ことば・言葉・詞・・・3
【1-20 21-40 41-60 61-80 81-100 101-】
氣になることば、ホッとすることば、力が湧いてくることば、
考えさせられることば、ハッとさせられることば。
いろいろなことばを集めてみました。 トップページに戻る
60/2001・11・7
・・・あなたが誰かに対し否定的な反応を示したとしたら、
それは、あなた自身にやり残した仕事があるということです。
〈『「死ぬ瞬間」と死後の生』エリザベス・キュブラー・ロス/中公文庫〉
59/2001・11・7
学ぶものの準備ができたとき、師はあらわれる。
58/2001・11・7
・・・学ぶべきことはいずれせよ何らかの形で学ばなければならないということ、
そして、学ばなければならない理由はあなた自身にあるということ・・・
〈『「死ぬ瞬間」と死後の生』エリザベス・キュブラー・ロス/中公文庫〉
57/2001・11・5
つまずきやらまちがいは、私の予測もしないところから次々に出てくる気がする。
それを知る方法はただ一つ、子ども達が一心に書くノートや、
えんぴつの動きを、こちらも負けずに一心に見ることしかない。
その子のつまずきやらまちがいは、他の子では代用できないからである。
大事なのは、一人一人が、いろいろなところでつまずいたり、
わからなくなっていたり、できなかったりすることなのだ。
それを助けて、できるようにしたり、わかるようにしたりすること
ーーーそれが教師の仕事なのだ。
〈『教師修業10年』向山洋一/明治図書〉
56/2001・11・1
・・・叱るという行為は、教育しようとする者にしかできない。
技術がいる。責任感がいる。心理的にも負担がかかる。
しかし、それでも教師は叱る。
〈『集団統率・叱り方の原則』水野正司/明治図書〉
55/2001・10・29
・・・人間の意識が切断をもつことは、たいへんに有難いことだと思うようになった。
忘却や眠りが、心身のホメオスタシスとバランスに果たす役割の大きさを痛感するようになったからである。
ある事を四六時中思いつづけることは心身を極度に消耗させる。
・・・忘却や眠りは単に休息をもたらすだけではない。それは飛躍と超越と再生と創造の源泉なのだ。
〈『宗教と霊性』鎌田東二/角川選書〉
54/2001・10・29
あらゆる種類の障害は、当人がみずからを開発して真の自由を獲得するように勇気づけるための、
愛のムチということになります。それらは、石のように堅い心を切り開いて、
神からの高尚な贈り物を自分の存在から見つけ出すために、私たちに手渡された道具なのです。
〈ヘレン・ケラー〉
53/2001・10・29
地震は単なる災害ではなく世直しに向かう「地新」であったのだ。
〈『宗教と霊性』鎌田東二/角川選書〉
52/2001・10・25
「子どもが偏食で困っています」「ごはんばかり食べて、野菜を食べません」「牛乳がきらいで飲んでくれません」
このような声をお母さんたちからよく聞きます。書店をのぞいてみても、子どもの食生活について書かれた本は多く、
どの本もどのようにすれば好き嫌いなくなんでも食べられるようになるかが書かれています。
でも、子どもの食事はそんなに難しいことなのでしょうか? 答えはノーです。
私はいままで、多くの子どもたちの食生活を見てきましたが、偏食している子どもはほとんどいません。
ピーマンやセロリ、牛乳などを食べない子どもはたくさんいますが、それは偏食をしているのではなく、
その食べ物がまだ自分には必要ないことを本能的に知っているから食べないだけなのです。
〈『じょうぶな子どもをつくる基本食子どもレシピ』幕内秀夫/主婦の友社〉
51/2001・10・20
私は、いわゆる勉強は、スポーツの上達と同じ構造をもっていると考えている。
上手に基本を設定し、基本を千単位万単位で反復練習することの大切さを身をもって確信すること自体が、
学校教育の主たる目的だとさえ言ってもよいと考えている。
何かができない状態からできるようになるためのプロセスには、同じ構造があるのである。
膨大な数の反復を一人で行うことのできる人間は、むしろ少数であろう。
そのための緊張感を持続するのに、普通は他者の助けを必要とする。
先生や友達であり、教室という空間性である。
〈『身体感覚を取り戻す』斎藤孝/NHKBOOKS〉
50/2001・10・17
一期一会
「いま」 という間に 「いま」 はなし
「ま」 の字 きたれば 「い」 の字 すぎさる
49/2001・10・15
他人の意見は、ぼくの感覚≠フ上にはいかない。
〈イチロー〉
48/2001・10・15
親はあっても子は育つ
〈坂口安吾〉
47/2001・10・12
・・・人間の体中、或いは心も含めての人間全体の弾力性というものを失わないように生活すれば、
突然倒れるとかいうようなことはない訳ですが、もし硬張ったとしても風邪を引くと治ってしまう。
・・・体を使っている中に、或る一部分が偏り疲労の潜在状態になって、
そういう部分の弾力性が欠けてくると風邪を引き、風邪を引いた後、恢復してくる。
それで私は風邪は病気というよりも、風邪自体が治療行為ではなかろうかと考えている。
〈『風邪の効用』野口晴哉/全生社〉
46/2001・10・11
誰でも自分の弟子が上達するのは楽しいものである。
だからといってすんなり上達する弟子ばかりを可愛がり指導していると、
いつのまにか自己の指導能力が消えていくのを知らないまま弟子が育っていくのである。
その結果、弟子たちが壁にぶつかっても、その壁をぶち破る方法を教えてやることもできず、
「悩め、悩め、その悩みのなかから悟りが開けてくるのだ」といった程度のアジ演説をするのが関の山、
というていたらくの自分を発見することになるわけである。
〈『武道の理論』南郷継正/三一書房〉
45/2001・10・10
・・・強い相手と練習するのが、本当の練習だと思っているのではないか、
・・・が、本当の練習というのは、そういうものではない。
もちろん、強い人とやるのも結構だが、弱い人、たとえ白帯の人とやっても、
決して無駄にはならないのである。
・・・私がいいたいのは、必ずしも強い相手と練習しなくても、
当人さえその気になれば、いつどこでも練習はできるといういことである。
〈木村政彦〉
44/2001・10・6
・・・「がんばる」の一辺倒は、「ムカツク」を連発する子どもを笑えないほどの語彙の貧困を示すものだ。
「がんばる」という言葉の意味は、ムカツク同様あいまいなので、広い文脈で適当に使うことができる。
しかし、そのぶん、言葉自体のもつ固有の意味は、うすい。
・・・「がんばれ」としか言えない人が時にいる。「どうがんばるんですか」と聞くと、
「とにかく死ぬ気でがんばれ」と答える・・・
では、「がんばる」という言葉の貧しさは、どこにあるのだろうか。
それは、この言葉が、技術を含んでない点にある。
どうすればいいかという具体的な身体技術が、「がんばる」からはイメージできない。
〈『子どもたちはなぜキレるのか』斎藤孝/ちくま新書〉
43/2001・10・5
食物の生産に最も関係が深いのは風土である。人間は獣肉と魚肉とのいずれを欲するかに従って、
牧畜か漁業のいずれかを選んだというわけではない。風土的に牧畜か漁業かが決定せられているゆえに、
獣肉か魚肉かが欲せられるに到ったのである。同様に菜食か肉食かを決定したものもまた、
菜食主義者に見られるようなイデオロギーではなくして風土である。
〈『風土』和辻哲郎/岩波書店〉
42/2001・10・3
悲観主義は気分に属し、楽観主義は意志に属する。
〈『幸福論』アラン〉
41/2001・10・3
上達することのおもしろさは、「自分の技」を身につけることができることにある。
はじめは自分とは縁のなかった技術が、練習によって、徐々に自分に馴染んできて、
やがて自分自身と切り離すことができないものとなっていく。
このプロセスは自分という人間をを充実させてくれる。
最近は「ありのままの自分」を重んじる傾向にあるが、ありのままの自分よりも、
技を身につけた自分が重んじられてよいのではないだろうか。
〈『「できる人」はどこがちがうのか』斎藤孝/ちくま新書〉