時は平安、ようやく花々が咲き始めた弥生(3月)の末のこと。
大納言家の東の対(寝殿作りの東の建物)の一角。
殿方とその北の方(要するに奥さんのこと)がなにやら御簾の内の娘に話しかけている模様である。
「出仕・・・・・・・ですか?私が?」
「うむ。実は北の離宮におられた女二の宮(姫)様を東宮様(皇太子)が京へ呼び戻されたのだ。」
隣の北の方がさらに付け加える。
「女二の宮様といえば・・・・東宮様の御妹君にあらせられる方ですね。」
「そうだ。だが、二の宮様はまだ京に慣れておられない。北の離宮を恋しがることもあられるそうだ。年の近い女人がお側にいれば気も紛れ、徐々に京にも慣れてゆけるのではないかと、東宮様はお考えだ。そこで、我々貴族の中で年頃の娘を持つものが娘を仮参内させ、そのなかで二の宮様のお話相手を選ぶと東宮様が仰せになられたのだ。」
この殿方は大納言。摂関家とは傍流ではあるが親戚でもある身分の貴族である。
隣の北の方。金髪と翡翠の瞳を持つアンヘル村出身の女人。そして御簾の中にいるのはこの二人の間の娘、母ゆずりの見事な金髪と翡翠の瞳を持つ15歳の少女である。
「ですが・・・・・・私のようなものにそのような大事なお役目が勤まるのでしょうか?父上・・・・」
御簾の中の少女は心配そうに尋ねる。
「なに、駄目なら駄目でかまわぬ。他の姫君もいらっしゃるのだし、東宮様に退出を命じられれば帰ってくればいいだけのことだ。そなたに絶対二の宮様のお相手になれとは言わない。だが東宮様のお心を考えると我らにできることならして差し上げたいと思うのだよ」
父上のおっしゃることはよくわかる。むしろ私のことを大事に思って下さっているのも。普通の貴族の家ならば、娘は出世の道具、家のために後宮に入り主上(天皇)の寵愛を受け最終的には中宮(正室)になるのが女人の務め。
ところが父上は家のために私が後宮に入り、他の方々の間の争いの中で暮らすのは忍びないと思ってくださり、決して私を入内させようとはなさらない。
母上が私を身ごもった頃、父上にはすでに北の方がいた。そこで私達母子はアンヘル村で二人で暮らしていた。でも悲しくはなかった。
父上はこまめに文を下さり私達母子の安否を心配してくださっていた。
さらた度々アンヘルに訪ねてくださり、いつもなにかしらのお土産を買ってくださった。いろんな京のお話や琴、手習い等も教えてくださった。
離れていても父上が私達母子を愛してくださっているのがわかったから。
前の北の方とはすすめられるままの結婚であったと父上は言う。
意に染まぬ結婚はどれほどむなしいものか、父は我が身でつくづく感じたという。3年前に北の方が亡くなられ、私達母子をこの屋敷へ迎えて下さってからも、娘に同じ思いはさせまい、と配慮して下さっているのだ。
「あまり深く考えずに参内してみてはどうかしら、シルフィス」
母上が私の方に向き直っておっしゃった。
「殿のおっしゃる通り、駄目なら戻ってくればいいのよ。それに、殿方には皇女さまの身近で護衛というのはなかなかできないはずだわ。もし二の宮様に何かあったときあなたが二の宮様の護衛をする、それだけでも東宮様のお心に報いることができるのではないかしら?」
確かに・・・・・・シルフィスはそう思った。
アンヘルの村は武術がさかんで小さい頃から住んでいたシルフィスもそれなりの腕は持っている。普通の貴族の姫では考えられないことだが。
もし二の宮さまに危険が及んだ場合、自分が側にいてそれを回避できたなら自分が参内する意味はあるはずだ。
私がしばらく黙り込んでいたので父上がおっしゃった。
「シルフィス、もし気に合わぬならそう申してくれてかまわぬぞ。東宮様には病なり、物忌み(陰陽道という占いで外出禁止になること)なり理由をつけてお断りすればよいのだ。そなたの意に染まない出仕を強制するつもりはないのでな。」
「・・・・わかりました。私でお役に立てるかわかりかねますが、参内致します、父上」
本来なら東宮の命に逆らうなど出世に障りが出るし大変なことなのだが、私のためにそういってくださっている、その父上の助けになれば、と思ったのだ。
「よいのか?」
「ええ。二の宮様の御為、心を尽くして御仕え申し上げたいと思います」
「すまぬな、感謝いたすぞ。参内の準備は北の方に任せよう。あまり物々しいのはそなたの好みに合わないであろうからな。」
こうしてシルフィスの仮参内が決定したのであった。