目覚めた後に・・・
・・・たとえば 
優しい夜が明けた後に
目がさめて君がいれば幸せだとおもう。

たとえば
悪夢から逃げるように朝を迎えても
目がさめて君がいれば


―世界はまだ明るいのだと分かるだろう。

 二つに結われた髪が、軽やかに揺れる。
 目鼻立ちの美しさだけではなく、彼女を包む明るい輝きが誰の目をも引きつける。
 駆け抜けるシルヴィアとすれ違う者は、誰もが零れる笑顔とともに振り向いた。
 シルヴィアは中庭に駆け降りると、その先に捜し人の背中を見つけて声を上げた。
「レヴィン〜!」
 木陰に腰を下ろしていたレヴィンは、ふうと息をつく。
「またお前か〜」
「そーだよっ」
 シルヴィアがレヴィンに後ろから飛びついた。
 おっと、とレヴィンは手に持っていた横笛を落としそうになる。
 傍らに座った娘を、軽く睨んだ。
「そのすぐ抱きついてくるの、なんとかしろよ」
 けれどその言葉と裏腹に、苦笑ですませてしまう辺りが、彼女の魅力かもしれない。
 シルヴィアはえへ、と可愛らしく舌を出した。
 そして、レヴィンを見る。
「ね、何か吹くとこだったの?」
「まあな」
「ふ〜ん。・・・ね、踊っていい?」
「OK]
 レヴィンは軽く肩をすくめ―だが、表情からすると決して嫌々ではなく―唇に横笛をあてた。
 シルヴィアは立ち上がる。
 木陰から出、ふわり、と踊り始めた。
 風のように涼やかな音色。風のように軽やかな舞踏。
 中庭を通り過ぎる者、中庭に面した窓辺にいた者は、思わずそれに足を止めて見入る。
 三階の渡り廊下からも、中庭はよく見えた。
「・・・・・・」
 フュリーはたまらず、目を伏せた。
「フュリー?」
 かけられた声に、フュリーは振り返る。
「・・・エスリン様」
「どうしたの?」
「いえ、別に」
 言葉を濁すフュリーの傍らに、エスリンは並んだ。渡り廊下の手すりに手をかけ、中庭を見下ろす。
澄んだ笛の音は、ここまで聞こえる。
「シルヴィアとレヴィン王子ね」
「はい・・・・・・。とても、綺麗です。笛の音も、彼女の踊りも」
 涙が出そうなほど・・・。
 そんなフュリーを、エスリンはじっと見つめる。
「・・・。シルヴィアって、可愛い人よね・・・」
「はい。シルヴィアさんは・・・光、です。今までにも辛いことが沢山あったに違いないのに、いつも明るく振る舞って、私たち皆に元気を与えてくれます。輝いていて・・・眩しいぐらいに」
「・・・・・・」
「あのっ。私、そろそろ・・・」
 フュリーは少しあせったように、エスリンに頭を下げた。
「失礼します」
 そして早足で去って行ってしまう。
 エスリンはフュリーの背中を見送った。
「・・・・・・」
「どうしたんだ、エスリン」
 柱の影から、キュアンは出た。うん、とエスリンは上の空だ。
「エスリン?」
「ねえ、キュアン。・・・レヴィン王子って、シルヴィアが好きなのかな・・・」
「え?」
 キュアンは驚き、そして当たり前ながら言葉に詰まった。
「それは、わたしに聞かれても・・・・・」
「そうよね」
 エスリンはふう、と息をつく。その間も彼女の目はレヴィンたちから離れない。
「エスリン・・・」
「余計なお世話なの、分かってるんだけど」
 エスリンは少し笑ってから、そっと目を伏せた。
「悲しそうなフュリーを見てたら・・・なんだか。気になって・・・」
「わたしは君の方が気になってたんだが」
「え?」
 エスリンはキュアンを見る。キュアンはふっと優しく息をつくと、笑った。
「最近君が何か悩んでいるようだったから。それがまさか他人の恋愛問題だったとは思わなかったけれどね」
 本当は違うことなのだが、エスリンは少し笑った。それにフュリーのことも気になっていたのは確かだった。
「フュリーがレヴィン王子の事想ってるのに気づいちゃったし、フュリーが可哀相で」
「・・・・・・」
 ふむ、とキュアンは頷く。そして少しの沈黙の後、口を開いた。
「だけどどうして『フュリー』なんだ? シルヴィアも・・・たぶんレヴィン王子を好ましく想っているのだろう?」
 キュアンの記憶に間違いがなければ、エスリンはフュリーとシルヴィアではフュリーと特別仲がいいわけでも、シルヴィアと気があわないわけでもないはずだった。
 なぜエスリンがフュリーの側に立って物事を見ているのかが分からない。
「そ、それは」
「それは?」
「その。―内緒!」
「・・・・・・。まあ、いいけどね」
 君が話したくないなら。
 そう優しく笑うキュアンに、エスリンの胸は痛んだ。
「あ、あの」
「?」
 えーい、言ってしまえ!
 エスリンは顔を赤らめたまま、叫ぶように言った。
「フュリーの気持ち、経験あるから! だから、私」
「君が?」
 彼女の昔の恋の話かと、キュアンは少し複雑な想いになる。エスリンはそんなキュアンの心を知らず、ぽつりと話し出した。
「・・・フュリーね。さっきシルヴィアのこと眩しいくらい、輝いてるって言ってたでしょ?」
「・・・ああ」
「フュリーはとても綺麗だわ。でも、シルヴィアみたいな元気いっぱいな明るさってないでしょ」
「だがそれは個性というものだろう? それに彼女は上級の騎士でもあるわけだから、感情をコントロールする術を知っていてセーブしているのだろうし」
「もちろんそうよ。フュリーはとても魅力的だわ。でもね、シルヴィアってこう、何か特別な輝きがあるじゃない」
「そうかな・・・」
 キュアンはそう真剣に答える。シルヴィアは魅力的な女性だとは思うが、それは他の女性陣と変わらないと思う。彼の目にはシルヴィアだけがそれほど輝いているとは見えなかった。軍に今までいなかったタイプだから目立つだけじゃないのか、と思う。もちろんそれを口には出さなかったが。
 しかしエスリンの目には、シルヴィアが輝いて見えるらしい。
 キュアンの疑問の言葉に、「そうなのっ」と強く答える。
「誰から見ても輝いている女性が、好きな人の側にいれば、とても苦しいもの」
 あの輝きに、あの人も目を奪われるに違いないって、とてもかなわないって、思うの。
 そう続けるエスリンをキュアンはじっと見つめる。
「・・・君も、それほど苦しんだ?」
「え、あ・・・」
 そこで、エスリンは恥ずかしさに耳まで赤くなってしまう。それが肯定を顕著に示していて、キュアンは内心ムッとしてしまい、そして自分のその狭量さに苦笑した。
「情けないな・・・」
「キュアン?」
「君をそんなに苦しめた過去の男に、妬いてしまった」
 苦さと照れとを半分ずつ含んだキュアンの笑みに、エスリンは呆気にとられ、それから笑った。
「やだ、キュアン。自分に妬いてどうするのよ」
「わたし?」
 信じられない響きがそこにある。記憶をまさぐるが、エスリンと結ばれる前、彼女にそんな想いを抱かせる女性は自分にはいなかったはずだった。
「ラケシス様よ」
「ラケシス!?」
 思ってもいない名前に、思わず聞き返す。エスリンは小さく頬をふくらませた。
「だって、私が貴方の気持ちを知りたくてそれとなく兄様に聞いたら、『キュアンは親友の妹に惚れたらしい』なんて言ったから」
「それは、君のことだろう?」
 そう言えば、とキュアンは思い出す。エスリンに想いを打ち明ける以前に、シグルドには告白・・・というかばれてしまっていたのだ。シグルドのことだから、遠回しにキュアンの気持ちをエスリンに伝えたつもりだったのだろう。
「だって、親友の妹なんて言われたらラケシス様だと思うわよ。彼女は凛としていて―」
「気の強さなら君も負けてない」
「存在感があって―」
「君の方が印象が強かったな」
「それでいて可憐で美しくて―」
「君の方が美人で可愛い」
「光そのもののように、輝きを放っていたわ―」
「豪華な金髪だからね」
「―て、キュアン! 茶化さないでよ」
「ふざけてなどいない」
 その言葉どおり、キュアンの目は笑っていなかった。それに彼がこの手の冗談を言う男ではないのは、エスリンが一番良く知っている。
「君のラケシスへの印象はともかく、わたしには初めからエスリンのほうがずっと輝いて見えていた」
「あ、ありがと・・・」
 キュアンの手が、優しくエスリンの頬に触れる。
「それでも・・・。フュリーが悲しんでいると、君の心が痛むか?」
「・・・・・・。大丈夫。だってこんなの、ただの私の傲慢だもの。フュリーの気持ちはフュリーにしか分からないし、シルヴィアもきっとレヴィン王子が好きなんだし。肝心のレヴィン王子が誰を想ってるか分からないし」
 そして、エスリンは少し笑う。
「それに今は、他に考えなくちゃならないこと、重要なこといっぱいあるものね。ごめんね、キュアン」
「君が気に病むことなら、どんな問題も軽くはないよ」
「キュアン・・・」
「エスリン!? どうした? 何か悪いことを言ったか?」
 エスリンは泣いていた。
「違うの・・・私、幸せだなって・・・。貴方がいて、私、幸せなの」
「エスリン・・・」
「・・・嬉しいのに、幸せなのに、どうしてこんなに悲しいのかな・・・っ?」
 なぜこんなに、胸が痛いほど苦しくて不安なのだろう。
「どうして・・・」
「エスリン」
 キュアンはエスリンを抱きしめた。
 彼女の沈んでいた一番大きなものがこれなのに気づく。
 抱きしめた彼女が、小さく震えていた。
「なんだかとても、儚い気がして。しっかり、つかまえられない気がして・・・!」
「大丈夫だ。儚くなどない」
 戦いは必ず終わらせる。
 そして。
「君は、わたしが守る。大丈夫だ。わたしも死にはしない!」
 うん、とエスリンは頷く。何度も、何度も。
 キュアンはそんな妻を、いつまでも抱きしめていた。
 静かな旋律に変わった笛の音が、二人をただ包んでいた。
 



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