月下、花咲くまほろばに


 すでに、弦月が昇り始めていた。
 今夜の月はいつにも増して冴え渡っている。薄墨色の夜空に薄青の光を投げかけている。
 他の仲間達はもう眠っていたようだが、一応、眠りの呪文をかけておいた。
 そうして、あたしは身支度を整えると気配を消して宿を抜け出した。
 行く先は・・・・世にも珍しい園。
 この時、すでにあたしの頭の中はこの園のことで一杯で・・・不覚にも後をついてくる影に気づかなかった。

 あたしがその伝説に出会ったのは、偶然だった。まったくもって。
 今日の宿にと決めた町の外へ、昼間散歩に出かけた時に見つけた小さな花園。
 だが、小さくともその花園に咲く花は非常に珍しいものだった。今ではもう、残ってないとさえ言われている幻の精蓮花。ここにこれだけの数が自生していたのは・・・おそらくあまりにも数が減りすぎて、この花を知るものが極僅かだったからだ。
 並みの魔道士とは比べ物にならないくらい色々と見聞きしているあたしでさえ、お目にかかるのは初めてだったのだから。
 更にありがたいことに、そこに自生しているものすべてが蕾をほころばそうとしていた。
 だが一体、何がありがたいのか。
 それは、この花が100年に一度しか咲かず、咲いても一夜限り。と言われているからだ。
 正に、まほろばの花の園。これほど珍しいものがあるだろうか。なにより、花開くところを見たものは願いがかなうと言われているのだ。
 まあ、願い云々はいいとして。
 わざわざ、このあたしが足を運ぶのは、レポートにして提出すればおこずかい稼ぎもできるし、花株をマニアに売りつければ、かなりの大金をせしめる事ができるし、珍しい花が咲いているところは夢のように綺麗だとも言われているし、郷里のねーちゃんへの良い土産話にもなるだろうしと、美味しすぎるためだ。
 などと、まだ見ぬ黄金を夢想しているうちに、目的の場所が近づいてきたのか、あたしの鼻腔を甘い香りがくすぐり始めた。
 もう、花が咲き始めているのだろうか?
 まだ、弦月は空にかかり始めたばかりだと言うのに。
 あたしは、知らず歩みを速めていた。一歩近づくにつれて花の香は強くなっていく・・・・。そして、ようやく最後の障害である目前の岩へ上り、目的の園を目の当たりにしたのだった。

「!!!!」

 あたしは言葉もなく、しばらくそこに佇んでいた。
 花畑をこれほど美しいと感じたのは初めてだった。いや、美しいなどとありきたりな言葉ではこの風景に対して失礼だろう。
 本で読んだとおり、話にきいたとおり、時間が過ぎる毎に花弁の色が刻々と変化していく。
 赤、青、黄、橙、紫、桃・・・・その他全ての色が花弁と言わず周囲の大気をも染め上げる。よく見れば、花弁自体が微かに発光しているようだった。その上に月の光が降り注いでいる。
 なぜ、絶滅したのかわかる気がした。美しすぎるのだ、この花は。見ているだけで楽園にいるようで・・・・・・だから、神の御許に呼び戻された、そんな気がするほどに。
 どれほどの時間、この光景を見ていたのか。
 いつのまにか、あたしはふらふらとおぼつかない足取りでこの風景に足を踏み入れていた。この束の間の花園に。
 一歩、また一歩と歩みを進める毎に、あたし自身、この夢幻郷に溶け込んでいくかのようだ。
 この夢のような景色を見やるうちにふと、あることが脳裏をよぎった。

――― この花が咲くところを見たものは願いがかなう。

 なるほど、この神秘の園でならそんなこともあるかもしれない・・・・。いつものあたしなら考えもしない他力本願なことを漠然と思っていた。
「・・・・らしくない・・・こんなこと思うなんて・・・」
 あたしは知らぬ間に呟いていた。なぜだか、この園にいるとあたしの調子が狂わされてしまうようだ。現世の楽園の魔力だろうか?
 狂ったままのあたしは、何の脈絡もなく小さな頃のことを思い出していた。

 暖かい春の日差しの中、咲き乱れる蓮華の花畑であたしはねーちゃんと遊んでいた。

『リナ、リナの願いはなに?』

 ねーちゃんはにっこり微笑んでいる。
 あたしは、なんと答えたろう・・・・。ああ、そうだ。あの時あたしは・・・・。

『あのね、あのね。あたしは、きれいな『はなよめ』さんになりたいの。だから、とってもすてきな『かれ』をみつけるの。ねーちゃんはあたしがきれいな『はなよめ』さんになれたらよろこんでくれる?すてきな『かれ』をつれきたらよろこんでくれる?』

『・・・・あんたもませてるわねぇ・・・なんにせよ、相手は、リナが選んだ人でしょ?私はリナの選んだ人にどうこう言える立場じゃないわ。それに私はあんたに人を見る目をばっちり仕込んできたはずだからね。』


 あの時のねーちゃんの言葉。すごく嬉しかったことを思い出していた。何よりも苦手で、何よりも自慢のねーちゃんにはじめて認めてもらえたことだったから。
 しかし、今のあたしからすれば相当、こっぱずかしいことを言ったものだと自分に対して、妙な感心をしていた。

「すてきな花嫁さんに、すてきな彼・・・・か。よく言ったもんよね。自分でも。」

 などと、呟いているうちに、ふとある人の面影が浮かんだ。

「!?・・・・なななななっ!なんであいつが、出てくんのよ。・・・・・・これって、やっぱり・・・・あたしは、あいつが・・・・・・・?」

 あまりにこっぱずかしい思い出の影響か、いつもより強く否定することなく・・・そのまま素直に、かの面影を脳裏に浮かべていた。



 あいつとは、今まで共に旅をしてきた。仲間だとばかり思っていた。
 でも、旅の間に言葉、視線、心に触れれば触れるほど、あいつを見つめる時間が増えていったのだろう。あたし自身、気づかぬうちに。育っていたのだ。

――淡く、儚い思いが。きっとこれは―――恋心。

 こんなことが似合わないことくらい自分でもよくわかっている。でも、こうして素直になると嫌でも気づかされてしまう。あたしの中で、あいつが占める部分が増えすぎて、染まりすぎていることに

・・・・いつのまにか・・・・。

 もっと早くに気づくべきだった、思いが溢れんばかりになる前に。そうすれば小さい頃の夢の半分は叶っていたかもしれないのだ。けれど、今は・・・・。
 らしくもない考えに感化されたか、水晶の粒が頬を飾っていた。旅に出てから現れる事などめったになかったはずのものが。


「リナ、なぜ泣いている?」

 低く響く声。いつも傍で走りつづけてくれた人の。なぜ、この声がここにあるのか?
 あたしは驚きのために声のするほうへと振り返った。いつのまにか、すぐそこに一人の男が立っていた。今しがたまで、あたしの脳裏に現れていた人物―――ゼルガディス。

(続く)


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