もうすぐ子の刻(真夜中零時)になろうとしている頃、シルフィスはレオニスと別れた後、桐壷に戻ってきた。女房のほとんどは眠ってしまっているだろう。そしていつも通り音も立てずに、部屋に近づいたその時。
(!・・・・・・・・・・・・)
今までかいだことのない香がかすかに香る。女房達でもなければもちろんシルフィス自身のものでもない。さっきまで会っていたレオニスとも違う。ということは、誰か見知らぬ者がこの近くにいる、しかも部屋に入った可能性が高い、ということだ。
(いったい誰が・・・・・・まさか後宮に怪しの者が・・・・・・・・)
シルフィスは用心して、ゆっくりと部屋に近づく。怪しい気配は感じられないが何かあるという確信を持っていた。彼女はしまっていた剣を取り出し、いつでも踏み込める体勢を取った。彼女は妻戸(部屋の扉)に手を掛け、一気に開いた。
シルフィスは剣を構えて部屋の中を凝視する。一瞬誰もいないかの様に見えたが視界の端にかすかな気配を感じ、剣を構えて誰何した。
「何者だ!」
「ちょ、ちょっとまてってーーーーー」
不穏な気配を感じたのか相手がシルフィスを制す。?聞いたことのない声。几帳(きちょう。部屋の仕切り。人と会うとき間に立てる)の影から人が出てきた。
レオニスほどではないが背は高い。青い長髪を一つに束ね飴色の瞳をしている、かなりの容姿を持つ殿方である。直衣(のうし。貴族の殿方の一般的な服装)をみただけでもかなり身分の高い貴族だとわかる。彼はシルフィスを見るとヒューと軽く口笛を鳴らし、
「そんなこわい顔したらせっかくの美貌がだいなしだぜ」
シルフィスに微笑みかけてそう言った。その笑顔は確かに魅力的で大概の女性はみんな心を動かされるのだろうな、とシルフィスは思っていた。
「人の部屋に勝手に入っておいてその台詞はないのではないですか?」
少し詰問する口調でシルフィスは彼に言った。だが彼は少しも悪びれずに、
「別に勝手に入ったわけじゃないぜ。ここの女房とちょっと話をしていたら彼女はいなくなっちまったんだ。ここの部屋が空いていたから待っていただけさ。」
と平然と言ってのける。
それが真実かどうかは怪しいところであるが。
「で、あんたが尚侍さんだろ?アンヘル族との混血ってのは本当だったんだな」
彼はシルフィスをまじまじと見てそう言った。そこまでばれているなら知らん顔もできない。
「ええ、そうですけれど・・・・・・・」
「俺の名はシオン。一応中納言なんだが知ってるかい?」
「いいえ、存じません」
シルフィスは即答した。
シオンはちょっと驚いたが
「・・・・まあいいや。今夜はこの美しい月夜を君と二人で過ごそうと思ってこうしてやってきたってわけだ」
シオンは甘い笑顔をして
「今宵の月と君のその金の髪、どちらが美しいか俺はこの目で確かめてみたい・・・・・・・」
シルフィスは、ひょっとしてこれがいわゆる「夜這い」という
ものなのだろうか、と思って彼を見ていた。アンヘル村では考えられないことだが、都では貴族の女人は屋敷に閉じこもっていて顔をみることすらほとんどない。逆にそうそう他人に顔を見られてはならない、という風潮がある。
(もっとも尚侍のように宮中に出仕している女性は別だが)
そんな状況で男女間の恋愛がどうやって進展するかというとまずは文(ふみ、てがみのこと)。文のやり取りで顔も見ないで男女は愛を確かめ合い、盛り上がっていく。そのあと婚儀を執り行い、以後男性が女性の家に通う、いわゆる通い婚というのが一般的な手順なのだが、中にはその手順を踏まない人もいる。
つまりいきなり女性の家に忍んでいくのである。これが「夜這い」で結局そのまま夫婦になるという人も結構いた。だから名門貴族で娘がいる家は警備を固め、怪しい者を入れないよう細心の注意を払っているものなのだ。また女房教育もかなり力を入れる。なぜなら夜這いの成功率は女房を買収などして手引きをさせるとかなり上がるからである。一応の知識はあるものの、よもや自分の所にやってくる殿方がいるとは思いもしなかった。シルフィスは一応大納言の姫だが辺境のアンヘルの血も引いている。身分を重んじ血筋を尊ぶ貴族の殿方が半分でも鄙びた(田舎びた)血を持つシルフィスに言い寄ってくることなどないと思っていた。全くその気のないシルフィスはにっこり笑って言った。
「お帰りください」
シオンは、え、という顔をして
「あんたは俺が嫌いかい?」
「いいえ」
「だったら・・・・・・」
シオンが一歩近づいた時、シルフィスは刀を目の前に突き付けた。
シオンは一瞬息を呑んで、こう言った。
「全く・・・・・・姫さんの遊び相手はなんでこんなのばっかなんだろうなぁ・・・・典侍の嬢ちゃんも大変だったぜ。」
「!メイのところにも行ったんですか?」
「ああ」
シオンは一歩下がって話し出した。
「あんたらのことはセイルとアイシュの会話で聞いていたからな。一度顔見ておこうと思って、たまたま登花殿の方が近かったから先に嬢ちゃんのところへ行ったのさ。ところが、顔を見るなり『出てけーーーーすけべーーーー女たらしーーーーーー』なんていって俺に向かって枕だの脇息だの髪箱(寝るとき髪を入れておく箱)まで投げつけてくるんだもんな。死ぬかと思ったぜ。」
いかにもメイらしいな、とシルフィスは思った。
「いきなり見知らぬ殿方が現れたのですから当然ですね。」
まあ多少手荒だけど、とシルフィスは思った。普通の貴族の姫はそこまで暴れたりはしないだろうし。
「一人は暴れるし、一人は冷静だが刀を向けられるし、まあ普通のお姫さんじゃないところも結構興味をそそられるが」
シルフィスの表情が険しくなったのを見て、
「わーーーったって。帰るよ、帰るから。」
シオンはシルフィスをなだめた。
「もし今度このようなことがあれば・・・・・」
「大丈夫だって。俺はこうみえても紳士なんだぜ。嫌がる女人に無理強いはしない。あくまで相手の合意の上でなければな。もしその気になったらいつでも言ってくれよ。じゃあな」
シルフィスにウィンクをして音もなくシオンは去っていった。ふうっ、シルフィスはため息をついた。都には女人なら誰でもというああいう人がたくさんいるんだ。気を付けないと・・・・・・
「ええーーーーあいつ、シルフィスのとこにも行ったのーー!!」
「ええ」
ここはメイのいる登花殿、シルフィスはメイの部屋を訪ねて昨夜のことを話した。
「こんなことならもっと懲らしめとくんだったーーーーー。シルフィス大丈夫だったの?何か変なことされなかった?」
ひょっとして自分のせいでとばっちりがシルフィスにいったのでは、とメイは心底心配してくれているみたいだ。
それもそうだろう。メイはシルフィスのことを深窓の姫君だと思い、自分みたいにシオンを撃退なんてできないと思っているのだから。
「ええ、大丈夫です。」
「本当に?無理しないでいいのよ。あいつ、シオンとかいったっけ、今度会ったら絶対許さないんだから」
「本当に大丈夫ですよ。刀を突きつけましたから」
「へ・・・・・・・・・・?」
メイは目を丸くしてぽかんとしている。
「私は小さい頃からアンヘル村で育ちましたので、武術はある程度こなせるんです。だからむしろあなたの方が心配だったんですが」
メイになら本当のことを言ってもいいだろう、と判断したシルフィスは自分の生い立ちを簡単に話した。「そっかーーーー、シルフィスって美人なだけじゃなくて強いんだーーーーそれってかっこいいよねーーーーー。」
「そんなことは・・・・・・・体を動かすのが好きでやってただけなんです。」
「芸は身を助ける、って本当よねーーーーーー。あたしもなんか習おうかなーーーーーそういうの」
それはちょっと違う気がするけど、とシルフィスは思ったが黙っておくことにした。
二人の元に現れたシオン中納言がのうての遊び人であり夜毎女性の家を渡り歩くこと、でも仕事に関しては超優秀であり東宮様の幼なじみである、と知ったのはもう少し後の話。
作者の言葉言い訳のコメント(爆)
シオンファンのみなさま、ごめんなさい。
「こんなのシオンじゃない!!!」とお怒りになるかもしれません。
「夜に忍んでくるシオン」というシチュエーションを思いついたときからこういう流れになってしまっていたのです。
「納得いかないわ」という方がおられましたら、これがシオンというお話を書いていただけたら幸いだと思っています、はい。
感謝の言葉いつもありがとうございます。
シオンはまあこーいう性格だと思います。だってゲーム中でもそうだし(笑)。
当時は人の噂や身分、ほのかに漂う香、御簾からわずかに見える(かもしれない)着物の色合いのセンスなんかで殿方は女人に想いを募らせるという、今では考えられないくらい危険度の高い恋愛方式だったのです。で、求愛方式は和歌。
和歌!!避けては通れない難関ですね(爆)<作家さんたちにとって
でもシリーズ人気ありますので、なんとかしたいと思う管理人でした。
本当にありがとうございました。