甘い接吻
〜時代劇浪漫譚妖恋話−外伝其之一〜
(Written by まりあ さま)
〜上様お忍びの巻〜
弐之段
骨董屋の若旦那は、何時もの様に実直に仕事をこなしつつ、愛する娘を手玉に取りながらも幸せな一時を送っていた。そこに降って沸いて出るの不幸。彼を敵に回す事は如何に恐ろしい事であるか知っている者は知る処であるが、人使いの荒い上様にはさしもの彼も毎度利用され、叶わない際重要人物の一人である。そして、若旦那の平和を乱すのが、今回も例に漏れず時の将軍セイリオスであろう。だが、その前にまた平和を荒らす者がいた。
「シオン様」
若旦那は、無表情でありながらも、何処か怒りのオーラを垣間見させている。目の前には、北町奉行でありながらも、下町の通り名では「遊び人」であるシオンが居た。そして、何よりも気に食わないのは、愛しの娘に好きあらば手を出そうとするこの輩である。骨董市へいこうと、その実裏では表立たない様に逢い引きをしようとしていた処に、かの者に捕まってしまった。
「何をそんなに不機嫌そうにする必要がある?俺はただ若旦那達に挨拶しに来ただけだぜ?」
お偉い方の筈なのに、何処でいつ仕事をしているのかさっぱり掴めない北町奉行を、若旦那は黙ったまま眼光鋭く睨み付けた。
「旦那様」
奉公人シルフィスは、まだ何もされてはいないのだから、それにレオニスが守ってくれるだろうという安心感からかそれほど心配には思っていなかった。ただ若亭主の機嫌が幾分か優れない事に心苦しそうに彼を見ていた。全く暇人なのかそれとも、ただちょっかいを出すのが好きなのかは未だに不明であるが、いい加減にして欲しいというのは矢張り思うのが人の人情というものだろう。だが、相手はそんな事を当然顧みてくれることは決してなかった。
「今日の逢い引きは何処だ?」
「逢い引きではありません。骨董市に行くのです」
きっぱりと言い返しながら、慇懃無礼に瞳は帰れと鋭い光を放つ若旦那に、遊び人は尚も絡んでくる。
「ふむ、骨董市ねぇ」
からからと笑う男を叩き切ってやろうか、と考えたかどうかは定かではないが、レオニスはその値踏みする様に恋人を見る遊び人を敢えて無視することに決め込んだ。
「それでは、これにて失礼致します。・・・シルフィス、いくぞ」
「あ、はい!」
かなり怒っている様子で、大股足ですたすたと歩き始める若亭主に、シルフィスは慌てて小走りに追い掛ける。だが、どんなに猛スピードで歩いたとしても、遊び人はぴたりと付いてくるではないか。
「何かご用ですか?」
スピードを一切落とさずに恋人を防御しつつ、流れる人の群れをその身のこなしの良さで器用に避けながら、若亭主は後を付いてくる遊び人に尋ねた。
「いや、たまたま同じ方向なだけだろう?」
あっさりと言いながらも、こちらもスピードを緩めずに追付いてきた。
「そうですか」
(・・・・旦那様達、凄いなぁ)
シルフィスは、レオニスの後を付いていきながら、呑気に考えていた。身のこなし方は流石はレオニスだと愛する人を真に感心していた。そういうシルフィスも、他の者に比べ秀でているのに気が付いていないシルフィスである。
何故か不毛な事をしているかの様に思えたその時である。
「シオン様!」
いきなりの叫びと共に、シオンに誰かが正面から抱き着いてきた。それにはレオニスも、シルフィスも驚き、大きく目を見開かせた。シオンの方は、顔がげんなりとしたものへと変質していった。
「お会いしたかったですわ。ここで会えたのは百年目です!放しは致しません!」
シオンにひしっと抱き着くは小さな女子(おなご)であった。齢は見るからに十くらいであろうか、町娘の服装をした愛らしい、少々吊目がちの美少女であった。
「・・・・ミリエール」
彼は、もはやどうにでもなれとばかりに呆れた様子で彼女を見下ろしていた。
「ひどいですわ。わたくしを置いて、何処かにいってしまうんですもの!シオン様の馬鹿、馬鹿馬鹿っ!」
ミリエールなるが娘は、そう言いながらシオンの胸に小さな拳で何度か叩いた。シルフィスやレオニスは、ますます目を丸くさせた。暫く事の成り行きを見守っていたが、シオンが珍しく慌てる様子が見れるので中々それは見物だった。
「失礼ですが・・・シオン様」
「・・・なんだ?」
レオニスの瞳が細められる。いやな予感がするとシオンは思った。
「・・・隠し子ですか?」
「違うっつーの!」
矢張り、予想に違わず間髪を入れずに突っ込みを入れてくれた。シオンは、余りの反応に苦笑さえままなら無かった。
「何方ですの?」
ミリエールも、その時やっとレオニス達の姿に気が付いた様だ。いや、とっくに気が付いていて、敢えて無視をしていたのかもしれない。
「ああ、こっちは骨董屋の亭主で、その横に居るのはその奉公人」
至って単純に説明をするシオンとは裏腹に、ミリエールはレオニスとシルフィスを値踏みするかの様に下から上まで全身を隈なく見定めた。特に、シルフィスは念入りに。シルフィスは、何だか良く分からずに首をちょっとだけ斜めにする。
「・・・そちらは?」
レオニスが言葉少なげに尋ねると、シオンが何か言う前にミリエールが飛び出す様に自己紹介を始めた。
「わたくし、ミリエールといいまして。シオン様の許婚ですわ」
「・・・・いい・・・なず・・け・・・」
レオニスとシルフィスの疑いの目線がシオンに浴びせ掛ける。辺りが寒々としていく感じを誰もが感じとった一瞬である。
「だーっ、ちがう!こら、レオニス、なんつー目で俺を見ている。それに、シルフィスもだっ!」
「あ、す、すいません」
「・・・シオン様。それならそうと早く申して下されば良かったのに、水臭いですね」
慌てて謝るシルフィスに対し、レオニスの方は笑えぬ冗談を真顔で言い出す始末だ。シオンの方も、流石に今日は降参だという感じである。
「ミリエールは、そんなんじゃねぇの!」
詳しくは説明したがらずに、シオンはミリエールを取り敢えず引き剥がす。
「んじゃあ、今日はこれで失敬するぜ。じゃな、シルフィス、レオニス」
「あ、待って下さい!シオン様!」
シオンが逃げ出すと、ミリエールは叫びながら、追い掛けた。レオニスもシルフィスも、その後ろ姿を呆れた様に見送った。
「・・・本当に、彼女はシオン様の許婚なんでしょうか?」
「いや。大方違うだろう。たが・・・」
そこまで言い掛けて、レオニスは言葉を呑み込んだ。ただの追っかけにしては幾分納得の行かない部分があったが、今のレオニスには関係の無い事であった。
「旦那様?」
訝しがる少女に、レオニスは何でもないと応え、少女の肩に手を置き、先へ行こうと促した。
「・・・・漸く市に着いたな」
ここまで来るのに散々な目にあったものだとばかりに、レオニスは重たい吐息を吐き出す。考えてみれば、シオンのせいでここまで来るのが時間が掛かってしまった。
「さて、シルフィス。行くか」
「はい、旦那様」
恋人を漸くゆっくり出来るとばかりに、レオニスもシルフィスの笑顔に顔を綻ばせた。骨董市は、一般的に寺の中で行われる。参詣参りのついでに立ち寄るものや、または骨董市それ自体を楽しみにして、参詣するものも少なくない。
「掘り出し物が見つかればいいのですけどね」
「そうだな」
表の仕事である骨董の仕入れもかねてここへ来たのだが、骨董市は思った以上に賑わいを見せていた。
シルフィスは、様々な壷、花瓶等を真剣に食い入る様に見ていた。流石は奉公人である為か、真面目に一つ一つを眺めていた。そんな真剣な彼女を見て、若旦那は目を細め、暫し彼女の様子を観察する事にした。
「・・・旦那様。あれは・・・」
不意に、シルフィスが顔を上げ、呆然としたかの様にとある方向を見遣る。
「・・・・・・」
レオニスの顔が一気に破顔した。もはや今日は運が悪いといい様が無かった。向こうから、人通りに紛れても、尚も分かるその姿。先方も、どうやら気が付いた様だ。一人は戸惑った様に止めるように促していたが、一人はそれに構わず手を取り、引っ張っていった。結局の処、一直線に若旦那達の元へやって来た。そして、彼らの目の前に現れたのは・・・。
「やあ、お前達か」
素知らぬ顔をしながら、挨拶をする貧乏旗本の三男坊の風来をした上様と、
「・・・こんにちは」
大変心底申仕分け無さそうに武家の娘の格好をしている御台所であった。
続刊