ことば・言葉・詞・・・4  【1-20 21-40 41-60 61-80 81-100 101-

氣になることば、ホッとすることば、力が湧いてくることば、
      考えさせられることば、ハッとさせられることば。
             いろいろなことばを集めてみました。
                                                                                                                                     トップページに戻る


80/2002・1・23

 「できない子がいる」というのは、ある意味で最も人間らしいことだ。
 その個性、その困難を子どものせいにしてはいけない。
 それを深め、かつ、それを改良し克服する方法を発見するのが教師の仕事である。
 
 「完成された技術は存在しない。技術は常に改良され続ける」
 それは、子どもの持つ個性が無数にあるからである。
 無数にある個性のすべてに対応させられる技術などは存在するわけがない。
 うまくいかない時「技術」を修正するしかない。
 個性や困難に技術を合わせるのである。
                                   〈『体育授業を知的に』向山洋一/明治図書〉


79/2002・1・19

 子どもに力をつけよ。事実で証明せよ。
                                   〈『体育授業を知的に』向山洋一/明治図書〉


78/2002・1・17

 家庭に個の真仏あり、日用に種の真道あり。

  どの家庭の中にも、一個、真正の仏様というものがいるし、
  ふだんの日常生活の中にも、一種、真正の道士がいる。
                                      〈『菜根譚』今井宇三郎訳注/岩波文庫〉


77/2002・1・10

 「こ」・・・形は球で小さく、よくまとまっている。
      中心が明瞭。界面はなめらかで明瞭。
      求心的だが閉鎖的ではない。
      可愛らしく品がいい。
      少し硬いが不快ではなく、存在感はきわめて明瞭。
      時間的には短く歯切れがいい。
      粘度は低く、純度は最も高い・・・。
                       〈『原初生命体としての人間』野口三千三/三笠書房(三笠選書)〉     


76/2002・1・9

 年中夢求
                                                         〈橋本敏勝〉


75/2002・1・7

 音楽とは、癒したり主張したり忘れさせるのではなく、
 その音楽が存在することの大切さを
 どんな時にも思い出させてくれるものではないか・・・

                                                         〈坂本龍一〉


74/2002・1・7

 私は、海の中に自分を見いだす。海、それは私だ・・・、
 個人としての私ではなく、大きな全体の中に漂う、微小なかけらとしての私。
 大きな全体にとってはとるにたらないが、しかし不可欠な宇宙の歯車としての私である。
                              〈『イルカと、海に還える日』ジャック・マイヨール/講談社〉


73/2001・12・25

 人生、一寸先は光!


72/2001・12・20

 素粒子や素領域の研究が、宇宙の根源を探る手がかりになることを疑う者は少ない。
 が、一人の人間の中身を探ることが、宇宙を探る手がかりとなることを信ずる者が何人あるであろうか。
 私は、自分自身の生身のからだの動きを手がかりに、今ここで直接、体験するからだの中身の変化の実験によって、
 人間(=自分)とは何かを探検するいとなみを、体操とよんでいる。
 自分というまるごと全体の生きものが、そっくりそのまま実験研究室(アトリエ)であり、研究材料(素材)であり、
 研究者(制作者)でもある、というあり方なのである。

                           〈『原初生命体としての人間』野口三千三/三笠書房(三笠選書)〉


71/2001・12・15

 《無財の七施》お金が無くても出きること、人にしてあげられること
 1 眼施
(げんせ)
    やさしい目で人を見つめる⇒慈顔温容
 2 和顔悦色施
(わげんえつじきせ)
    笑顔で人に接する
 3 言辞施
    やさしい、温かい、ほめることばを使う。
 4 心施
    感謝のことばを惜しまない。
    何でもないことにも、ありがとうございます、と言える。
 5 身施
    自分の力、身体を使う。(ボランティア)
 6 牀座施
(しょうざせ)
    相手の居心地をよくしてあげる。(席を譲る)
 7 房舎施
(ぼうじゃせ)
    一宿一飯。おにぎりでも分け合う。


70/2001・12・8

 4 生きようとする強い意志は、信仰、愛、目的意識、決意、ユーモアなどの他の肯定的感情とともに、
  治療環境に影響を与える生化学的実体である。否定的感情がマイナスに作用するのと同じように、
  肯定的感情はプラスに作用する生理学的要素である。

                             〈『ヘッド・ファースト希望の生命学』ノーマン・カズンス/春秋社〉


69/2001・12・5

 静中の静は真静にあらず、動処に静にし得来たりて、わずかに是れ性天の真境なり。
 楽処の楽は真楽にあらず、苦中に楽しみ得来たりて、わずかに心体の真機を見る。


  静かなところでしか保てないような心の静けさは、ほんとうの静けさではない。
  目まぐるしいところでも心を静かに保つことができるようになってこそ、本性の真の境地である。
  安泰な環境中でしか感じられないような心の楽しみは、ほんとうの楽しみではない。
  苦しい環境の中でも心を楽しく保つようことができるようになってこそ、心の真の働きを見ることができる。
                                       〈『菜根譚』今井宇三郎訳注/岩波文庫〉


68/2001・12・3

 じょう肥辛甘は真味にあらず
 真味は只だ是れ淡なり
 神奇卓異は至人にあらず
 至人は只だ是れ常なり


  濃い酒や肥えた肉、辛いもの甘いものなどは、本物の味ではない。
  本物の味と言うのは、ただ淡白な味のものである。
  神妙不可思議で奇異な才能を発揮する人は、至人(道に達した人)ではない。
  至人というものは、ただ世間並みな尋常の人である。
                                       〈『菜根譚』今井宇三郎訳注/岩波文庫〉


67/2001・11・21

 Doubt is the prose of the mind.
 Faith is the poetry of the heart.
 Aspiration is the song of the soul.
 Realization is the dance of life.
                                                        〈Sri Chinmoy〉


66/2001・11・21

 かきねの かきねの まがりかど
 たきびだ たきびだ おちばたき
 「あたろうか」「あたろうよ 」
 きたかぜぴいぷう ふいている

 さざんか さざんか さいたみち
 たきびだ たきびだ おちばたき
 「あたろうか」「あたろうよ」
 しもやけ おててが もうかゆい

 こがらし こがらし さむいみち
 たきびだ たきびだ おちばたき
 「あたろうか」「あたろうよ」
 そうだん しながら あるいてく

                                            〈「たきび」巽聖歌作詞・渡辺茂作曲〉


65/2001・11・17

 3 賢明な医師は治療の環境に細心の注意を払う。治療をとりまく状況が結果を左右するからである。
                             〈『ヘッド・ファースト希望の生命学』ノーマン・カズンス/春秋社〉


64/2001・11・16

 2 病人はパニック的な状態におちいることが多い。患者を落ち着かせ、安心させる医師の手腕は、
  自己治癒力活性化のための大きな要因である。安心は最良の治療を助ける。

                            〈『ヘッド・ファースト希望の生命学』ノーマン・カズンス/春秋社〉


63/2001・11・14

 1 人間のからだは、人々が思いこんでるよりはるかに丈夫にできている。健康に関する一般の教育は、
  人々にからだの脆弱さを過大評価させ、強靭さを過小評価させる傾向にある。その結果、私たちは虚弱者と
  心気症患者ばかりの国民になろうとしている。フランツ・インゲルフィンガーの、「病気の85%が自己修復力の
  範囲内にある」という主張は、控えめな治療法を命じるような教育が(ことに薬物療法については)、あらためて
  アメリカ人にほどこされなければならないことの拠り所である。

                             〈『ヘッド・ファースト希望の生命学』ノーマン・カズンス/春秋社〉


62/2001・11・12

 薬はたいして愉快なものじゃない、だが愉快なことはたいした薬だ。
                                                       〈ジョシュ・ビリングス〉


61/2001・11・9

 ・・・「主体性」神話とは、教師との関わりや教材や学習環境と切り離して、
 子どもの関心や意欲や態度など、子ども自身の性向に「主体性」を求める神話であり、
 子どもの内面の「主体性」によって遂行された学びを理想化する神話である。

 この神話の異様さは、欧米における「主体subject」という概念が、
 「家臣・従属」を意味していることを考えれば明瞭だろう。欧米では、
 神、自然、国家、真理、民衆の意志など、自己を超越した存在の従属者になることによって、
 「主体性」が獲得されると考えられている。

 学びの「主体性」が「謙虚さ」に求められるのは、このような
 「主体=従属」という思想が根底にあるからである。

 ・・・わが国の「主体性」は、むしろ、あらゆる従属関係や制約から自由になって、
 自分の内面の意思にそって行動することを意味している。
 このような「主体性」は「わがまま」でしかないのではないか。さらにいえば、
 この「主体性」は、従属すべきものを喪失した「宙づりの主体」でしかありえないのではないだろうか。

                                      〈『授業を変える 学校が変わる』佐藤学/小学館〉


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