19世紀半ば、インド東部のベンガル地方では、社会・宗教改革者ラ−ム・モ−ハン・ロ−イやデヴェンドラナ−ト・タゴ−ル(詩聖タゴ−ルの父)らが英国による宗教・思想破壊政策に反旗を翻し、ヒンドゥ―教の古典「ヴェ−ダ」に基づく、インド精神のルネサンスを人々に呼びかけていた この精神運動の最高峰に聖人ラ−マクリシュナRama
Krishna(1834〜86年)がいた。彼は無学文盲であったが、幼時から熱情を込めて神を愛し、あらゆる宗教に通じる真理を自ら体得していた。
スワミ・ヴィヴェ−カ−ナンダSwami Vivekananda(本名ナレ−ンドラナ−ト・ダッタ)は、そんな時代潮流のさなか、1863年にベンガルに生まれた。裕福な家庭に育ったダッタは、感性豊かな青年に成長していった。やがて彼は、学生時代に出会った聖人ラ−マクリシュナの内に真理を直感する。ダッタは、彼を生涯のグル(魂の師)として選び、深い瞑想の日々を送るようになる。
師の没後、ダッタは、約6年間インド全国を行脚して厳しい霊的修練の生活を続けた。そして1892年、カニヤ―クマリの地でついに解脱。僧名スワミ・ヴィヴェ−カ−ナンダに改名した。
1893年、この高名を聞きつけたマイソ−ル藩王の庇護を得て、彼はシカゴで開催された第1回世界宗教会議に出席するために米国に渡る。こうして無名のインド青年僧として宗教会議に出席したスワミは、その深い思想と優れた話術、人を魅了せずにはおかぬ偉大な人格によって、全米に一大センセ―ションをまき起こした 彼の教えは、師ラ−マクリシュナが説いたヴェ−ダ―ンタ哲学(万教同根の教え)に立脚し、あらゆる宗教(教儀や宗派)の枠を超えたところで、各人の霊魂の内に宿る真理(神性)の自覚と、その実現を説いたものである。
約3年間の欧米旅行中、スワミは多くの人々を感化した。その中には、著名な不可知論者インガソ−ルやロマン・ロラン、インド学の権威マックス・ミュ−ラ−もいた。後にインドを訪れた岡倉天心も、彼を日本へ招こうとしたが、すでに病床に伏していたため実現しなかった。
1902年、偉大な魂は昇天した。しかし、スワミ自身が設立したラ−マクリシュナ僧団によって、2人の聖師の尊い教えは、今も全世界に広がり続けている。