恋心。



 今、私は彼の者の手により力の一部を失った。まさか、あのような手でくるとは・・。
 しかし、さすがは私が見込んだ存在だ。此れくらい当たり前か・・・・?
 精神世界で、一人呟く私がいた。
 ここでまどろみ、時折彼の者との時を記憶を繰り返し、糧となる闇を食らう。なんともありきたりで怠惰な時を過ごしている中、想う事と言えば・・・・。
 一刻も早く力を取り戻し、また、彼の者に挑むこと・・?・・・それとも、滅びを求めて蠢く事か・・・・?
 いや、そうではない。そうではないはずだ。
 私の体に沁み入るこの感覚。思い出すのだ。
 彼の瞳、声音、何よりもあの頼りなげとも言えるほどの小さな体を覆う深紅のオーラを・・・・見たい。これだ。
 遥かに永き時を経てきはしたが、あのように見事なオーラを見たのは初めてだった。
 初めて彼の者の姿を見た時の衝撃は今も鮮明である。
 おそらく―――その時、我が至上の赤は彼の者になったのだ。大いなる我らが王ではなく、彼の人の子が。その座を勝ち得たのだ。
 その美しい赤を纏い、彼の方のお力を手にした姿。まこと、まことに一服の絵のようだった・・・。
 出来る事ならば我が手元に留め置きたい。
 そのような事が無理である事など先刻承知している。あれは、この世界にいるからこその姿であろうしな。・・・・だが、涌き出てくるのだ。『想い』が―――姿を見たい、声を聞きたい、また、戦ってみたい。そして・・・手に入れたい―――と。
 なんとなれば私の身の内に身震いするような感覚が起こる。錯覚かもしれないが。
 覇王である私としたことが、たかが人如きにここまで執着するとは・・・・。闇の体を蠢かし僅か苦笑を漏らしていた。
―――これでは、獣王の二の舞だ。
 涌き上がる苦さを糧に、何とか無理矢理腹心としての自尊心を保とうとするのだが、そうする尻から、「これもまた一興ではないか。」などと考えてしまう。なんとした体たらくであることか。
 そして、幾度も繰り返される感情は甘露を流している。不可思議な苦味のある甘露だった。私はそれを舐め取りながら、またもや己を宥め、丸め込むのだ。
「人は儚い、すぐに逝ってしまう。愚かしい執着も一時の間のことだ。これは娯楽だ。なんでもないことだろう・・・?」
 そして・・・・。


 ふと、意識を周囲に向ける。或るのはひたすらの暗闇。そこに私は浮かんでいる。なぜか周りの闇とは違うのだと微光を放ちながら―――。
 光?
 闇であるはずの私がなぜ光など発しなければならない?己を区別するためか?いや、いっそのこと周囲の闇に溶け込めば私だけに範囲は限定されるが、望む滅びを迎えられるはずだ。それを・・・・。
 すると、以前に聞いた言葉が甦る。誰の言葉であったのかは覚えていないのだが・・・。
『混沌から出でたモノはすべからく、不完全で且つ全てを内包している。』―――と。聞いた当初は全く理解不能であったのだが、今は本能でさえそれを理解している。
 しかし、神族、人間・・・彼の者等はそのことに気づいているのだろうか?
 我らとて、『想う』ことが出来るという事を。不完全なるが故に。
 ただ、その想いは我らの糧にはならぬというだけなのだ。何よりも、今まで、我ら魔族をも魅了するほどの存在がいなかった。只それだけだ。
 しかし、今は・・・。
 我が心中の全てと言っても過言でないほどに彼の者が沁みこんでいる。先に獣王の二の舞と言ったが、それどころか私はすでに手遅れなのだろう。
 二の舞であるのなら、もしや、私も彼の者が逝けば・・・・・動けなくなるのだろうか、同じように?
 ふと、彼の者が消えてしまうことを想像してみる。
―――!!!!?
 とたん、すぐさま消滅できそうなほどの激しい怖気が走った。なんという・・・・。
 余りの恐ろしさにすぐ何も無かったように振るまい凶悪な怖気をうやむやにするため最大値の気力を動員する。それを飲み込む事など考えもつかなかった。その後、身を引き絞るような後悔をつまみに悪夢の中で寝汗にまみれることだろう。
 ああ、しかし、何という・・・何という悪夢。
 実態などない魔王であるハズの私が、貧相なゴミのようにこの身を激しく震わせていた。

 私は、しばらくして何とかその怖気から逃げ出し、周囲に何も無い事を確認する。今の戯言が本物では無いことを。
 そうして、現実にため息をつく。
 己の力が僅かにしか回復しておらぬことを落胆するために。情け無き限りの自身に。


―――そしてまた、彼の者との戦いの記憶を手繰り寄せ、巡り巡る物思いに耽るのだ。メビウス・リングさながらに。


  3