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美術教育

バランスが大事

ある日、なんで、オーケストラに入る訳でもないのにリコーダーとか鍵盤ハーモニカとかやらなくてはいけないのか? 私の国では、そんなカリキュラムは無かった。何のために必要なのか?

と聞かれたので次のように答えた。

確かに日本の教育では、他国と比較して芸術教育に力が注がれている。

ただ、注目すべきはそこではなく、学校教育の中で発達段階に応じた体験を 重視する考え方が日本の教育の根幹を支えている点である。

日本の子どもたちは、小学校に上がる前から様々なあそびや作業を通して教育をされる。 排泄や食事もうまくできなかった年少さん達が、小学校に入学するころには見違えるように成長する。

それらは家庭での指導と幼児教育でなされるあそびや作業を通して達成される。

毛筆で字を書く、キュウリを観察して図を描く、笛を吹く、跳び箱を跳ぶ、料理を作り、あげればいくらでも出てくるが自分の感覚器官と身体を微調整して修正しながら結果を出す作業では、間違ったことは素直に認め修正し続けるという作業が当たり前にできないと結果は出ない。

子どもたちは、自分をごまかして良い結果は出ないのだということを手を変え品を変え延々とたたき込まれるのである。同時に、根気強く正直に作業して得られる結果のもたらす喜びも学ぶ。

小さいころから物や自然、身体を対象とする作業に嘘はつけないということを体に刻み込むと、無意識のうちにその後の思考様式にも良い影響を与えることになる。

ちなみに鍵盤ハーモニカの方がリコーダーより難易度が低いので低学年で使われる。リコーダーは指の動かし方や吹き方の点で鍵盤ハーモニカより難易度が高い。

こういった子どもの発達段階に応じた配慮が数多くの教科で多年に渡って改善されながら継続されている。

上記のような実践の積み重ねが、嘘をついたりごまかしたりすることを優先しないメンタリティの基盤となり、日本社会がシビライズされモラルが高いと国際的に評価されるベースを形作っているのだ。

所謂座学で伸ばされる言語、論理、数的な抽象的な思考力と合わせて、感覚器官を十分に使い、身体を微調節、修正し続けて結果を出す機会をバランス良く作り出せるかという点でその社会の未来が決まる。

自分が子どもの頃を思い出してみればわかるが、過去の社会環境と比較すると、現在は学校・家庭・社会のどこを見ても後者の機会は減少しバランスが崩れている。

(実際、学校では受験に関係ない教科は時間数がものすごく削られているし、教科によっては10年以上採用が無くこのままいけば消滅するかもしれない教科もある。)

これが現在の社会的な困難な状況と相まって低意欲、低モラル化、人間関係を築けないコミュニケーション能力の低下、メンタルヘルスの問題と様々なところへと繋がっている可能性は高いのではないか。

バーチャルな商品やサービス、社会環境に関わる会社や行政、教育の人たちはこのことを十分意識して今後の行動を決めなければならない。

なぜならそれらの商品やサービスが、子ども達の生物的な発達に必要な感覚や身体の成長に必要な作業の時間を際限なく奪うからである。

日本の教育は日本人自身にとっては当たり前のことなので、素晴らしいとは思われていないし、残念ながら弱点もある。

他国と比べて暮らし易い社会を作るには良いが、国際社会の中で生き残るにはまだ未知数だったり、不十分な部分もある。

このように教育システムに弱点はあるが、リコーダーとか鍵盤ハーモニカは別に芸術家を養成するためではなく、全体の中で重要な役割の一部を担っているのだ、但し教育関係者でもこういう認識でない人もかなりいるとは思うという説明におおむね納得して貰えたようだった。

2009年 作成 2015年 改訂