Ki in Daily Life


36/2012・3・7 CEJセルフケア会&お茶っこ@南三陸】http://cureeastjapan.jimdo.com/

3/2新宿から夜行バスで石巻へ出発。
3/3石巻か登米市(南三陸町の隣)にある横山仮設住宅でセルフケア会を開催しました。
いつもお世話になっている南三陸ホテル観洋のWさんが、その仮設に住んでいらっしゃるという
ご縁で実現しました。この仮設には南三陸の100世帯のご家族がお住まいです。

以下、その報告です。


3/2 23:55 冷たい霧雨の新宿をバスで出発。
3/3 最初の休憩後、何時頃か、バスが何回も止まり、止まるとなかなか出発しない。
そんな状況まま、2時間おきのはずの休憩もないまま、石巻到着予定の6:30を過ぎる。


運転手さんに聞きに行くと、まだ福島県白石の手前とのこと!雪で高速道が通行止め
(事故もあった模様)で一般道へ降りたが渋滞で進めないらしい。石巻からJR石巻線
・気仙沼線を乗り継ぎ、柳津まで行き、タクシーで観洋へ行く予定がご破算となる!

当初の予定を変更し、横山仮設住宅へ直行する。柳津から利用するはずだった
タクシー会社の方が石巻へ迎えに来てくれるとのこと。遅れに遅れ、石巻に着いたのは
12:00過ぎ!6時間遅れで12時間もバスに乗る破目に。

石巻駅には柳津タクシーKさん(とてもいい方で、ぜひ南三陸へ行かれた方はご利用ください)
が待っていてくれた。コンビニで昼食を買い、タクシー内で食べながら、40分ほどで南三陸町のお隣、
登米市にある仮設へ、何とか予定の5分遅れで到着。すでに集会室には自治会長さんや
観洋Wさんの奥さんとお子さん、皆さんがお待ちかね。

東京から送っていた飲物・お菓子等を引き取り、会場のセッティングをし、
20分送れてセルフケア会スタート。室内は暖房が効いていて暑いくらい。

「お茶っこ」を挟み、15:30まで、KKさんの【ひとりで操体法 3つのパターンでセルフケア】と
KYさんの【テニスボールを使ってセルフケア】の講習。お二人とも、昨年の武蔵野での
セルフケア会と変わることなく講習を進められ、参加者の笑い声の絶えない、和やかな雰囲気の会となった。

   【ひとりで操体法 3つのパターンでセルフケア】
   操体法は仙台の医師、故橋本敬三が体系化した運動療法。
   からだをラクな方、心地よい方へと動かして、ゆっくりとととのえます。
   からだが元々持っている治す力を引き出す方法でこころとからだをほぐしませんか。
   今回は3つのパターンをピックアップ。様々な動きの核になるような操法です。 
   シンプルだけどその奥にあるからだの法則を体験してみましょう!

   【テニスボールを使ってセルフケア
   ピラティスとは身体のコアとなる奥深い筋肉を鍛え、身体のバランスを整えることで、
   心身の健康をめざすエクササイズ。そのためには、まず身体から余分な力を抜き、
   リラックスしましょう!使い古しのテニスボールを使って足の裏で踏んだり、
   お尻や肩と壁の間にボールをはさんで自分の重さを使ってコロコロこすりつけたりして、
   固くなった筋肉や筋膜を緩めます。いつでもどこでも気軽にできるセルフケアです。


以下はアンケートから、参加者の声。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<
操体法>
・大変良かったです。一人では出来かねますが、皆でやるととても身体に良いことが分かります。
・簡単な方法で一人自宅でも毎日できるのでとてもよい。
・皆楽しそうにしていたのでよかった。
・簡単にできる体操で、これなら続けられそう。
・分かりやすくてためなりました。

<
テニスボールでセルフケア>
・足の裏が軽くなった気がします。
・ボールを使って、一人ででも痛いところにあててできるので、毎日続けられるので良い。
・すごく気持ちよく軽くなりました。
・家にいてもちょっとしたときに出来るので楽しくやれそう。
・足がたまにつるので勉強になりよかった。
・良かった、気持ちよかった。

<
その他>
・大変良かったです。この企画があれば良いとおもいます。
・また、できれば来ていただければと思います。
・またあれば来たい。来てください。ブレスレットワークショップいいですね。
パソコンを覚えたい(目が悪いので音声認識で)
・少しの時間でも動くことが出来たので、気分的に気持がいい。また、来て指導してほしい。
・最後しか参加できなかったので、またゆっくりできるよう来ていただきたいです。
・またあれば参加したいです。ブレスレットを作る会とかあればいいです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

参加者は女性10名(30歳代から70歳代)。途中で帰った方や終了際に来た方を含め15名。
ブレスレット等お土産もお渡しする。やっぱりブレスレットの人気は高い
(作成してくださった‘ふんばろう東日本支援プロジェクト’のみなさまありがとうございました)。

お茶っこのとき、私は頼まれてちょっと抜け出し、両脚がつって歩けないという高齢の女性の居る仮設へ、
自治会長さんに連れられ一室を訪問。30分ほど施術。何とか楽になっていただけたようで
、ほっとされ最後は笑顔もみられた。寒さと水分補給不足と運動不足が原因か?

自治会長さんのお話では、いつも集まるメンバーはほぼ決まってしまうとのことで、
なかなか仮設から外へ出てきてもらうのが、特に男性は、容易でないとのこと。この日も、
天気は快晴で、それほど冷え込み厳しくなかったが、100世帯あるという仮設住宅、
集会室への帰り際、会ったのはお一人だけ。

最後は集会室を掃除し、ゴミを含め残ったものをまとめ、
迎えに来てくれたタクシーで南三陸ホテル観洋へ。

途中、防災対策庁舎などを訪れ、さらに2月25日オープンの、さんさん商店街
(志津川復興名店街)へ。昨年8月のふんばろうツアーで、CEJメンバーとご縁のあった方
お二人が、お店を出しているというので訪問。お二人ともいきいきとした様子で頑張っていた!
なかなかいいお店が揃っているので、観光スポットとしても発展し、
今後の形へ繋げて欲しいところである。南三陸を訪れたときは、ぜひお買い物をしていただきたい!

17:30前に観洋到着。ホテルからすぐの観洋係属保育園マリンパルを訪問。
保育士さんにブレスレットをお渡しする。

3/4 朝食後、8:45からホテル観洋マイクロバスで「南三陸町内語り部ツアー」へ。

10:00発予定の仙台行きチャーターバスが、9:55頃、先に行ってしまうというハプニング!
違う車で追いかけてもらい、無事乗車。渋滞で少し遅れ仙台12:00過ぎ着。昼食をとり、
14:00前、新幹線で東京へ。


以下は同行のKYさんの「南三陸町内語り部ツアー」レポート。()内は私コメントです。

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4日、ホテル観洋の大露天風呂で日の出を迎えた。半年前には何も無かった海に、
ワカメ、ホタテ、カキなどの養殖のブイがビッシリ浮かび、漁船が何隻も作業している光景に感動した。
朝8:45、ホテル観洋のマイクロバスで「南三陸町内語り部ツアー」に出発。
観洋の従業員の方の臨場感あふれる説明に、参加者はみな厳粛な思いで聞き入り、
涙をこらえるシーンも多かった。以下にその内容をレポートする。

●ライフラインの復旧には時間がかかり、電気は一ヶ月、水は四ヶ月かかった。
700人の被災者を受け入れ、従業員は一日二人でおにぎり一個で頑張った。
飲料水はボランティア団代の給水車が毎日運んでくれたが、トイレを流すのに使う水などは、
従業員が川から運んだ。

(水道、下水道の復旧が一番遅れたようです。昨年6月訪れたときは、
駐車場に仮設トイレがずらっと並んでいた)

●自衛隊が流された橋にかわる仮の橋を渡してくれたので他地区と行き来が出来た。
今はその橋はないが、町の人にとって忘れられない橋だ。

●南三陸町の人口は、震災前が約1700人、震災後が1500人。亡くなった方、行方不明者、
町を出た方が約2000人。都市計画で二年間は建築物を建てられないため、殆どがプレハブ。

●港町は80から90センチ地盤沈下しており、木造家屋は全て流されたので、
今後はプレハブの町になるだろう。志津川魚市場は、テント張りだが再開しており、
水産物加工工場の建設は許可されて再建されつつある。

●ここに廃墟となっている〇〇会館は、震災時高齢者のカラオケ大会が行われていた。
あわてて外へ逃げようとする人たちに、支配人が玄関で仁王立ちになって
「死にたくなければ建物の上に登れ!」と一喝し、全員が屋上で一夜を明かしたが助かった。
志津川公立病院は、5階に逃げた人だけ助かった。4階まではベッドごと流された人もいる。

●港を見下ろす丘に建つ小、中、高校の校庭の3分の2は仮設が占めており、
生徒達は運動出来ずにいるが、おなじ町民のために我慢している。

(小学校では、少し前にも地震があったので、避難計画を綿密に作成し、
3月11日のときは全員(自宅にいた児童を除いて)全員無事だったとのこと)

●高校の下に老人ホームが建っており、津浪が襲ってきたとき高校生が坂を駆け下り
懸命に老人たちを助けようとしたが、一部の方たちしか助けられなかった。高校生の親たちは、
子どもたちに当時のことを聞くことはとても出来ない。


●防災対策庁舎は、屋上に登った10名くらいだけが助かった。ここをモニュメントとして
保存する計画もあったが、遺族感情を配慮して欲しいとの申し出により、最近に町長が
取り壊しを約束した。またマイクで避難を呼びかけて亡くなった遠藤未希さんのみが
クローズアップされているが、彼女の上司の三浦毅さんが彼女に代わり最後までマイクを握ったという秘話があった。
三浦さんのご遺族はマスコミの報道や教科書に載るという話を複雑な心境で受け止めているという。


(3/4のETVで三浦さんの奥さんが、防災対策庁舎に、ご主人のことを呼び掛ける場面がありましたが、
胸が痛みます)


●観洋ガイドの方の最後のご挨拶「皆様が訪ねて下さることが、復興への大きな力となる。
みな頑張っており、ここも一日一日変わっている。その変わっていく姿を、是非また見に来て欲しい」

(「南三陸町内語り部ツアー」、取り上げられない実情を知る事ができました。
またホテル観洋では、一周忌で集まる、多くの喪服姿のご家族の姿がありました)

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お借りした集会室、管理事務所に併設されていて、大きさは12畳程度。
利用時間も限定されていて、100世帯とういう規模の仮設住宅に住んでいる方どうしの
コミュニケーションを図る場としては狭く、使いづらい氣がした。


今回はチラシを配っていただいたが、今後継続できれば、今回出席された方からの口コミで活動が浸透し、
ふだん仮設からあまり出ない方にも来てもらえるような形へ、地道に繋がっていければと思う。
バラバラな地域から集められ、お互いの交流をといわれても、難しいであろうと推測する。
まだ、外からの働きかけ、支援が必要ではないだろうか。

お茶っこ(カフェ)のお菓子や飲物、今回は東京からCEJのメンバーに送ってもらったが、
今後は、さんさん商店街など地元で、お菓子や飲物を調達という方法もとれればと思う。
現地の方の持ち寄りという形も出来ればと思うが、仮設は、買い物も大変なようで、
まだ当面こちら主導がいいようである。会自体の運営を現地の方ともっと一緒に
出来る形をとれるようになればと思う。

部屋から出て来られない、体調が思わしくない高齢者も結構いるとのことで、
施術の必要性もある。今回は自治会長さん同行で部屋に入れたが、
いつもとはいかないだろう。ただ、今回ご縁をきっかけに、地道に信頼関係を築いていければ、
何か貢献できればと思う。


37/2012・2・2 いわきへ行ってきました

昨年12月15日、
いわき駅前ラトブにあるシャプラニールさんの被災者交流スペース「ぷらっと」で氣圧。
Nさんと一緒にふたりで5名(@45分)ずつ10名の方に(私は+いわきの知人1名)。

「ぷらっと」はラトブ(ルミネみたいな感じ)の2階にある交流スペース。
ラトブはいわき駅すぐのところにあり、東京からの高速バスを降りて、
ほんの1、2分のところ。照明は明るい。若干目立ちにくいが、
誰でもぷらっと寄れる感じ。いわきの一般の人や観光客も訪れる。
その日は、ちょうどフィンランドからサンタさんが来ていたので、
1階が賑やかだったが、氣圧に差し支えるほどでなし。

お茶をのみながら談話できるテーブルがあり、ホワイトボードで仕切り、
外から見えにくくし(見えるけど)、その内側で氣圧を行う。施術台は2つあり
(1畳のたたみの大きさ)、台の高さはパイプ椅子の坐面と同じ程度。
ビニール張りの四角いブロック(イス?)も使える。

そこにバスタオルを敷き、横になってもらったり、
あるいは台の横で椅子を使ったりして氣圧する。

狭い借り上げ住宅で、運度不足状態で、身体が硬くなったり(女性)、
あるいは筋肉が落ちてしまったり(男性)している。
また、部屋に備え付けのベッドに足をぶつけて、歩くのが困難になってしまったという人も。
福島というと原発からの避難と思われるが、津波で家を流されたという方もいる。
いずれもストレスを抱えている。

氣圧後は、お茶をのみながらリラックスして談笑する姿も。
初めて来たという人も多く、いろいろなイベントの機会をきっかけに、
住いから出てきて、すこしでも氣分転換して欲しいものです。

セルフケア会なども企画できれば・・・


36/2012・2・2 セルフケアメモ

昨年10月に行われた、セルフケア会での「セルフケアメモ」を、
CEJのブログに掲載していただきました。


35/2011・8・25 ボランティア

●南三陸ボランティアレポート

20110819南三陸ボランティアレポート》

□目的地/宮城県の南三陸町(ホテル観洋http://www.mkanyo.jp/

□日程/8月19日(金)〜8月21日(日)の1泊3日のバスツアー

□内容/@施術ボランティア活動とA一般ボンティア活動 (以下@の内容です)


【8/19】

●19:00

バス出発地点近くの居酒屋で、打ち合わせ兼夕食。

CEJ以外からの参加者と初対面。1名は別途新幹線で現地合流。

今回の顔ぶれは・・・

IYさん 鍼灸師・あん摩マッサージ師/経験13年
SAさん 温熱療法イトオテルミー療術師/経験15年
KYOさん ピラティス・マット・トレーナー /経験3年
KTさん 鍼灸師/経験15年
KKさん 鍼灸師/経験10年SYさん 整体療術師 /経験12年
TSさん 姿勢保健均整師/経験3年
◇よないやま 氣圧法認定者/経験17年

その他に、お茶やお菓子を出してくれるカフェ班3名、KYUさん、SNさん、NKさん。

計11名の施術・カフェチーム。私が全体のお世話役を仰せつかりました。

●21:10

予定より少し遅れて、南三陸へバス出発!

途中休憩や仮眠の時間が入る。3時頃、天ぷらそばを食べる。
ラーメンやおにぎりを食べている人も。

ほとんど眠れず(明け方に4、50分寝たかな・・・)。
周りにはいびきをかいて寝ている人も。

 

【8/20】

●7:30過ぎ

南三陸ホテル観洋到着。

前回(5/31、6/1)に来たときに仮設トイレが置いてあった場所は、
この日、観光バスで一杯。

ロビーにて結団式を行う。

近畿日本ツーリストの方、観洋女将さんの挨拶。

       (南三陸町/被災者を支えるホテル観洋の女将さんのYOUTUBE映像

        ⇒ http://www.youtube.com/watch?v=USTNWDgLYZA

CEJチラシ・9/4合同ケアチラシを配布。各班ごとに自己紹介。

施術準備のため6階に上がる。前回と同じ弁天の間。

10時間以上飲ます食わすトイレもいかずで、TNさんと43人施術したことを思い出す。

温熱刺激療法イトオテルミーとはどういうものか、
観洋のWさんに体験してもらう(火を使い煙も出るとのことで、心配されていた)。
問題なし!!



●10:00前

地元の花屋さん“あべ・グリーン”のみなさんが到着。

施術会スタート。

流れとしては、

まず、カルテにお名前連絡先等を記入していただく。
早く来た方にはお茶などをお出ししする(施術終了後も飲み物やお菓子を)。
あと、いろいろなお土産を見て選んでいただき、
時間のある方はカフェ班がハンドマッサージをしながらお話しをうかがう。

・・・といった感じ。


お土産で、何といっても人気抜群だったのが、鍼灸師のKTさん作のブレスレット。
二つ三つと持って帰ろうとする人も続出。

昼食をはさんで16:00までだった施術予定を、結局19:00の夕食前まで延長。

(昼食の、イクラ丼、刻み昆布入りうどん、美味しかった〜)

私は統括進行役の予定でしたが、予約が多かったので、急遽施術に回ることに。

すぐ近くの保育園、マリンパルへ出張の話もありましたが、
結局、園長さんのMMさんがこちらへ来て下さいました。

1日目は54名!の方がいらっしゃいました。

●19:00〜

夕食を済ませ、各自お風呂へ。

津波の被害にあった、2階大浴場が新装開店。

露天風呂もあり、ちょっと熱めでしたが、癒されました〜〜

4階にも大浴場があるのですが、
何と女性用のみ、2階から4階までお風呂の中を移動できる!

女性優先の造り(by女将さん)とのこと。

部屋へ戻り、男性陣でまず乾杯!

ビール旨過ぎ!!

東松島フェスティバル班のTKさんも同部屋で、今日のお話をうかがう。
ブルーインパルスの空中ショーの写真を見せていただく。

女性陣第一陣到着。2回目のお疲れ!乾杯。

女性陣が揃い、3回目の乾杯!今日の感想と明日への抱負を語り・・・

8/21誕生日のKYUさんにサプライズプレゼント!

何と、もうひとりSTさんも8/19が誕生日と、このツアー中にふたりもいたとは!

Happy birthday to you two !!

12時すぎに就寝。

【8/21】

●5:00


カモメの鳴き声に起こされる。朝風呂に行った人も。

●7:00

朝食。海鮮焼売が美味しかった。

若干1名、朝から丼飯をおかわり・・・(わたしですが^^/)。

●8:00


本日の準備開始。


●9:00


施術スタート。一回目はすでに8名予約済みで一杯。

観洋の従業員の方も仕事の合間に裏から施術を受けに。

いろいろお世話になった、Wさんにも受けていただく。
女将さんや社長さんもお招きしたものの、団体客も到着して、

ロビーが一杯で超多忙。残念ながらまた次回ということに。


100s以上ありそうな巨漢の課長さん登場。
男性のKTさんにふろうと思ったら、すでにご指名ありで、
一番小柄な女性のIYさんにお願いする。

「大丈夫ですよ」・・・さすがプロですね。


●12:00過ぎ


終了・・・と思ったら、昼食を済ませて戻ると、ご夫婦が駈け込みでいらっしゃった。

KTさんと私で15分程施術。そのお二人をエレベーターまでお見送りし・・・

13:00過ぎに総て終了!

 

2日目27名で、計81名の方にお越しいただきました!!!

ホテルフロント前で、女将さんとWさんを囲んで記念撮影。


●14:30


少し遅れて、バスは東松島へ。


一般ボランティアさんと合流し、津波被害にあった中学校を訪れる。

防波堤があるので海は見えない。

前回行った石巻も防風林で海は見えなかったけど、
ここも同様で、突然津波が襲ってきたときの恐怖を思うと戦慄が走る。

東京で海というと、遠くまで展けている風景を思い浮かべるが、
こちらでは、堤防しか見えない(石巻は、防風林)。

中学校に行く途中には、かなり大きな一軒家があったと思われる跡が。何軒もある。
辛うじて表札のついた門柱だけが残り、後は根こそぎで、土台が残るだけの状態。


中学校の敷地にはあちこちに陥没が。

海に近いほうの校舎は、コンクリート部分だけ残し、
1階部分は、窓ガラス、窓枠、教室の壁が跡形も無くなっている。

体育館の中には、どうやって入ったのか、
根もあらわな10メートル以上の木が根も顕に横たわっている。

幸い、皆避難し、犠牲者はいなかったとのこと。


●16:00??

バスに戻り、一路東京へ。


●22:20


事故渋滞もあり、予定よりかなり遅れて東京駅八重洲口に到着。

千葉から来たTSさんは最終バスで木更津へ。

他のみなも、9/4の打ち上げでの再会を確認し解散。


皆さんお疲れ様でした^^/ ^^/ ^^ /^^/


◆参加者の感想

KYUさん》

南三陸から帰ってきて、今日は一日、水一滴も飲まずに寝てましたー(笑)
CEJ
の皆さん、本当にありがとうございます、そしてお疲れさまでした。
カフェ担当のSNさん、NK、お二人がいたので、カフェは大盛況で
受付も混乱もなく廻りました。本当にありがとうーーーー!
そして、取りまとめのよないやまさん、本当に本当にお疲れさまでした。
これからもCEJのお父さんとしてよろしくお願いします!

KTさん》

MTさんの紹介の「アベグリーン」さん、本当にありがとうございました。
私自身は石7:施術3の気持ちでしたが、施術110の勢いでした。
ふんばろう本体の企画と、MTさんのつながりと

ツアーメンバーの一人ひとりの努力あっての事でした。
何一つかけてもここまで上手くいかなかったと思います。
臨床チーム総括の米内山さん。

カフェ班、宣伝、受付に力を注いでくださったKYUさん。
お二人には特にお礼申しあげます。

KYOさん》

CEJに参加したばかりで、ちょっぴり不安をかかえながら参加した
ツアーでしたが、みなさんともすぐに仲良くなれて、すばらしい
チームワークで愛のあふれる空間(STさんの発言)を作ることができました。
みなさん、お世話になりどうもありがとうございました。
たった2日間ご一緒しただけなのに、今日は一人で何だか寂しいです。

SNさん》

19日〜昨日まで、大変おせわになりました。
皆様のチームワークの素晴らしさに、
鳥肌がたつ位感動をうけました。

南三陸町の皆様の術後の表情が柔らかく、
感謝の言葉を頂いて、参加できたことに感謝いたします。
一生懸命な姿は、人の心に響きますね。

また、出来る事ならば、今回参加したメンバーで、
南三陸へ、再び伺いたいと思いました。

くれぐれもお体お疲れが出ませんように。
9月4日の打ち上げ、楽しみにしています。

TSさん》

こんばんは、先日は大変お世話になりありがとうございました。
先輩方の施術は、非常に勉強になりました。
また、様々な流派がありますが、真剣に被災者の方々に向き合っている姿をみて、
是非自分も先輩方のような施術者になりたいと思いました。
今後ともよろしくお願いします。

KYUさんはじめ皆様にもよろしくお伝えください。

本当にありがとうございました。

NKさん》

皆さんにメールしようと思っていたのですが、
バス移動で思いのほか疲れが出て家に帰るとすぐ寝てしまってました。
施術班の方や外で作業していた方に比べたら、

こんな事言うのは申し訳ないって感じですが
帰ってすぐは本当に行ってよかったと満足感いっぱいだったのですが、

何日かすると反省点も見えてきて、あーすればよかった、
自分の)ここが足りないとかいろいろ考えてました。

特にお母さんが施術しているときに、
女の子の相手を途中でお茶出しで中断してしまい、
泣き出してしまったことが気になって、
配慮が足りなかったとつくづく思いました

これからも自分の気力体力と相談して、

微力ながらお手伝いさせていただきたいと思ってます。
マイペースに頑張ります(私以上にマイペースな方がいるので気楽です())。


皆さんのおかげでとてもいい雰囲気が作れて、とても楽しかったです。

ありがとうございました。



 
SNさん》

今回のツアーでは大変お世話になり ありがとうございました!
本当に良い体験になりました! 
よないやまさんを始め、KTさん、KYさん方の、
現場対応の素早さに只々関心しておりました! 
社会生活をどうにか営んでいる私は、
付いて行くのが精一杯で足手まといでしょうが、
これからも宜しくお願いいたします。
皆さまにも宜しくお伝えくださいませ。

9月4日は参加出来るのを楽しみにしております♪


IYさん》

KYUさんがどれだけ大変な準備をされていたか
当日まで、わかっていませんでした。
ほんとにお疲れ様でした&ありがとうございました。 


 
【8/19】
すみません。別行動をさせていただきました。
私が逆の立場なら「集団行動できないやつは来なくていい」
くらいなこと、思ってしまうかもしれないところなのに
いろいろ取り計らってくださった米内山さん、TAさん
ほんとにありがとうございました。


【8/20】
広いし、涼しいし、お菓子とか飲み物とかたくさんある。
みなさんへのお土産がたくさんあるのにもびっくり。
こんなに恵まれた環境でボランティアができるなんて!
と思いました。


施術を受けに来てくださったみなさん、お疲れでしたね。
50分という制限時間の中でなかなかうまく結果が出せず
会話もうまくできず周りの先生たちを見渡すと、

みなさんすごく上手にやっててあせりました。

あれだけ大変な経験をされて、耐えて、がんばってきた方々と
向き合うには、わたしは未熟だな〜、と。

でもそんなことを言っている場合ではなく
カフェ班の強力なサポートのおかげで
なんとか無事に土曜日の施術を終えました。

ほんとに、私がぜんぜんダメだったトークの部分を
見事におぎなってくださったカフェ班のみなさん
助かりました。ありがとうございました。

夜、男子部屋でミーティング?ちょっと飲み会?しました。
この年になって、こんな学生の合宿のようなことを〜!

 【8/21】
>
朝食。海鮮焼売が美味しかった。
そ、そうだったんですか?私、食べなかった、後悔…。

>
100kg以上ありそうな巨漢の課長さん登場。
> KT
さんにふろうと思ったら、すでにご指名ありで、
>
一番小柄なIYさんにお願いする。
え、課長さんだったんですか!知らなくてよかった。
緊張しちゃうとこだった。
でも私、この方への施術が一番うまくいった気がします。
とてもいい方でした。

あと、この日、一人目に施術させていただいた方から
とてもうれしい一言をいただきました。
それだけで、この先ずっとがんばれるくらい。
来てよかったと思ったし、また来たいと思いました。
ほんとに、ありがとうございました。

帰りにTAさんが津波の被害にあった場所に連れて行ってくれました。

TA
さんの気配りは、ほんとにすごい!
その10分の1でも、気配りのできる人になりたいと思います。

最後に、みなさん、お世話になりました。
お疲れ様でした。


【おわりに】


□何といっても、現地のみなさんの笑顔が一番の収穫、喜びです。

□9月11日には合同慰霊祭も控えています。

ホテル観洋から、仮設住宅への移る準備の真っ最中。
気持も揺れ、引越し作業で肉体的にも疲れている方が多かったようです。
そういう意味でも、今回の施術カフェは絶好のタイミングでした。

少しでもいいから、末長い支援が出来ればと思いました。

これから観洋では、仮設住宅を回る巡回バスを出す計画とのこと。
仮設に行って施術カフェを…というお話を女将さんからいただきました。


KTさんが担当された曹洞宗のお坊さんから、

お寺や集会所が使えるとのお話しもあり、

CEJ施術カフェの可能性は広がりそうです。

CEJ Cure East Japan
http://cureeastjapan.jimdo.com/
http://ameblo.jp/cureeastjapan/theme-10037233399.html


35/2011・6・02 ボランティア

●南三陸町・石巻/ボランティアレポート
 
今回のボランティアツアーは、仙台出身の早稲田大学大学院MBA専任講師西條剛央さんの、
「ふんばろう東北支援プロジェクト」http://fumbaro.org/をツイッターで知ったのがきっかけでした。
 
その活動に関連して、がんばっているボランティアの人達を後方支援しようという、
「Cure East Japan ふんばろう東日本支援プロジェクト臨床家サイト」http://cureeastjapan.jimdo.com/
の存在を知ったことに始まります。
 
その中で、急遽“弾丸ボランティアツアー”の計画が発表され、それの一部に参加したという次第です。
先発は、5/29日帰りでの「Cure East Japan」リーダーの若林さん。
第2陣として私と鍼灸師の方ふたりが赴きました。
 
 
5/31(火)
 
6:12始発新幹線で仙台へ。
 
8:30仙台到着。PEACH JOHN提供のバスで、運転をしてくださった斉藤さんに状況を聞きながら南三陸町へ。
仮設住宅へは物資の配給が無いので、お米を配ってきたとの斉藤さんのお話をうかがう。
 
途中唯一の医療拠点、石巻日赤病院の横を通る。外来の人なのか、車が駐車場に入りきれずあふれている。
南三陸町に入ると、広大な水田が広がる。海沿いでは潮の被害で作付けは無理とのこと。
 
志津川沿いを走ると、海から遡上してきた津波をかぶった林が、
地上10m以上の高さに亘って真っ赤に枯れている。川沿いは壊滅状態。
 
しばし黙祷。

11:00前に目的地の「ホテル観洋」http://www.mkanyo.jp/に到着。
「ふんばろう」の渡辺さんが迎えてくれる(仕事をやめてボランティアに専念しているとのこと)。
 
ホテルには被災者450名。NTTなど工事関係者。ボランティアの方々が滞在している。
 
大広間をお借りし、布団を敷いたり、イスを準備したりする。
 
11:30氣圧開始の予定が、時間前から部屋を覗き込む人が・・・少し早めにスタート。
 
この時間帯、男性を中心に多くの人は出かけているので、
ホテルの従業員(ご自身の家は流されてしまった人も)の方が最初は多い。
ご主人や家族の方を送り出した、奥さん方も集まってくる。
 
お一人30分、お話を伺いながらと考えていたが、どんどん人が来るので、
まずは手当て。時間も短縮し、少し楽になっていただいたところで交代。
途中で諦めて帰った人も・・・
 
それからは結局21:30までも10時間、
休憩なし(トイレもいかず、水を3口飲んだだけ)で氣圧を行う。
 
鍼灸師さんと手分けして行って、二人で43人。氣圧が25人ほど。
 
一番困っているのは、水道の復旧がまだであること(1%程度?)。
お子さんのいる方など、洗濯が困っているとう声が多かった。
 
ひどくに肩がコチンコチンに固まっている女性がいたので、話をうかがうと、
被災後長い間、最低限の暖房の中、車中で寝泊まりしていたとの。
 
その方に限らず、もっとゆっくり氣圧をしてあげたいところだったが、
そうもいかず次から次へと対応。
 
最後から二人目、待ちくたびれていた男性に順番が回ってくると、
「早くして〜や〜」ど布団にどたり。腰を氣圧しているとすぐに眠りに入る。
終わると「快調や〜快調や〜」と腕をブンブン振り回して帰っていかれた。
よかった。
 
一番最後の方も関西弁。
NTTの工事で、仮設やらの配線で1か月以上も滞在しているとのこと。
全国各地から支援の工事にきている。
背中や肩の芯のほうが硬い。少し楽になったようなので、よかった〜
 
部屋を片付けて、宿泊棟へ。同室には仙台から来たという、
「宮城復興支援センター」http://www.ganbaro-miyagi.com/
の男性がパソコンで作業をしていた。
 
仕事をやめて今はボランティア活動に専念しているとのこと。
「ふんばろう」の渡辺さんもそうだが、
若い人が仕事をやめてボランティアとしてがんばっている。
何とか支援してあげたいものだ。
(帰ってからできるだけ多くの人に今回のことを伝えたいと思った)。
少し彼に氣圧をする。
 
ようやく本日の夕食。
朝東京で買ったおにぎり2個と唐揚げ3個。
こんなに旨いおにぎりはひさしぶり!
 
幸いお風呂が使えるので(被災者の方々は4日に1回とのことで、申し訳ない)、大浴場へ。
りっぱな設備で、昼は地眺望が抜群であることがわかる。
 
寝ようとしたら、「ふんばろう」主宰の、西條氏が到着したので一杯やりませんかとのお誘い。
かなりのお疲れで、30分ほど氣圧を・・・寝息を立てていた。
 
その後1:00頃就寝。
 
6/1(水)
 
5:00カモメの鳴き声に起こされる(窓の外の手すりにいた!)。
窓の下は断崖絶壁。すぐ海。
 
6:00パンとジュースの朝食。
 
当初8:00移動の予定がまた変わり、少し時間ができたので、再び大広間で氣圧を行う。
急なことと、ホテルのアナウンスが十分にとどいていなかったようで、3人のみ。
 
11:00過ぎにホテルを出発。ホテルの担当も渡辺さんという名前。
 
時間があれば、今回被害が大きかった沿岸部を通り、
状況を見てもらいたいとのお話だったが、結局直行。
 
13:00頃、石巻に入り、海岸に近づくと、様相は一変。
 
道路は開通、整備されつつあるが、街は壊滅状態のまま。
そんな風景が、車で進んでも延々と広い範囲にわたって続く。
これはテレビで見るだけでは、想像できない。
広い範囲にわたって崩壊建物は手付かず、復旧作業もされていない。
 
大きな通りから細い道に入って、「家電プロジェクト」の会場に到着。
やはり周りの建物には大きな被害が。会場といっても家がなくなってしまった跡地。
100名以上の被災者が整理券片手に待っている。
全国から集めた冷蔵庫やテレビなどの支援物資を、被災者に渡すプロジェクト。
 
いきなり、業務分担があり、受け渡しの書類チェックのお手伝いをすることに。
 
被災者には罹災証明書を出してもらい、
コピーであれば受け取り伝票に貼る、
原本しかもっていない人はアイフォンで撮影して返す、
何も持ってない人は住所・氏名を伝票に記入し保管・・・
と指示を受け、戸惑どいながらも、何とか途中から段取りがつかめ作業を続ける。
 
電話番号欄もあったが・・・「電話は流されてしまったから・・・」。
 
そうだよね〜
 
15:00頃後片付けもして終了。
 
改めて回りを見渡したが、残っている倉庫や家屋も被害は甚大。
瓦礫の処理をしているのは、わずか重機1台のみ。
 
15:30頃バスで仙台へ向かう。
 
バスの中で黙祷。
 
仙台で私を含め3名が下車(他の方はそのまま東京へ)。
新幹線に乗り換える(仙台⇒東京は5,000円の特別料金)。
同席の千葉かいらっしゃったという保健師さんとお話をしながら東京へ。
 
家に21:00ころ到着。
 
 
●「Cure East Japan ふんばろう東日本支援プロジェクト臨床家サイト」http://cureeastjapan.jimdo.com/
では、被災地で活動するボランティア・自衛官・警察官・消防士・医師・看護師・工事関係者が東京など、
地元に帰ってきたときに、「一人一回無料」という形で各療法を受けていただけるという支援をしています。
氣圧は私だけですが、鍼灸や整体など様々。複数のところを一回づつ受けるのも可。避難中の被災者も同様です。
 
この活動内容を、お知り合いにも広めていただけるとありがたいです。
 
 
●今回ご縁のあった、「ふんばろう東北支援プロジェクト」http://fumbaro.org/
「宮城復興支援センター(船田さん)」http://www.gakuwarinet.com/ganbaro/
の支援をしていただけると幸いです
 
「ふんばろう」では、被災者の方に無料で重機の免許をとっていただき、瓦礫撤去作業に携われるよう支援したり、
送り手と受け手のミスマッチが多い支援物資の細かい受け渡しをサポートしています。
 
「宮城復興支援センター」でも長期に亘る支援活動を予定されています。
特に復興に連れ、自立していく上でのサポートをされるようです。
 
「ふんばろう」の西條さん、渡辺さん、「Cure East Japan」のリーダー若林さん、「宮城復興支援センター」の船田さん。
みな30歳代。食事がいつ取れるか分からない状態でがんばっているときもあります。
 
ぜひ支援してあげてください。
 

34/2005・10・15 椅子

 新聞に車椅子の操作技術ということが載っていた。
 訓練によって階段も上り下りできるという。
 そして、長時間楽に車椅子に坐るためには、
 腰の裏全面に背もたれが沿うように調整して骨盤をまっすぐに支えること≠セという。

 また、VDT症候群予防という記事もあり、
 身体に負担の少ない正しい姿勢でパソコンを操作するためには、
 まず椅子に背中と腰をぴったりつけて坐り、
 足でしっかり床を踏みしめられる状態にいすの高さを調整する≠ニのこと。
 
 ※VDT症候群/パソコンなど画像表示端末(VDT)作業により、目の疲れ・肩こり・腰痛などの症状がおきる。

 坐り方については当HPの正しい姿勢をご覧いただくとして、
 椅子そのものについて考えてみたい。

腰(骨盤)をまっすぐ支える≠ニいう点から電車・車・病院等の待合室の椅子をみると、
 首を傾げざるをえない。

 ほとんどの椅子の背もたれが斜め後ろに傾いている。
 前後の幅が広いものは、腰が背もたれと離れてしまう。

 昔のJRの2人掛けが向かいあった形の椅子は、背もたれがほぼまっすぐで腰が安定した。
 最近のでは、地下鉄東西線の新型車両が背もたれの角度がよく足もしっかり床につく。


 病院の待合室の椅子の多くは、姿勢との関連について意識していないようだ。

 いつか、坐りやすい椅子を備えた施設や電車のリストを作ってみたい。


33/2005・10・15 すごいがスゴイ氣になる!

 ここ1〜2年とても氣になるのが、すごい(スゴイ)≠ニいうことばの使い方。

 名詞の前ではすごい雨∞すごい暑さ≠ネどと使い、 形容詞などの前では、
すごく嬉しい∞すごく美味しい∞すごく暑い∞すごく好き=@となるはずのところだが今や、

    スゴイ嬉しい∞スゴイ美味しい∞スゴイ暑い∞スゴイ好き

 と言う人が多数派になっている。テレビでアナウンサーや役者さんも平氣で使っている。

 日本語の使い方はずいぶん変わってきているし、自分が日本語を正しく使っているなどと、
 自信をもって言えるわけではないが、これだけは何故か聞くに耐えない。
 
(かくゆう私もうっかり使ってしまっている自分を発見することがある・・・切腹!)
 
 たまに正しく使っている女性がいると、それだけで惚れてしまいそうになるのは、スゴイ変?


32/2004・5・11 天花

 天花・・・天の花

 NHKの番組の題名であり、主人公の名前でもある。

 今朝の放送で、恋に苦しんでいた天花が星を見上げ元氣になる場面がある。

 なぜ人は星を見ると元氣になるのだろう。

 見上げるという姿勢の持つ力、
 そしてなりよりも、
 心が遥か何万光年かの彼方の星までつながっていること。

 人は知らずにこうして宇宙から元氣をもらっている。


 「氣を出す」ってこんなことなんだ。


 主題歌が切なく温かい。

    もしも晴れたら 君と手をつなごう
    風が吹いたら そっと肩を寄せて
    もしも雨が降ったら 君と傘をさそう
    降り注いでくる 小さな花たちを見つけて

    名前のない空を見上げて
    君と何処までも 歩いていきたい
    もしも明日に迷った時は
    君の名を呼びたい
    Yes, I always call your name, your beautiful name.


31/2003・3・1 割れ窓

 『割れ窓理論』というのがあります。
 
 
 言葉のとおり、建物やビルの窓ガラスが割られてそのまま放置しておくと、
 外部からその建物は管理されていないと認識され、罪悪感の薄いまま割られる窓ガラスが増え、
 建物やビル全体が荒廃し、それはさらに地域全体が荒れていくという理屈です。

 マイナスがマイナスを呼ぶのですね。

 たった1枚の割れ窓の放置から起きる荒廃の始まりで、街は荒れ、
 無秩序状態となって犯罪は多発し、地域共同体を作っていた住民は街から逃げ出し、
 街が崩壊するというのです。

 そこで、たった1枚の割れたガラス窓でも、それを発見した時点ですぐ対処することで、
 犯罪傾向は大きく変わらないのに、地域の秩序・安全が保たれるとのこと。

 これを実践的に採用したのが、ニューヨーク市のR・ジュリアーニ市長。
 警察官5000人を採用し、落書きを消し、徹底した徒歩パトロールと軽微な犯罪の取り締まりに入った。
 その結果、直接取り締まっても成果の上がらなかった凶悪犯罪も減り、
 ニューヨークのイメージは変わったそうです。


 高円寺の氣圧療法室は4階建ての建物の3階にありますが、
 以前は階段にタバコの吸殻がよく落ちていました。
 そこで週に1・2回、階段を掃除してきれいにしておくことを続けていたら、
 いつ頃からか吸殻を捨てる人がいなくなり、

 そうなると時々屋上で騒いでいた人たちもいなくなりました。

 『割れ窓理論』を知って、なるほどと思った次第です。

 また、掃除していると、今まで顔を合わせることもなかった、
 同じビルに居住している人が声をかけてくれて、挨拶を交わすようになり、
 とても氣持ちがいいものです。


 マイナスを放っておかないで、プラスで応じること。

 プラスはプラスを呼びますね。


30/2002・10・30 くしゃみ

 だいぶ空氣も冷たい日が多くなってきました。
 風邪を引いている方も多いようです。

 咳やくしゃみが出ると、「風邪を引いたんですか」と聞かれますが、
 むしろ「風邪を出している」というほうが適当ではないでしょうか。


 風邪のウイルスを外に出そうとしている。
 まさに自然治癒力が威力を発揮しているのです。

 人のいない所ではどんどん咳やくしゃみをしましょう。
 
 でもそうならないのが一番。
 呼吸法や自己氣圧をお忘れなく。


29/2002・9・7 

 息という字は「自」と「心」からなると、あらためて氣がつきました。
 息は、自分の心を表す、ということでしょうか。
 自然、宇宙の心とつながるということかもしれません。


28/2002・6・18

 財団法人氣の研究会のオフィシャルサイトが公開されました。

 http://www.ki-society.or.jp/index.html


27/2002・6・7

 今晩は注目のイングランド‐アルゼンチン戦。
 生年は違うが月日が同じ(ちなみに干支も)ベッカムのFKが見たい!
 バティも氣力充実で楽しみな試合ですね。


26/2002・6・6

 ワールドカップの時には晴れる、という予感。今のところ当たってますね。
 まずは、
祝!日本代表勝ち点1

 
ベルギー戦は、選手もサポーターも氣持ちがゴールへ向かってました。
 次のロシア戦も、皆が氣を出せば得点が入る!

 
Japan 2 − 0 Russia で勝ち点3≠ get !!! 


25/2002・5・20 

 今年は季節の動きが早いようで、早くも梅雨が訪れたかのようです。
 今のうちに雨が降り、ワールドカップの時には晴れる、という前兆かもしれません。

 今朝、家を出る時は少し降っていたのですが、途中であがり、
 道行く人が、空を見上げ掌を上に向け、雨の具合を確かめながら、
 ひとりまたひとりと傘をすぼめていく様子が面白く、心和みました。

 天の氣を感じ取る、太古の昔からの仕草だからでしょうか。


25/2002・3・13 

 桜はパッと咲いて、パッと散るのが潔いといわれますが、
 驚嘆に価するのは、「毎年必ず」見事な花を咲かせるところです。
 花が散ったあと瞬時も氣を切らさず、新しい花を咲かせる準備を淡々と始める。

 駅へ向かう道の途中に、一本だけ桜の樹があり、
 毎年真っ先に花を咲かせます。「一番桜」と勝手に命名しました。
 今年も、3月9日に蕾がほころび始め、今日はもう満開です。

 花火は一瞬。桜は4・5日かけて開花しますが、秘めたパワーは花火以上ですね。
 夏の花火に対し、桜は静かな春の花火≠ニいう氣がします。
 静かではあるけれど、「無限の動を含む静」のエネルギーに満ちている。


       


24/2002・2・1 リラックス

 リラックス

 @全身の力を落ち着く可き所に落ち着ける姿勢

 水の入ったグラスに、砂などの細かい粒子入れかき混ぜると、全体が濁った状態になります。
 でも、しばらく放っておくと、砂は底にしずみ、水は元の透明な状態に戻ります。


 楽な状態で坐っていると、ざわついていた氣持ちも落ち着きます。
 その中でも、慣れると、静坐が一番安定します。

 そのためには、坐り方が肝心。

 つい、腰を曲げて坐りがちです。
 そうすると、上体の重さがまともに腰にかかり、またお腹も圧迫します。
 その状態では、リラックス難しい。
 かと言って、背筋を張り、胸を反らす姿勢は、力が入っていて長続きしません。

 〈1〉膝立ちになり、2・3回、肩を大きく上げ下げします。
    〜上から下へ、ふわっと。
 〈2〉そのまま、静かに腰を下ろします。2・3回もう一度肩を上下。
    〜腰を下ろした後、上体を少し上下に動かしてみて、楽に動けますか。
    →(鏡などを使い)横から見て、床の面に対し上体が直角より少し前へ。
 〈3〉顔は前に向け、前を見る。
        

 この状態でまず3分、目を閉じて坐ってみてください。
 身体の中がすっきりして、落ち着きます。

 これがリラックス。

 段々に時間を延ばして・・・


23/2002・1・25 

    総て物を計るには、1を以って始めとす。
    これを無限に集約しても、遂には零とはならない。
    ゼロより1は生じ得ないからである。〈『誦句集十一、〈氣の本質〉』より〉

    1を無限に縮小しても零にならぬ如く、
    一つの言動も、
    一旦発せられたる以上永久に消えることはない。〈『誦句集二十、〈陰徳〉』より〉


 総ては1から始まる。

 ひとり
 ひとこと
 一歩。
 一日。
 ひとつの笑顔。


 一本の電話
 一枚の葉書
 一通のメール
 一冊の本
 一本の映画
 一枚の写真


23/2002・1・16 争う

 競争≠ニいうことば、
 「競」と「争」とでは少し意味合いが違う。

 「競」は競う。
 競い合う。切磋琢磨する氣持ちが感じ取れる。

 「争」は争う。
 感情に任せた喧嘩のイメージ。

 争わずに、競うことは出来ないものか・・・


22/2002・1・11 

 卵を立てたことがありますか。

 コロンブスの卵ではなく、生卵。

 出来るだけ滑らかな、
 鏡やガラス板の上で試してみてください。
 必ず立ちます。


 『一所懸命』

 一生懸命ともいいますが、意味を考えると
 「一所懸命」のほうがふさわしい氣がします。

 一所≠フ「所」

 目的 希望 夢 理想 生き方
 組織 会社 家 国 民族 文化
 仕事そのもの 職業 家族
 ひとつのこと ひとりの人 ひとつの仕事
 試練 試験 試合
 財産 地位 名誉 
 
懸命≠フ「命」 

 いのち 時間 一瞬一瞬 今 
 心 身体(肉体)  
 身体(肉体)という空間の中にある総て
 心身統一体
 氣

 すっきりと立った卵に、『一所懸命』のことばが重なります。


21/2002・1・5 リラックス

 こわばりや緊張に対する脱力状態、と対比されることの多いリラックス。
 リラックスの五原則を手がかりに考えてみます。

 リラックスの五原則
  @全身の力を落ち着く可き所に落ち着ける姿勢
  A力が抜けるのではなく力を抜いた姿勢
  B一番大きく見える姿勢
  C一番強い姿勢
  D争わざるの姿勢

 A「力が抜けるのではなく力を抜いた姿勢」

 抜ける≠ニ抜いた=Aどちらも同じことのようですが、
 抜ける≠ノは、腰のくだけた、へなへなっとしてしまった様子が目に浮かびます。
 それに対し抜いた≠ヘ自分で、余分なこわばりをとりのぞく意志あるいは技を感じます。
 ただ、人から「たいぶ力が抜けてきたな」と言われた時は、抜いた¥態のことですね。

 そばやうどんなど麺類で喩えれば、茹ですぎてしまったのが抜けた≠ナ、
 ちょうどよい茹で加減が、抜いた≠ナしょうか。パスタいう、アルデンテ。
 まだ芯がありすぎるのが力が抜けなくて、こわばっている状態。
 
 ギターの弦の喩では、
 弦を弛めてしまった状態が抜ける=A正しい音程に張ったのが抜いた=B
 ちなみに、強く張りすぎて弦が切れてしまいそうなのが緊張状態。


21/2002・1・1 謹賀新年

 新年明けましておめでとうございます。

 本日から、氣圧療法Q&Aというページを始めます。
 いとこの
さんの諒解をもらい、メールのやり取りから転載しています。
 ことばだけで、どこまで通じるのだろうかと思っていたのですが、
 自己氣圧の成果も上がっているようで、嬉しい限りです。

 いろいろな方が、そのページを読んで氣軽に、
 
Eメール氣圧療法クリニック♪♪e-Klinic♪♪へ問合せしてくださるのをお待ちしてます。

 氷山の一角ということばがありますが、人には皆、自分でも氣づいていない力があります。
 それを引き出すためには、海の中に隠れている心の力に負うところが大きいようです。
 自己氣圧はまさに、その力を使うということに他なりません。そこに意識をおき、指をおく。
 誰でも出来ることですが、心身統一の実践です。
 
 今年も
 Ki in Daily Life では氣を日常に活かすヒントを探し続けたいと思います。

 本年もよろしくお願い申し上げます。


   
          ★いよいよワールドカップ!!!
              
 森島選手のファンとしては、彼の活躍が見たいところです。

                         *my Japan eleven*
                                柳沢
                                森島
                           中村 中田
 廣山
                             名波   小野
                           中田
 宮本 森岡
                                川口

                           reserve/
                           高原 鈴木 中山 小笠原
                           三都州 稲本 戸田 明神
                           服部 秋田 楢崎 曽ヶ端

             ★今年こそ早稲田ラグビー¢蜉w日本一!!!
  


20/2001・12・27 氣を出す

 D「明るく氣にしない」-2
 
 明るいもの。

 自ら光を放ちはしないが、
 光を浴びて輝くもの。

 鏡、宝石、ガラス、グラス。

 輝くためには磨かれていることが必要。

 昔、3年間バーテンダーの仕事をしていました。
 まず、店に入って何をするかというと、掃除。そして、
 グラスを磨く、ボトルも磨く、真鍮バーも磨く。
 磨く、磨く、磨く。

 ワイングラスやシャンパングラスは薄くて、
 力加減を誤ると割れてしまいそうでした。

 実際、薄くてシンプルで品のあるデザインのカクテルグラスを割ってしまい、
 必ずいいカクテルグラスが見つかったら買って返します、
 とマスターに約束して早20数年・・・(なかなかいいのが無いのは確かなんです)。

 話しがそれましたが、
 毎日磨いていると、汚れがつきにくいものです。
 さっと吹いただけで、汚れが取れる。

 磨かれたものは、外からの影響に左右されにくい。

 どうやって氣を出す≠ゥのヒントが隠されているようですね。

 今年のスケッチブックはこれでオシマイです。

 では、ゆく年くる年に乾杯!よいお年を!!


19/2001・12・26 氣を出す

 D「明るく氣にしない」
 
 最も明るいもの。
 すぐに思いつくのは輝く太陽。

 無限の方向にエネルギーを放射している。

 何かに氣持ちが外に向かっている時、
 細かいことは氣にならない。

 「諦める」は「明らめる」ということ。
 はっきり照らし合わせてみると、
 心の整理がつく。

 外に出る、表に一歩踏み出すことから。

 間をとって、距離をおいて見ることから。


18/2001・12・17 氣を出す

 C「一番静かな姿勢」

 階段をドンドン音を立てながら昇って行く人。
 力が入っているか、氣が抜けている証拠。
 体調の悪い方も、足取りは重い。
 階段を昇り下りする音は、
 氣が出ているか否かの判断の目安。

 静坐。
 正座とも書き、慣れないと足が痛くなりますが、
 頭を頂点にしたピラミッドに似た形で、安定感がある。

 西村由起江さんというピアニストが、
 和紙で出来た茶室を訪れるというTV番組で、

 中の畳に佇むその静坐姿は、外から見ると、
 茶室の入口の形に縁取られ、氣が漲り、
 永遠の静謐、宇宙の静寂の感がありました。

 
 イチロー選手のバッターボックスでの表情。
 舟木選手のスキー・ジャンプ台からの踏み切りと飛ぶ姿。
 鍛錬された静けさを感じます。
 
 樹齢何百年という大木。
 人の目には映らないが、
 天に向かい、地の底へ、
 静かな歩みは止まらない。


17/2001・12・15 子ども

 子どもは「風の子」。
 寒風の中でも元氣に走り回る。
  
(子どもは心臓の力がまだ弱いので、
   走ることで血液の循環を高めているとのこと)

 雨でも、色とりどりの傘をさして、
 水溜りで遊び、楽しそう。

 子どもは「竹の子」。すくすく伸びる。
 いつのまにか成長してます。

 子どもは「氣の子」。
 いつも氣持ちは真っ直ぐ。

 
(合氣道の子どもクラスで)
 子どもたちは、ちゃんと氣を向け、顔を真っ直ぐに見て礼をし、
 また顔を起したあとも、真っ直ぐ氣を向けてニッコリする。

 「三歳の童子を拝す」

 甥っ子が赤ちゃんのころ、テーブルの物を次々ひっくり返し落っことすので、
 「ダメだよ」と注意してたら、その子のお姉ちゃん(当時3、4歳?)に、
 「これは、赤ちゃんのお仕事だよ」とたしなめられた。

 赤ん坊は世界中の言語の、総ての音が出せる。
 それが、成長するに連れ、周りに受け入れられる音、
 周りの人が使っている(言語の)音だけ残る。

 赤ん坊や子どもをよく見ること。
 そこには総てがあるのかもしれない。


16/2001・12・15 無財の七施

 《無財の七施》〜お金が無くても出きること、人にしてあげられること

 1 眼施(げんせ)
    やさしい目で人を見つめる⇒慈顔温容
 2 和顔悦色施(わげんえつじきせ)
    笑顔で人に接する
 3 言辞施
    やさしい、温かい、ほめることばを使う。
 4 心施
    感謝のことばを惜しまない。
    何でもないことにも、ありがとうございます、と言える。
 5 身施
    自分の力、身体を使う。(ボランティア)
 6 牀座施(しょうざせ)
    相手の居心地をよくしてあげる。(席を譲る)
 7 房舎施(ぼうじゃせ)
    一宿一飯。おにぎりでも分け合う。


 日常のこんなことが氣を出す(氣が出ている)ということなんですね。


15/2001・12・14 リラックス

 ギターは弾かない時、弦を弛めずにケースにしまう。
 その都度弛めていると、弾く時調律が難しい。
 勿論強く張りすぎると弦が切れてしまう。
 いつも一定の張りの強さを保ち、弾く度に音程を微調整。
 演奏後は弦についた手の脂などをきれいに拭き取る。

 よい演奏をするためには、いつも一定の張りを保ち、
 微調整をし、いつもきれいにしておく。


 筆で字を書く時筆圧が強すぎると字が潰れ、
 弱すぎると字が掠れ、乱れる。

 先端まで氣が通っていると適切な筆圧が得られる。

 リラックスのヒントになりませんか・・・


14/2001・12・13 氣を出す

 B「慈眼温容」

 電車で座席に坐ると、反対側の人と相対しますが、
 眉間に縦皺を寄せているが目につきます。
 見ている方がしんどいです。
 
 ニコニコ笑っている赤ちゃんと目が合うと、こちらもホッとします。
 相手をリラックスさせる力、これも氣の力ですね。

 今はもう見られませんが、大相撲の貴乃花と曙の取り組み。
 曙の目つきは鋭く、対して、貴乃花は淡々とした表情。
 さすがに土俵では笑顔とはいきませんが、穏やかな顔つきです。
 何回もの対戦がありましたが、確か貴乃花のほうが勝ち越しているはず。

 陸上の短距離走。例えば100M。
 ゴール直前で力が入るところを、笑顔になることでにリラックスしフィニッシュする。


 口角を上げるだけでも、氣持ちがほぐれ、
 また、血液の流れが変わり頭もスッキリして元氣に。


 道ですれ違う折、道を譲った時、会釈をしてくれると氣持ちのいいものです。
 先日、白人の女性に道をあけたら、ニッコリ微笑んで挨拶してくれました。
 とても爽やかな氣分になりました。
 ひとつの笑顔があ空氣を変えます。


13/2001・12・12 氣を出す

 氣を出すについて。
 
 A「遠心力が働く」


 子どものころ、扇風機に手をいれ、羽で指をはじかれてビックリしたことがあります。
 回転する力ですが、遠心力も働いて、外からの影響を撥ねつける。

 傘に降り積もった雪を、傘を回してとばす。積もり積もったものをふきとばす働き。

 独楽が激しく回っているとき、安定した強い状態です。
 外から見ると静かに止まっているようなのに。
 
 いずれも、中心・軸があってこそ激しく回ることができ、遠心力が働く。
 中心が定まった継続した動きが、遠心力を生み出します。
 
 日常生活でも、何か中心が定まっていて、それ軸に活動を継続しているとき、
 遠心力が働いていて、氣が出ている。元氣な状態です。
 
 人それぞれ、自分自身を支えてくれる、
 中心や軸となるものが見つかるといいですね。

 いろいろな中心があるでしょうが、「中心」ということば通り、
 本当の中心は、心≠フ中≠ノ・・・


 心は芯であり信に通じる。


12/2001・12・7 氣を出す

 氣を出すということばを聞いて何を思いますか。

 以前、氣の研究会会員でない知人に、「今日は、氣が出ていましたね」といったら、
 「気がどこかからもれて、ダメでしたか?」と心配されてしまいました。
 改めて、これは専門用語なのだと氣づかされました。
 「元気を出して」は一般にも使われているので、これから説明すると分かってもらいやすいようです。

 氣を出すの五原則
  @身体を意識しない姿勢
  A遠心力の働く姿勢
  B慈眼温容の姿勢
  C一番静かな姿勢
  D明るく氣にしない姿勢

 @「身体を意識しない」

 肩肘を張って、頑張ったりすると、逆に氣が滞ってしまいます。
 不調な時は足取りが重いのに対し、元氣な時は、身体も軽いもの。
 
 また、スポーツ、例えばラグビーで、試合中怪我をしても氣がつかずにプレーを続け、
 試合後怪我の痛みを感じる、ということがあります。
 相撲で、取り組みに勝った後、何も覚えていない、ということもあります。
 普通の人でも、何かに氣が向いていると、痛さや辛さを忘れる。
 これは、身体だけの話ではなく、心(氣持ち)も同じで、嬉しいことがあると
 ちょっとした悩みも吹き飛んでしまいます。

 身体を意識しないということは、時間を意識しないことにもつながるのではないでしょうか。
 自分が好きな楽しいことをしていると、時間の立つのもわからない。
 こんな時、氣が出ているのですね。


11/2001・10・24 おめでとうございます

 
10月21日皇居前のパレスホテルで、藤平光一先生のご子息、信一先生と柿内佐知子さんの、
 結婚披露宴が行われました。 仲人のいない、ウエディングケーキも花束贈呈もなく、
 ましてやキャンドルサービスなど付け入る隙もない簡潔なセレモニーでした。

 まず会場入口で、新郎新婦とそれぞれのご両親が、海外からの列席者60余名を含む
 300名の参列者ひとりひとりと挨拶を交わされました。。
 披露宴は来賓祝辞のあと、新郎新婦の鏡開きで始まり、おふたりの名前の入った枡の酒で乾杯。
 乾杯の音頭は藤平先生のハワイでの一番古いお弟子さん、鈴木俊一先生。
 信一先生の先輩で東京工業大学合氣道部OB、三浦友史先生が司会をされ、和やかに会が進行。
 通訳はヨーロッパ総責任者の吉ヶ崎健二郎先生と米国ナショナルチーフインストラクターの柏屋幸一先生です。
 途中、19日に氣の研究会栃木総本部「天心御所」で挙行された結婚式のビデオが、
 会場のスクリーンに映し出されました。
 大塚豊先生の氣祓い、三三九度、指輪の交換・・・(進行は沢井柚希先生)
 淡々と落ち着いた清清しい雰囲氣が、ビデオを見つめる参列者にも伝わります。
 お色直しの後は、新郎新婦が34のテーブルをひとつひとつ回り挨拶。
 最後は、信一先生からの参列者へのお礼のことば。英語への通訳は佐知子さん。
 藤平先生の日本語と英語のスピーチで披露宴の幕が下りました。
 会場の外では、また参列者ひとりひとりとの挨拶。

 藤平先生、新郎新婦、列席者の心がとけあった温かく爽やかな、笑顔に彩られた結婚披露宴でした。

 信一先生、佐知子さん、ご結婚おめでとうございます!

                                               


 以前ワールドキャンプで知り合ったBob Jonesさんと会場で再会。
 USAオレゴン州氣ソサエティのURLを教えていただきました。

    Oregon Ki Society〈http://www.oregonki.org/〉
    


10/2001・10・22 無財の七施

 和顔悦色施(わげんえつじきせ)

 「無財の七施」・・・お金がなくてもできること、人にしてあげられること・・・。そのひとつです。
 笑顔で人に接する。

 毎朝、商店街を通ってJR三鷹駅まで歩くのですが、
 途中の十字路で、いつも「おはよー!」と通学途中の小学生、中学生、高校生に、
 笑顔で声をかけているお巡りさんがいます。

 電話でも、笑顔は声にのって受話器の向こうの相手に伝わります。
 
 「私がいつも気を付けていることなのですが、一日を笑顔でいられるようにしています。
 私に笑顔がないと周りが心配しますし、声にも出てしまうので、これだけは徹底しているつもりです。
 (電話に出ている時も笑顔なので、周りに笑われる事もあります。笑うのは友人ですけど・・・。)
 オペレーターにも、必ず笑顔で電話に出るように言ってあるので、見ようによっては変な会社かも・・・。
 また笑顔でいると、自分も嫌なことを忘れますし、嬉しい事も、いっぱい、いっぱい増えるんですよね。
 不思議なくらいに・・・」

 電話代行をお願いした、T社のMさんからいただいたメールからの引用です。

 学生のころ、友人と北海道を旅した時のこと。
 最北の島、礼文島を早朝から8時間近くかけて廻り、
 陽も沈もうとする浜辺を疲労困憊のていたらくで歩いていたら、
 幼い、5・6歳でしょうか、女の子がニコニコ笑って両手を差し出しています。
 何だろうと思って覗き込むと、色鮮やかな小石や貝殻が手のひらいっぱいに。
 こちらを見上げる表情の愛らしさ・・・今でもその印象が蘇ります。
 笑顔で疲れが吹き飛んでしまいました。

 Smiles make me happy!


9/2001・10・20 

 「氣」 と 「気」
 气≠ニいう部分は、空にたなびく雲のことで、さらに、大空や大宇宙を表している。
 「気」の〆≠ヘ、気を閉じ込める、滞らせるという意味になるのに対し、
 「氣」の米≠ヘ、中心から無限の方向に無限にエネルギーが迸っている、
 大宇宙と交流している、というポジティブなイメージがある。
 (すでに、ご存知の方も多いかと思いますが・・・)


8/2001・10・19 電話

 電話の代行を専門の会社にお願いしました。

 以前は、氣圧療法中でも、かかってきた電話に出ていました。
 でも、そうすると氣圧療法に集中しにくい。
 そこで、3年ほど前から、氣圧療法中や、電車・バスなどでの移動中は留守番電話に切り替えることに。

 ただ、そうすると、せっかく電話をしてくれても、留守電のメッセージが流れると(特に初めての人は)、切ってしまう。
 合氣道の五原則に「相手の氣を尊ぶ」とありますが、
 せっかく氣を向けてくれたのに、その氣を切ることをしてたのですね。
 結局縁がなくなってしまう。
 そこで、今週の月曜日から、電話代行サービスを始めてもらいました。

 昼休み、いつもは携帯を持って出かけていましたが、今週からはそれもなし。
 近くの公園で、木蔭のベンチに坐り、背中に太陽の光を浴び、
 幼い子どもたちが走り回っているのを眺めながら、おにぎりとお茶・・・。
 これが昼休み≠ナすね!

 同様に、外出時も、穏やかな氣持ちで、とても安心感があります。
 いままで、氣がつかなかったけれど、小さなストレスがあったのですね。

 仕事の時は仕事、休む時は休む。
 メリハリがつき、すべてのリズムが整いました。

 (最近、映像が出る携帯電話がありますが、持ちたいと思いますか?)


7/2001・10・18 

 今日も雨ですね。

 雨が降ると、
 「あいにくの雨で」「うっとおしい!」「雨ってイヤですね」・・・といったような会話が交わされる。
 少し前までは、自分自身もそんなことを言っていたと思う。でも最近は少し違う。

 雨の日はなんとなく、落ち着く。

 なぜだろうと考えていて、ふと思いついた。
 人間という生物を遡ると、もともと海の中に棲息していた生き物につながる。
 水中生物には水は無くてはならないもので、命の源、最も頼りにするもの・・・。
 雨の雫の中にいると、太古から受け継いだ、そんな感情が蘇るのかもしれない。

 (マイナス・イオンの効果、ということも聞いたことがあります。
 滝や噴水の周りにいるとリラックスできるように。
 水が氣の滞りを流す、という人も・・・。)

 雨もまたよし。


6/2001・10・17

 大事なことは、簡単に決まる。


5/2001・10・6 電話

 『電話のかけ方』のマナーについての講習は、いろいろなところでやっているようだが、
「電話の切り方」まで含まれているのだろうか。
 電話をかけた側が、受けた側が切るのを確認して受話器を置く、というのが基本だと思う。
電話をかけるのは、急に相手の場に侵入することなので、切るときもまず相手を氣づかう。
ビジネスとなると少し違うかもしれない。顧客が受話器を置くのを待つ。
 仮に、どちらが後に切るかを問わないとしても、ガチャン≠ニいうのは止めたいものだ。(氣をつけます)
 なんとなく感じ取り、同時に受話器を置く・・・氣、ですね! 


4/2001・10・5 氣圧

 「氣圧」というと、天氣の「高気圧・低気圧」や圧縮空氣など「圧力」かけることを思い浮かべ易い。
 「氣圧療法」の「氣圧」であることを知ってもらうには、時間がかかるだろう。
 説明、という方法が適当なのかもわからないが、その感覚を呼び起こさせるような言葉を探す、
言葉にする努力は続けてみたい。なんとなくわかってもらるように。


3/2001・10・5 なんとなく

なんとなく≠ニいう言葉、あいまいでいい加減にも聞こえるが、なかなか奥が深い言葉で、
 自分や他の人、物事を分析するのではなく、まるごと相手にする(統合体としてみる)姿勢がある。
 正しいなんとなく≠身につけると、なんとなくいろいろと楽になりそうだ


2/2001・10・5 よないやま

 「米内山」をちゃんと「よないやま」と読んでくれる人は少ない。中学校や高校で、
年度変わりに新しい先生が来て、出欠を取るとき、ほとんど誰も正確に呼べない。
生徒の名前を前もって確かめないとは・・・
 ただひとり、高校の古文の先生が、「よないやま」と呼んでくれた時は嬉しかった。
今でも覚えている。(米内山は青森に多い苗字です)。
 いろいろな場所で自己紹介する時も、「やないやま?」「やなぎやま?」・・・となかなか通じない。
自分の発音がおかしいのかと思ったこともあったが、ある時同席していた知人が、
「米内山さんはゆっくり丁寧にハッキリ言っていた」といってくれた。
 そこで氣がついた。
 人は、自分の知っていることを聞こうとする。自分の経験の範囲で判断する。
柳井とか柳山という自分の知識が邪魔をして「よないやま」が聞こえない。
 多くの人は自分の枠でものを見てしまう、と自戒したい。


1/2001・10・5 よなパン

 「よないやま」は長いので、人によっては「よなサン」とか「よねサン」と呼んでくれる。
小学校の臨海学校で、風呂場ではき替えたパンツをに忘れ、先生から「よなパン」とあだ名をつけられ、
しばらくクラスではやり、かなり傷ついた。無神経な教師め、と不満だった。

 でも今となっては、瞬時にしてなかなか見事なネーミング、懐かしくもあり、あまり悪くは言えない・・・


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