Symphonies and Conductors (No.1)
Wilhelm Furtwängler
最もクラシック音楽らしい音楽といえば、ベートーヴェンの「交響曲」であることは間違いない。昨今は交響曲と言えばマーラーやブルックナーが演奏会で取り上げられることが多くなったが、ベートーヴェンの作品を立派に演奏できることが偉大な音楽家の条件であることに変わりはない。それ故、古今の演奏家はベートーヴェンの作品に挑戦を続けてきた。ドイツのオーケストラの代表であるベルリンフィルもドイツ音楽を中心にして古今の指揮者によって作り上げられてきたといってもよい。ドイツ音楽の代表である交響曲の20世紀を代表する指揮者といえば、何を置いてもフルトヴェングラーに登場願わなければならない。フルトヴェングラーは、その著作「音と言葉」の中でもベートーヴェンについて深い洞察に基づく論文を発表している通り、演奏活動の大きな部分をベートーヴェンが占めていた人であった。それだけに、なによりもベートーヴェンを聴くことがフルトヴェングラーの音楽を理解することになる。
上は、フルトヴェングラーのベートーヴェンに関する代表的な演奏のいくつか。彼の音楽に共感する熱狂的ファンが世界中に存在し、その結果、ベートーヴェンの合唱などは、十数種も発売されていることでも分かるように、フルトヴェングラーの演奏で録音の残っている物は、ことごとくレコード・CDとして発売されている。
①、②、③は、Beethoven No.3,5,6/Vienna Philharmoic Orchestra
④は、Beethoven No.9<合唱>/バイロイト祝祭管弦楽団(1951年)
特に、④は、戦時中にナチスが利用したということで戦後閉ざされていたバイロイト歌劇場の復活記念として1951年7月29日にバイロイト祝祭劇場で開催された演奏会の実況録音であり、フルトヴェングラーの名を不朽のものにした名演として有名。ジャケット・デザインも強烈な印象を与えるもので、貧乏学生であったころ、このレコードが欲しくてたまらなかった。今では、録音の古さが気になるが、それでもこの演奏の持つ意味は文字通り永遠に不滅といって良い。
さて、フルトヴェングラーのベートーヴェン以外の演奏に目を向けてみると、フルトヴェングラーのベートーヴェン以外の交響曲の録音は、それほど多岐に渡ってはいない。しかし、残された録音から滔々と音楽が流れるのを聴くことができる。下は、その極一部である。
⑤は、Schubert No.8<Unfinished>/Vienna Philharmonic Orchestra
⑥は、Schubert No.9/Berlin Philharmonic Orchestra
⑦は、Schumann No.4 and Haydn No.88/Berlin Philharmonic Orchestra
⑧は、Brahms No.4/Berlin Philharmonic Orchestra
これらロマン派の中心に位置する作曲家達の演奏をフルトヴェングラーの演奏で聴くときこそ、クラシック音楽の悦楽に浸れる至福の時間と言える。

フルトヴェングラーの録音で、忘れてはならないのが、第二次大戦中のもの。フルトヴェングラーは、戦争中もドイツに残り演奏活動を継続したことから、戦後はナチスへの協力者として批判を浴び、フルトヴェングラーの真意は、もちろんナチスへの協力などではなかったのだが、戦後しばらくの間はドイツ国内での演奏活動を禁じられることとなってしまった。第二次大戦中のベルリンでの定期公演は、最新型のテープレコーダのテストも兼ねて帝國放送局によって継続的に録音されていたが、戦争末期にロシア軍がベルリンに攻め入り、保管されていた録音済のテープを戦利品としてモスクワに持ち帰ってしまったのだった。
第二次大戦後の東西冷戦によって、モスクワに渡ったフルトヴェングラーの遺産は非公開となり、戦後ずっと行方不明であったが、それが冷戦終結によって1990年にマスターテープからカッティングされたレコードが初めて制作され、貴重な記録が耳に出来るようになった。このレコードは、1942年3月に録音されたベートーヴェンの合唱だが、戦争中の緊張感が伝わってくるような演奏である。私は、この引き締まったベートーヴェンを先に述べたバイロイトでの演奏以上に評価しており、フルトヴェングラーの<合唱>では、この演奏を第一に押すことにしている。
Herbert von Karajan
フルトヴェングラーの後、ベルリンフィルを継いだのがカラヤンであった。カラヤン も、ドイツ音楽をレパートリの中心に置いて活動してきた指揮者である。従って、Karajan の演奏で何を聴くかと言えば、まずベートーヴェン、ブラームスが最初に来るべきレパートリなのである。カラヤンもフルトヴェングラーと同様に、ベートーヴェン、ブラームスを何度も演奏・録音している。
上の左は、カラヤンがベルリンフィルとともに1960年代初頭に初めてステレオ録音したベートーヴェンの交響曲全集。カラヤンは、1950年代にフィルハーモニア管弦楽団と全集を作り、手兵ベルリンフィルとは、1960年代、1970年代、1980年代と3度もベートーヴェンの交響曲全集を録音している。それだけドイツを代表する指揮者であることの自負が強かったとも言える。この1960年代初頭に録音されたベートーヴェン全集は、クラシック音楽界の帝王と称されたカラヤンがベルリンフィルを手中に入れた後での初のベートーヴェン録音である。精気溢れる壮年期のカラヤンの演奏であり、伝統的なベルリンフィルの重厚な響きを聴くことができる。ベルリンフィルのみならず、オーケストラのこういう響きはいまでは半ば失われてしまった感があり、この1960年当時の演奏を聴くと、時代の変化を感じざるを得ない。この録音の後、カラヤンがベルリンフィルを率いて来日し、クラシックファンのみならず多いに話題となった。このカラヤンスタイルに拒否反応を示す人もいて、あれこれと話題に事欠かない時代であった。
中央は、左の全集から分売されたものの一枚。カラヤンの指揮姿が一世を風靡したわけだが、同じくカラヤンによるブラームス全集も右のようにモノクロームの指揮姿を写した物で、こちらも話題となった。
カラヤンといえば、北欧物、ロシア物を忘れることが出来ない。特にシベリウス、チャイコフスキーなどは独壇場のうまさを見せていた。ベルリンフィルの重厚な響きと、日本人にとってのロシア・北欧のイメージがマッチし、どれをとっても第一級の演奏として今でも評価することが出来る。
①は、Sibelius No.5/Philharmonia Orchestra (1952年)
②は、Sibelius No.5/Philharmonia Orchestra (1960年)
③は、Sibelius No.4/Berliner Philharmoniker
④は、Sibelius No.5/Berliner Philharmoniker
⑤は、Sibelius No.6,7/Berliner Philharmoniker
⑥⑦⑧は、Tchaikovsky No.4,5,6/Berliner Philharmonikerとの最初の録音
カラヤンが選択したのか、レコード会社のプロデューサが選択したのか分からないが、チャイコフスキーの作品を繰り返して録音している。悲愴交響曲に至っては、モノラル時代の物も含めて公式録音だけで7種類にもなるほどである。シベリウスもチャイコフスキーほどではないが、繰り返し録音している。これらの作品にカラヤン自身、共感する物があったのだろう。カラヤンの演奏の特質は、ベートーヴェン、ブラームス、チャイコフスキー、シベリウスの4人の作曲家で概ね知ることが出来ると思う。
さて、カラヤンにとって1970年代は手兵ベルリンフィルと最も充実した活動を送った時代であった。1970年代のクラシック音楽界では、マーラーとブルックナーがブームのごとく取り上げられるようになり、カラヤンもその動きを察してか、この2人の交響曲に取り組むようになった。ブルックナーに関しては、若い頃から演奏会でも録音でも8番を何度か取り上げていたが、他の曲はほとんど取り上げていなかった。現代の、ベートーヴェンなどより先にマーラー、ブルックナーに取り組むといった状況とはまったく異なる時代だった。カラヤンがブルックナーとマーラーに目を向けるようになったおかげで、マーラー、ブルックナーの複雑なシンフォニーに新たな風をもたらす演奏が出来上がったといえる。カラヤンの演奏するマーラーの5番のアダージオなどは、もはや大衆音楽といって良いほど人口に膾炙したものになった。1980年代にはブルックナーへの傾倒が強まり、カラヤン最後の録音もブルックナーであったことは何か因縁を感じる。
①は、Bruckner No.8/Berlin Philharmonic ベルリンフィルとの最初の録音(1950年代後半の録音)
②は、Bruckner No.8/Berlin Philharmonic 1970年代に始まったブルックナー全曲録音の一枚
③は、Mahler No.9/Berlin Philharmonic 一連のマーラー録音の一枚
カラヤンのブルックナーの録音は、上の写真のようにいずれも鳥の羽をモチーフとしたレコードジャケットを用いていた。また、マーラーの一連の録音は、虹をモチーフとしていた。マーラーが全曲録音とならなかったのは、残念な気がする。
Karl Böhm
1970年代後半のカール・ベームの日本での人気は大変なものであった。神様扱いとは、まさにあのことである。カールベームは、それまでにもウィーンフィル、ベルリンフィルを中心として充実した活動を展開してきていたが、日本ではフルトヴェングラー、カラヤンの名声に一歩譲っていたように思う。それが、1975年にウィーンフィルとともに来日した折りの演奏からはじけたように日本での名声が高まったのは、老人指揮者に敬意を払う風習が日本にあるからか。とにかく、一見淡々とした指揮ぶりにもかかわらず、それまで日本公演といえば手抜きと言われ続けていたウィーンフィルから大熱演を引き出したことで、ベームとウィーンフィルに対する評価が一変したように思う。
ベームの演奏は、ベルリンフィルのものが多くある。同じベルリンフィルでもカラヤンとは趣が異なる演奏で、ベームが指揮するとなぜか一時代前の古典的で厳格な雰囲気が感じられる。
左の2枚は、ブラームス No.1とベートーヴェン No.3 で私が最初に耳にしたベームの演奏。いずれもベルリンフィルとのもの。1950年代末の録音で、当時のベルリンフィルの重厚な音の響きを聴くことができる。Beethoven、Brahmsの音楽についてイメージ通りの演奏であり、これを理想とされる方も多いと思う。ベームは、ベートーヴェン、ブラームスの交響曲全集をウィーンフィルの演奏で残している。ベルリンフィルとのものに比べてふっくらとした演奏で、どちらも名演の誉れが高い。
ベームの数ある録音の中で、1960年代に完成させたモーツァルト全集は特筆すべき録音である。昨今の古楽器ブームのおかげで、モーツァルトをフルオーケストラで聴くことがはばかられるような雰囲気があるが、当時はおおらかに演奏されていた。こういうモーツァルトを聴いて育つと、どうも古楽器のうすべったい響きでは満足できなくて、音楽業界の流行と齟齬をきたしている感があるが、私個人としては、ベームのやや固さの残るモーツァルトがいまでも規範になっている。もう一つ、フルオーケストラでは聴けない交響曲になってしまったのがハイドン。ベーム/ウィーンフィルによるこのハイドンのふっくらした響きを聴くと、古楽器の演奏がいかにも貧相な物に聞こえる。いくら学問的に古楽器演奏の正当性を主張しても、この響きの美しさにはかなわない。音楽の本質を考えさせられる演奏である。
左上:Mozart No.32,No.35,No.38
右上:Mozart No.40,No.41
左下:Mozart No.36,No.39
右下:Haydn No.90と協奏交響曲
ブルックナーがブームといわれるほど盛んに演奏されるようになって久しい。ブルックナー演奏では、楽譜の版がああしたこうしたという話が取りざたされるが、ノヴァーク版の普及に取り組んだのがベームといわれている。私がまだそういった知識を持ち合わせていない頃、ブルックナーの3番と4番がベーム/ウィーンフィルの演奏で発売され、ノヴァーク版使用というのが話題になっていた。わざわざ楽譜の版名を喧伝する必要が何処にあるのかと当時は思っていたが、今考えると意味のある話であった。