「!ゼル?・・・・どうして?・・・・どうやって、ここに?」
半ば呆然としつつ、あたしは目前の男、ゼルに問い掛けた。
すると、彼は、さも当然とばかりに言った。
「俺を甘く見るなよ。・・・と、言いたいところだが、まだ起きてたんでな。お前の気配がした時、妙な予感がして、すぐさまベランダに逃げた。で、そこで様子を見ていたら、お前がこっそり宿を抜け出すのを見つけた。・・・・・・わかってるのか?いくらお前が一流の魔道士でも不意を突かれればやられることもあるんだぞ。」
ゼルは前髪を掻き上げながら言った。口調は限りなく静かなものだったが、彼の瞳には怒気が篭っていた。
いくら、鈍感と言われるあたしでも気づく。彼が、あたしを心配してくれている・・・・仲間に対するものだとわかっていても・・・その優しさだけでも、今のあたしには喜びをもたらすのもの。たとえ、彼の心が別の人に向いていても、これくらいなら許されるだろう。
あたしは何を言うでもなく、ゼルを眺めていた。その態度が気に入らなかったか、彼は苛立たしげに言った。
「聞いてるのか?いくら、フィブリゾを倒したからといっても、他の魔族が狙ってくる可能性は十二分にあるんだぞ!旦那やアメリアもこのことを知れば同じことを言うだろう・・・・・あまり心配をかけるな。」
ああ、やはり・・・。ゼルの中にあるあたしへのものは仲間としてのものなのだ。あたし個人・・・・いや、あたしという異性へのものではない。そう、思うとどうしようもなく切なかった。
彼の心を掴んだ大国の王女が羨ましい、妬ましいとさえ思った。
大国の王女―――あたしとは違う、愛らしい顔、素直な心、女の子らしい物言い。
あたしもそんな風に振舞えば、この人も少しはあたしを見てくれるだろうか。女の子として。・・・・いや、そんなことをしても意味はない。わかってはいる。うわべだけのものにゼルが惑わされることなどないことを。なにより、あたしが惹かれたのはその程度の人ではないし、また虚飾などを一番嫌う人でもあるはずだから。
ああ、本当にらしくない。いつものあたしに戻らなければ―――辛いだけだ。なんにせよ、あたしの思いがかなうことはないのだから。
きっとこの思いは周囲に咲く精蓮花と同じだ。この花が青の弦月を仰ぎ見て花開くように、この思いもまた、青の合成獣が為に溢れた。そして、すぐに散っていく・・・・何て儚い花(思い)だろう。
そう、思った瞬間、このひと時の内に咲かせた、押さえきれない花(思い)が夜露(涙)となってこぼれた。
一粒落ちれば、その足跡をたどってとめどなく流れつづけた。花の香と共に。
きっと、今のあたしは花に酔っている・・・・。
あたしは、声もなく―――泣き続けた。
郷里を出てから、これほど泣いたのは初めてだった。
どれくらいの時が過ぎたか、今まであたしを取り巻いていた夜気が感じられない。かわりにとても暖かな空気に包まれていた。
「どうした、リナ?」
ゼルの声がすぐ近くで聞こえた。あまりに近すぎるように感じ、俯いていた顔を上げると、目の前に彼の瞳があった。気がついてみると、あたしはゼルの腕の中にすっぽりと収まっていた。
驚きのあまり目を見張るあたしに、彼はぽつりと言った。
「俺でも、聞いてやることくらいは出来る。なんなら、独り言でもかまわんぞ。・・・・すっきりさせることだな。」
これが、普段のあたしであれば簡単に事済んだだろう。彼を張り飛ばして、笑って。
けれど今は駄目だ。彼が優しければ優しいほど。
ゼルの言う通り、あたしの中にあるものをすべて吐き出してしまえれば楽だろうに。でも、出来ない。仲間でなくなってしまう。傍にいることも出来なくなるかもしれない。そう思うと怖気が走る。怖い、怖くてたまらない。
そう思いながらも、心はそれ以上の強さで叫んでいるのだ。
伝えたい、この思いをかなえたいと。だが、どうすればいい?
ただ、この言葉を繰り返すだけで、あたしには何も出来なかった。涙を止めることさえ。
いや、わざと何せず、泣き続けたのかもしれないのだ。今は、一瞬でも長くこの腕の中にいたいが為に・・・・。そうすれば、ゼルはあたしの涙を止めようとこのままでいてくれるだろう。抱きとめていてくれるはずだと。ゼルは優しいから・・・。ああ、あたしはなんて矮小な卑怯者になったんだろう。
―――でも、幸せだったのだ。この腕の中の一時は。何物にも変えがたく。
しばらくの間、ゼルは何も言わぬあたしを我慢強く見守っていたが、痺れを切らしたのか、深いため息をついた。
ああ、束の間の幸せが終わるのだ・・・・ゼルのため息が聞こえた時、あたしはそう感じていた。
「・・・・・俺の前で、そんな風に泣くな。他の男の前だけにしろ。」
とうとう、ゼル自身の口から決定打が打ち込まれた・・・・・あたしは眩暈さえ起こしていた。おそらくゼルにしてみれば、泣いてるあたしはうざったいだけなのだろう。
あたしにはもう絶望に沈み逝くしかない。それをゼルは気づきもせずにいるのだ。なんて憎らしいことか。
そんな時だった。ゼルのあまりに的外れな言葉を聞いたのは。
「泣くのは勝手だが・・・・俺はまだ自殺したくないんでな。すぐにでも泣き止んでくれんか?」
あたしの頭には疑問符の嵐が吹き荒れる。この以外すぎる言葉に涙がとまっていた。あたし自身気づかなかったが。
「ヒック・・・・ど、どうし・・て、ック・・・・あたしが泣いてると・・ゼ、ゼルが、ヒック、自殺しなくちゃなんないのよ?!」
涙は止まってもその後遺症は残っていた。あたしは、しゃくり上げながらもなんとか疑問を言葉にする。
ゼルは至極真面目な顔をしていた。
「知りたいか?」
あたしが、コックリと首肯する。
(続く)