『光らびた村』PATTAMANGALAM-精神世界=12 大樹祭4 ATTAMA SITHTHI

シヴァ寺院の境内にある沐浴場=ATTAMA SITHTHI 1983

数年来続く旱魃のためにすっかり干上がっていたので、底の井戸から水を汲んで沐浴をしていた。右手奥に大樹が見える

 『枯れた女たちの里』などという汚名を着せられたパッタマンガラム村にとって、この『タァイ・マ―スィ・アディ』信仰は、非常に深刻な宿命的問題を投げかけている。

 日本の村おこし的発想なら、年に3回も祭りがあって大勢の人が来るんだから商売繁盛、めでたしめでたしではないか…といわれるかもしれないが、『タァイ・マ―スィ・アディ』は、お金よりもずっとずっと重く、目に見えない「けがれ」を落としてゆくのだ。近隣の村人たちが大勢やってきて、ATTAMA SITHTHIでもく浴していっぱいけがれを落とすだけ落としてハイ、サヨウナラ。日本の観光地の空きカン公害よりもっと深刻で高尚な公害なのである。

 ガンジス河なら水に流してくれるから問題ないが、ATTAMA SITHTHIはちっぽけな池だ。けがれは年を追うごとに濃くなり、永久に消えることがない。つまり、パッタマンガラム村は、核廃棄物のごとくに存在し続け、宗教的にますます汚染されてゆく宿命を負っているわけ…。だからこの村だけ雨が降らないんだ、いつまでたっても貧乏なんだ…とか言って愚痴をこぼす村人もいた。

 でも、僕が居候していた家の隣に住んでいるかわいいミ−ナルちゃんも、友達といっしょにチャカリ「108まわり」をやっているんだからして、「せこい事言わんと、みんなおいで!」とのたまう神様は、やっぱ偉大ですな。