インドの大地に日が沈む。「永遠の今日」は薄明の光を放ちながら西方へ絞り込むように消えてゆく。ふと気づくと、足元まで夜のとばりが忍び寄っていた。ヤシの葉でふいた屋根から、青紫の煙が静かに立ちのぽり、ちっぽけな集落がかすんでゆく。
チョッカリンガム村をあとにした巡礼団は、まず約八キロ離れたクンナクディ村(ムルガン神の寺がある)を目指す。気温はグッと下がり、東京の11月初旬といったところか。
昼間のぬくもりを秘めた田舎道を進む。ヒタヒタ、ペタペタと音をたてて歩くのが僕。インド人はほとんどが無音”だ。彼等の歩みは、大地を浄(きよ)めつつ流れる「風」のようである。
巡礼の第一条件は「裸足」。都市や町では、靴やサンダルをはいている人が目立つが、農村部では「裸足の生活」が生きている。私たちはその原因を経済的な貧しさに求めがちだが、実際に村で暮らしてみると、靴やサンダルの「必要性」は全く感じない。それは無価値な文明なのだ。
それより、むしろヒンドゥー教徒にとって「履物」は穢れた存在なのである。いかなる寺院でも、神前では最小限の「衣=ころも」しか許されない。もちろん、パンツ一枚になれ、ということではないが。
それは、衣装というより、心にさえ「ころも」を着けずに神と接したいという、人々の純粋な「願い」に裏付けられているのだろう。
辺りはやみに包まれ、天も地も漆黒に塗りつぶされている。巡礼者の着ているオレンジ色のルンギ(腰巻き)がやみに浮かぶ。オレンジやうこん(黄色)はムルガン神の色。それは「吉祥」を意味する。そのほか藍(あい)や緑、黒なども認められている。
たいがい、色あせた衣をまとっているのは、老人や巡礼熱達者で、僕のように新品の衣はヒヨッコのしるしだ。女性や子供たちは先に出発してしまったので、僕のグループはいわばチョッカリンガム村の猛者達ばかり。
皆、上半身裸だ。首には参拝の際に不可欠な聖なる首飾り(マーライ)をかけ、肩からは布製のバッグをひっかけている。中身はタオルと上着、水筒と財布のみ。パラこ巡礼のしきたりでは、衣服は一着だけと決まっている。
鏡を見てはいけない。櫛を使ってもダメ。だからヒゲをそることはもちろん、化粧をすることもご法度だ。ふだんは清潔好きで、すこぶるおしゃれなインド人にとっては、これらの「ころも」を脱ぎ捨てることさえ、大いなる「苦行」なのだ。
やがて、暗くよどんだ地平線の彼方にかすかな光が見えた。クンナクディの灯(ともしび)だ。そこには、小高い岩山の上にムルガン神の寺院がある。しかし、聖山パラニに著くまでは、いかなる丘にも登ってはならないとされている。
村々から集結した無数の巡礼団は、岩山を時計まわりに一周して巡礼の無事を祈り、約二百キロの道程へと次々と導かれてゆく。
パラこ巡礼を胎内の旅だとすれば、クンナクディ村は、その
入り口に当たる第一のチャクラ「肛門(こうもん)」なのだった。
人々の歩みが急に速くなる。
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