のシルフィスが、向こうから歩いて来たのである。
「シルフィスちゃ……おっと」
声をかけようとして、その隣を歩く長身の男に気付いた熊さんは慌てて口に蓋をする。
「ちっ、骨董屋の若旦那と一緒かぁ。ということは、仕事のお供なんだな」
会則を心の中で反芻して舌打ちをする。

一、彼女の仕事を邪魔するべからず。

つい出来心で会則を破った者の末路を思い浮かべ、熊さんは身震いする。
先日も、会員No.21の八百屋の太一が、おつかい途中のシルフィスに声をかけ、
その夜、仕置き人と名乗る謎の男に全治一ヶ月の大怪我を負わされたのだ。
「しかし、遠くで姿を見るだけというのも、空しいもんだよなぁ」
仕事中でなければいいか、といえば、

一、抜け駆けの誘いを許すまじ。

などという会則もあるのだ。
しかし、会に入っていなければ、月に一度の茶会にさえ出席できないし、彼女に近付く機会もない。
会……シルフィスふぁんくらぶという。
器量よしで性格のいいシルフィスを崇拝する男たちの会、である。
いつ、この会ができたのかはわからない。
謎である会員No.1の会長は、かなり身分の高いものであるとの噂も聞く。
なんでも、旗本の三男坊であるとかないとか。
シルフィスと仲良くしたい男は、まずこの会に入らねばならない。
要するに、会員数三十数名を誇るシルフィスふぁんくらぶ会員がお互いに牽制し、
彼女に近付く者を見張っているのだった。
もちろん、逢引などもってのほかである。
「ふぁんくらぶに入会して三ヶ月……シルフィスちゃんにもっと会って話してえよなぁ」
ちなみに熊さんは会員No.15である。
熊さんは頭が焼き切れるかというくらい一生懸命考え、ある計画を練った。
 
 

「さーて、今日はどうしようかな」
今日、シルフィスはお休みの日である。
何処かにでかけようかと店を出たものの、店の軒先で思案する。
大旦那の「若い者が休みに籠もっちゃいかん」という方針で、休みの日には必ず出かけなければならないのだ。
「メイ、は今日休みじゃないし……うーん」
そこへ、大工の熊さんが偶然を装ってやってきた。
丁度シルフィスが店から出てきたので、
(こいつぁ幸先がいーや。今日はうまくいきそうだぜ)
と思いながら、熊さんはシルフィスに声をかけた。
「やぁ、シルフィスちゃん、今日は休みかい?」
もちろん、休みであることはちゃんと調べてある。
「あ、熊さん、こんにちは」
月に一度、お茶を習っているシルフィスだったが、その茶会仲間である熊さんに
にっこりと笑いかけながら彼女は言った。
「おでかけですか?」
「おうよ、と言いてぇところだが、中止なんだよ」
「どうかしたんですか?」
「芝居を観に行こうと切符を取ったんだが、一緒に行くはずの奴が風邪で寝込んじまってな。
一人で行くのも味気ないから止めようかと思うんだ」
「お芝居ですか。私も好きなんですよ。何を観に行かれる予定だったんですか?」
「四季座の『猫』だよ」
「え? 『猫』ですか! 切符取るの大変だったでしょう? いいなぁ」
「おや、シルフィスちゃん、観たいのかい?」
これも熊さんは下調べ済みである。
「じゃあ、切符をもらってくれると嬉しいんだがねぇ」
「いいんですか?」
「ああ、俺と一緒が嫌でなければ、行ってくれるとありがてぇ」
「じゃあ、お言葉に甘えて、行かせていただきます」
「おう、じゃあ行くか」
上手くいった、と熊さんは心の中で思いながら、シルフィスと並んで四季座へと歩いていった。
 
 

「楽しかったです、熊さん。ありがとうございました」
江戸で今一番の人気スポットと言われる店でお茶と団子を食べながら、シルフィスは
無邪気に熊さんに礼を言った。
「いいってことよ。こっちも切符が無駄にならずに助かったぜ」
今日一日シルフィスとでぇとしたことで、熊さんは上機嫌だった。
一緒に芝居も観たし、こうして二人でお茶も飲んでいる。
しかし、その熊さんの幸福を破る男の声。
「シルフィス?」
骨董屋の若旦那だった。
「あ、旦那さま。こちらの方に来られるなんて珍しいですね」
「出先からの帰りだ。疲れたので少し休もうと思ってな。おまえこそ、こんなところで会うとはな」
「熊さんが切符を譲ってくださったのでお芝居を観てきたんです」
「そうか、それは良かったな」
ちらり、と熊さんにレオニスは視線を走らせる。
ぞくっ、と熊さんは背中に冷たいものを感じる。
なんだか不吉な予感がした。
そういえば、お茶会の主人はこの男なのだ。
お茶を嗜む風流人の彼は、ただの講師として参加しているのかと思っていたが……。
謎の会長とは、噂の旗本の三男坊などではなく……まさか。
青ざめる熊さんに、シルフィスは不思議そうな顔で訊ねる。
「熊さん? 顔色が悪いですよ」
「そうだな」
すっと、様子を見るふりをして、レオニスは熊さんに近付く。
額に手を当てながら、シルフィスには聞こえないように小声で囁いた。
「覚悟のことだな」
「!!」
やはり、と熊さんはますます顔を青くした。
そして、ふぁんくらぶ設立の意味も悟る。
(こ、怖い男だ)
熱くもないのに、熊さんの額にじっとりと汗が浮かんだ。
「シルフィス、熊さんは気分が悪くなったようだ。もう帰っていただいたほうがいいだろう」
フッ、と笑うレオニスに、熊さんはいよいよ体をがたがたと震わせる。
「そうですね。お送りしましょうか?」
心配そうなシルフィスに、熊さんは顔の前で手を忙しなく振る。
「い、いえ。大丈夫ですっ。一人で帰れますっ」
飛び上がるように席を立ち、暇の言葉もそこそこに、熊さんは去っていった。
「大丈夫かなぁ。熊さん、お友だちの風邪でももらったんじゃないかなぁ」
男たちの間に流れた凍り付くような雰囲気に気付かず、本気で熊さんの体調を心配するシルフィスだった。
「大丈夫だろう、あれだけ元気に走ることができれば。もっとも、しばらく寝込むかもしれないが」
「早くよくなるといいですね」
何も事情をしらないシルフィスは、しみじみと言った。
「では、私たちも帰ろう」
「そうですね。ねえ、旦那さま。楽しかったんですよ、お芝居。猫がこう、ぽーんと飛んで……」
芝居の楽しさを話すシルフィスと歩きながら、レオニスは優越の笑みを浮かべ、
彼女の背中にさりげなく手を回した。

長屋に帰り、頭から布団を被った熊さんは、ふと思い出して頭を出した。
手を伸ばし、戸棚から巻いた紙を取り出す。
シルフィスふぁんくらぶ会則と書かれた紙を広げ、熊さんは唸った。
ふぁんくらぶの会則の条項の一つに続いて、妙に気になる空白があるのだ。
きっと、こんなかっこ書きがあぶり出しになっているに違いない。

一、彼女に触れてはならない。(但し、会長はその例外とする)

あまりに怖い考えだったので、熊さんは紙をあぶるなどということはしなかったが。
 
 

おしまい
 
 


 
感謝の言葉

熊さん………また若旦那レオニスの犠牲者一人(笑)。
ふぁんくらぶ創設の真意は闇に葬ったほうが世間のためですね。ギャグ路線見事ツボにはまりました(笑)。とっても楽しい創作をありがとうございます。
 


 

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