甘い接吻
〜時代劇浪漫譚妖恋話−外伝其之一〜
(Written by まりあ さま)
〜上様お忍びの巻〜
参之段
骨董市の場所から少々離れた茶屋で、暫し御休憩する事になった旗本三男坊の格好をした上様夫婦とそれに付き従う骨董屋の若旦那とその奉公人という少々異色の取り合わせ。
「これは一体どういう事でしょうか?」
レオニスは、感心しないとばかりに上様を見遣った。セイリオスは、悪びれた様子もなく、茶を啜っていた。
「君達と今日は関るつもりは無かったけどね?顔を見たら、挨拶するのが道理かと思ってね」
しれっと応える上様に、若旦那は眉を寄せた。そうはいかないとわかっているくせに、全く参った上様である。シルフィスは、お茶も進まずに二人のやり取りを不安そうに見詰めていた。
「・・・責めないで下さい。わたくしの為に、こうしてお連れ下さったのですから」
そこまで黙ってセイリオスの側に控えていたリリアが口を開いた。
「・・・・ですが」
だが、レオニスは奥方にはどうやら逆らえない様だった。リリアのコバルトブルーの瞳は純粋であり、相手を気がねしつつ上の者と弁えつつも頑固でもあった。ただの姫君とは一筋縄ではいかない様である。流石は将軍の妻であるか。その心意気に、レオニスの方も折れた。
「わかりました。奥方様の言う通り、何も申しますまい」
「すまないね」
溜め息交じりにいうレオニスに、上様セイリオスは屈託無くやはりまだ悪びれた口調で応えた。リリアが咎める様にセイリオスに視線をやる。
「まぁ、今日は本当に君達の邪魔をするつもりは無いから」
あくまでも今日は私用という事だからと言外に言うと、セイリオスは席を立ちあがり、リリアを伴っい去っていった。リリアは、最後までお辞儀を忘れずにレオニス達に頭を下げた。
「・・・旦那様」
あのままでいいのですか、とシルフィスが目線で尋ねると、レオニスは、黙ったまま上様達を見送った。だが、その瞳はとてもじゃないが、そうは肯定していなかった。
結局の処、骨董市に戻った上様夫婦の後を追い掛ける事になってしまった。まさかとは思うが、何かあっては大事と気が気でない、人情家のレオニスはシルフィスと共に行く事になった。
「・・・・とても幸せそうですね」
人込みの中、リリア姫とセイリオスは、まるで迷わない様に手を繋ぎながら色々と眺めていた。その似合いの夫婦の姿は、シルフィスが一番描く憧れに近く、何時か愛する人をあういう事が出来ればと思う程ぴたりと相違無かった。多分夢見る女の子なら誰でも描くであろう夫婦像がそこにあった。
「セイル様、あれは・・・」
リリアは、珍しくやや幾分頬を紅潮させながらまるで少女の様に骨董を夢中になっていた様だった。
しゃがみ込むと、店先の者とも親しげにリリアは話し出す。将軍は、それを愛しそうに見詰めている姿は本当に妻を愛するそれであった。そんな彼は、奥方が夢中になって話をしている隙を見て、とある処へ向かった。
「矢張り、付いてきていたか」
彼は、レオニス達の前に再び立った。
「そうさせたのは貴方様ではありませんか?」
「さて、私は何も言っていないよ」
レオニスは、素知らぬ顔をする将軍に呆れてものが言えなかった。
「まぁ、そんなに怒るな」
言いながら手で制すると、セイリオスは笑顔だった表情がなりを潜め、真剣味の帯びた表情に変わった。
「・・・リリアは何も知らないのだよ。この城の外も出た事も無いし、ましてや都でも奥に篭り、得た知識は書物と人に聞いた話だけだ。私はね、彼女にこうした直接の機会も与えてみたかったんだ」
確かに宮の姫君とあらば、滅多に自由は利かないだろう。今の立場としても、そうそう滅多に物に直接触れる事も体験する事も普通の者の様に出来る事が極端に少ないだろう。だが、逆を言えば、上に立つ者としてそれは当然の事であるかもしれない。ただ今回の事態は、リリア姫自体が直接表に出たいとは言っている様にも思えない。寧ろ、セイリオスが仕組んだ事なのだろう。
「人の暮らしを知る事によって、得る物も多いと思うしね。賢い人だと思うが、そこを逆に奢らないとも言いかねない」
彼は目を閉じ真剣に言っていた。そこまで考えているのは流石は天下人としての器量を持っている将軍であった。レオニスは、感心した様に目を細めた。
「それにね、何よりも彼女の幸せな顔を見る事が出来るのはいいと思うよ」
セイリオスは、目を閉じ、笑みを作っていた。それはある意味他の人から見ればのろけともいう。
レオニスは、一瞬感心したのが馬鹿らしいとまでは思わなかったが、敢えてそれ以上何も受け答えをしなかった。
「・・・?」
そこに、シルフィスがレオニス達の話を黙って聞いていたが、何時の間にか彼女の顔が驚きに変わっているのに、若旦那は気が付いた。
「どうした、シルフィス?」
レオニスが尋ねると、シルフィスの視線の先を追う。そこは先程リリア姫が居た場所であったのだが、彼女は居なくなっていた。セイリオスは、しまったとばかりに目を見開く。
「・・・上様」
「まずいな」
レオニスが目線で将軍を見遣ると、彼は髪をぐしゃりと掻き揚げた。
「またやってしまった様だね」
前回の騒動の時、ちらりと聞いた迷子という自体が起こってしまった様である。
「・・・とりあえずは手分けして探しましょう」
レオニスが言うと、シルフィスはでは、向こうをと走り出す。セイリオスも、顔色を変えながら、妻を捜しに駆け出した。
「・・・はぐれてしまいました」
彼女は、溜め息と共にぽつりと呟いた。
リリア姫は、気が付くと骨董市の場所から程遠くの境内に迷い込んでいた。またいつもの様に迷ってしまったようだ。人が居ても、いなくともこの奥方の唯一の弱点(?)である「迷子」という特技とさえ値するだろう。宮中に居た時代もこれだけはどうしても直せずに結局輿入れする事になってしまった。
彼女は、これだけは悔やまれてならない事であった。
「・・・参りましたね」
本当に困った様子で小首を傾げるその様子は、大奥を仕切る御台所その人とは到底思えなかった。美人であるが、同時に少女の様な面も持っており、こういった処が将軍には堪らないのかもしれない。
一体どうしたものか、とリリアが考えている時である。
ざりっとした音がした。境内の砂利の音に違いない。リリアは、振り向いた先には、毎度パターンで四、五人のゴロツキがお約束通りに現れた。ゴロツキは、リリアの姿を認めると、にやりと下卑た笑みを口元に形作った。
どうやら、リリアにピンチが訪れた様である。
続刊