インドの『男性』スケッチ 2000-01 特集「お世話になった男性1」

K.MANI 1980 Tokyo

 終生の親友=カルピーヤ・マニさんです。東京の老舗、純インド料理店『AJANTA』のシェフとして14年間働いた後、今は故郷のマルカンダンパティ村で暮らしています。

 学生時代に僕がアルバイトをしていた幻の名店『AJANTA』九段本店で知り合って以来、僕のインド人生を決定付けた大恩人です。そのへんの経緯は、拙著『風来坊のカレー見聞録』早川書房刊を御覧になって下さい。ともかく、彼とのつき合いを書き始めると、もう一冊分の量になってしまうので、ここでは省略します。

 マニさんは今年3月に来日。小岩のインド・ネパール料理店『サンサール』で働いていましたが、6月10日に帰国することになりました。残念です!また来てほしいなあ!

K.MANI 1980 Tokyo

 マニさんは、結婚式等で大量の料理一切をしきる職人集団=ペリヤ・サムエルカル出身の名コックです。『風来坊のカレー見聞録』より

 

SP.Verayutham(23) 1984-1-18  Palani

聖山パラニ巡礼行にて。巡礼中なので、ちょっとやつれた感じですが、もっと若々しいハンサムな好青年です。

 S.P.ヴェラユタム君・通称「ヴェラ」は、サブサイト『光らびた村』の舞台=パッタマンガラム村に僕を誘ってくれた大親友です。

 彼は1961年3月30日、パッタマンガラム村のチェティヤールと呼ばれる氏族の家の次男として生まれました。律儀で誠実な超働き者で、日本人だったら大出世間違いなしの優秀な資質をもった好青年です。

 彼は寂れた村を出て、自由な生き方を求めてマドラスに上京。カメラのスタジオでアルバイトをする傍ら、外国人と親しくしたりしていました。1983年、僕と彼が出会ったのもそんな頃です。

 彼に誘われて故郷のパッタマンガラム村の大屋敷に居候すること5ヶ月。いろいろな祭や通過儀礼、村の日常生活を垣間見ることができました。

 僕の居候が長引いたために、結局彼は仕事をクビになり、84年に再訪した際に彼にカメラをプレゼントして、その後彼は、結婚式等々の写真を撮影して生計をたてることができました。

 しかし、1990年に再会して以来、連絡がとれなくなってしまいました。昨年、彼の友人らしき人から電子メールをもらい、すでに結婚して娘がいるらしいことを知りましたが、返信してもなしのつぶてで、困っています。

 今、すぐにでも会いたい、決して忘れてはならない永遠の友です。彼との関係が修復しないと、『光らびた村』の終章は書けません。

K.Sivadasan 1983 Erunakulam

思い出の親友、シヴァダサン。

 1982年、2度目のインド行で、僕はケーララ州の港町エルナクラム(コーチン)に数カ月間滞在したのですが、彼はバスターミナル前のNon.Veg.レストラン=HOTEL BLUE NAILEの下働きとして働いていて、毎食のように食べにゆくうちに彼と親しくなりました。

 無理がたたって、僕が急性肝炎で入院した時も毎日昼休みに駆け付けてくれて、お見舞いの品を持ってきてくれたり、日本人の旅人を病室に連れてきてくれたりしました。

 退院した当日、HOTEL BLUE NAILEのテーブルで食事をしていた時、ふらっと店に入ってきた日本人女性が、今のカミサンです。おそらく、ふたりの出会いの瞬間を知っているのは、シヴァダサンだけです。

 当時はあどけない少年でしたが、83年に再会した時は、声変わりも終えて、背もぐっと高くなり、すっかり青年になっていました。その時、彼がお土産にくれたサモサの味はいまでも忘れられない逸品です。でも、それ以降、彼とも連絡がとれずにいます。会いたいなあ。