ことば・言葉・詞・・・7
【1-20 21-40 41-60 61-80 81-100 101-120 121-】
氣になることば、ホッとすることば、力が湧いてくることば、
考えさせられることば、ハッとさせられることば。
いろいろなことばを集めてみました。 トップページに戻る
140/2014・7・26
「愛は常に愛惜である。言葉の上でも「
どんなに愛してみても、惜しいという感情をぬぐい
むしろ、愛すれば愛するほど別離は、惜別となる。
「悲し」と「愛し」の関係をめぐって九鬼は、さらにこう記している。
愛が愛惜として、愛するものの背後に、その消滅を予見する限り、
愛は純粋な「嬉しい」感情ではなく、「悲しい」感情を薬味として交えた一種の全体感情である。
「愛し」という全体感情の中に「悲し」という部分感情が含まれているのである。
(「情緒の系図」『いきの構造』)
愛することは、別離の始まりである。愛は「嬉しい」という感情を抱かせなが
「愛し」は「おし」ともよむが、「かなし」ある
悲しみを感じたとき、人は、自分の中に愛と呼ぶべき何ものかがあるのを知る
そのとき人は悲しみと共に、内なる朽ちない美を経
「悲し」は「愛し」に包まれる。「愛し」の感情こそが「か
《若松英輔『涙のしずくに 洗われて 咲きいづるもの』/河出書房新社》
139/2014・7・24
悲しみを宿すのは、何かを愛したときである。
愛しいと思ったとき、人は悲しみを胚胎する。
なぜなら、もっとも耐えがたい悲しみとは、愛するものを喪うときだからである。
愛するとは、いつか悲しみの花を咲かすことである。
それは愛するものが傍らにあったときよりも美しく咲く。
悲しみの花は枯れない。
花を活かすのは、涙である。
泣き果てて、涙は涸れる。
それでも不可視な涙は止むことはない。
《若松英輔『涙のしずくに 洗われて 咲きいづるもの』/河出書房新社》
138/2014・7・10
◆『君の悲しみが美しいから 僕は手紙を書いた』
...
「僕は常々、本を書く人間は言葉を運ぶ人間だと思っています。僕の中に言葉があるのではなくて、
どこからかやってくる言葉を、どこかで必要としている人の所に運ぶ仕事です。
それを一番素直な形で表せるのが手紙という形式だと、今回分かりました」
十一通の手紙で編んだ一冊だ。
被災地で大切な人を喪(うしな)った若い世代をはじめ、悲しみを抱える人に向け、語りかける文章が並ぶ。
実際に出した手紙ではないが、特定の相手を想定した文章がほとんどという。
「詩人のリルケには多くの作品がありますが、最も長く残るのは、彼の書簡だと思う。
特定の人に向けて最大限の力を使って真摯(しんし)に書かれた言葉は、多くの他者にも届くのだと思います」
本の中で繰り返し語られているのが「悲しむこと」の大切さだ。
「『悲しみは悲惨で、癒やされなくてはならない』ということに、いつの間にかなってしまった。
でも、それは違う。本当に悲しみを背負って生きている人は、悲しみがあるから生きられるんです」
震災の前年、乳がんで妻を亡くした。震災後、自らの実感をもとに、
「死者とともに今を生きる」という「死者論」を唱え、大きな支持を受けてきた。
手紙を書くのは「不可視な他者」を認識する機会にもなるという。
「目の前にいない他者を大事にしなければいけないと、死者は我々に教えてくれている。
たとえそれが敵であってもです。敵であっても僕たちはその人たちに支えられている。
世の中はそうやって複雑に成り立っている。僕が死者論を語るのは、それを伝えたいからなんです」
鎌倉時代の僧が、自分が住んだ島に手紙を書いて弟子に届けさせた、という話を本の中で紹介した。
「被災地の方も同じことをすればいいと思います。喪われた場所や喪われた人に向けて、手紙を書けばいい。
自分の中で今も生きていると信じている人は、手紙の受け取り手になりうる。それは一番お伝えしたいことです」
これは被災者に限った話ではない。
「仮に小さいころにお母さんを亡くした方がいれば、お母さんに手紙を書けばいい。
手紙を書くことは、自分の意識の奥深くを呼び覚ましてくれる。
自分を本当に驚かせる、魂を震わせる言葉は、そこから出てくるのだと思います」
必要な人に言葉を運ぶ
批評家 若松 英輔さん(45)
東京新聞 2014年3月16日
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309022727/
137/2014・7・10
135/2011・2・14
死を目前にしている人びとのもとへ行き、私は黙って手を当てます。
不思議なことに、その人たちは皆、手を当てるととても喜び、
見知らぬ他人の私に心を許してくれるのです。
奇蹟的に病が治る人もいれば、亡くなる人もいます。
重い病を患った人に手を当て、静かに呼吸を合わせていると、
その人と私、そして宇宙との深い一体感に満たされます。
そのとき、見えない宇宙の力が、私の手を通して病人に伝わっていくように感じます。
そしてその人の持つ自然治癒力が呼び覚まされる。
あるいは、苦しんでいる肉体の奥の、やすらかな魂が呼び覚まされるように感じるのです。
虫眼鏡の小さなレンズに太陽の光が集まって火がつくように、
大いなる宇宙の力が、流れていく。
宇宙ににある癒しの力が私の中に凝縮され、大きなパワーとなって、
相手のからだに伝わっていくような感じがするのです。
それは注ぎ水の役を果たしているようです。
病人の体内にある治癒の力がよびさまされ、湧き上がってくるのです。
《鈴木秀子『神は人を何処に導くのか』/クレスト社》
134/2007・1・21
今はこんなに悲しくて
涙もかれ果てて
もう二度と笑顔には
なれそうもないけど
そんな時代もあったねと
いつか話せる日が来るわ
あんな時代もあったねと
きっと笑って話せるわ
だから今日はくよくよしないで
今日の風に吹かれましょう
まわるまわるよ 時代はまわる
喜び悲しみ繰り返し
今日は別れた恋人たちも
生まれ変わって めぐりあうよ
旅を続ける人々は
いつか故郷に出会う日を
たとえ今夜は倒れても
きっと信じてドアを出る
たとえ今日は果てしもなく
冷たい雨が降っていても
めぐるめぐるよ 時代はめぐる
別れと出会いを繰り返し
今日は倒れた旅人たちも
生まれ変わって歩き出すよ
まわるまわるよ 時代はまわる
別れと出会いを繰り返し
今日は倒れた旅人たちも
生まれ変わって歩き出すよ
今日は倒れた旅人たちも
生まれ変わって歩き出すよ
《〝時代〟中島みゆき 作詞・作曲》
133/2005・2・10
夢を見よう。
大きな夢を。
あなたの心のどこかに、途方もない夢が眠っている。
わたしにはそれがわかっている。
だから、その夢の種を探そう。
見つからないなら、もう一度、五感を研ぎ澄まして探してみるのだ。
それが目に見えたなら、匂いをかいでみよう。
それを感じたならば、耳を澄ましてみよう。
そしてスコップを握り、水の入ったバケツを手にして、しばらく思いを巡らそう。
それから途方もない夢の種を取り出して、あなたにとってこのうえなく都合のいい場所に、それを植えよう。
なぜなら、これから先あなたの人生は、常にその種を見守りながら暮らす人生になるからだ。
種を蒔いたとたんに、目を出すだろうかなどという心配をするのはやめよう。
あなたが種を蒔いた瞬間から、その種は間違いなく成長するのだから。
大切なのは、それからのあなたの行動である。
《キャシー・ブロムキスト/ゲズンハイト・インスティテュ-ト》
132/2004・6・29
一杯呑み込んで、呑み込んで、
つらい感情とか「悲しいよ」とか「いやだったよ」とかそういうマイナスの感情を、
人に伝えようと思ったら「やめとこ、やめとこ」といって呑み込んでいるうちに、
なべの中は、マイナスの感情で一杯になってきている。
そうすると、もうこんなに一杯マイナスの感情が固まっているから、
それと向かい合うのもいやなんです。
「どうやって向かい合ったらいいんだ。このマイナスの感情の塊に」って
どきどきしている子どもたちが一杯いる。
マイナスの感情が一杯たまってて、
そこに誰かがあるきっかけで、触りそうになる。
そうすると「あ!やめて!」となる。
頭が真っ白になってパニックになる。
つらいとき、しんどいときに、マイナスの感情を溜め込んで、
それを言葉にしたり、自分でそれに氣づいていくのを手伝ってくれる共存的な他者、
つまり、隣にそっと居てくれる「隣のトトロ」のように、
隣にそっと居てくれて、そのことをじっと聞いてくれるという、
そういう人にめぐり合わない子どもたちは、
溜め込んで、溜め込んで、明るく元気な表向きの自分と、
マイナスの感情を溜め込んでいる裏向きの自分を、
自分自身の中で使い分けている。
使い分けているうちはまだいいんですけれど、
そのうちに、段々自分が自分で統合できなくなる。
ばらばらになっていくというのを心理学では「かえり」と言うんですが、
こういう状況に追い詰められている子どもたちが、
今、地域の中でたくさん生まれているような気がするんです。
《庄井良信(北海道教育大学院助教授)/講演より》
131/2004・5・11
もしも晴れたら 君と手をつなごう
風が吹いたら そっと肩を寄せて
もしも雨が降ったら 君と傘をさそう
降り注いでくる 小さな花たちを見つけて
名前のない空を見上げて
君と何処までも 歩いていきたい
もしも明日に迷った時は
君の名を呼びたい
Yes, I always call your name, your beautiful name.
《「名前のない空を見上げて」作詞 MISIA 作曲 玉置浩二 編曲 重実徹》
129/2004・5・7
ただ「在る」という温かさ
《『新しく生きる』高橋和巳/三五館》
128/2004・5・7
怖いのなら、「怖がっている」自分を認める。
人を好きになったら「好きだ」という自分の感情を、
人を憎んでいるなら「憎い」という気持ちを、
そのまま認めてあげる。
《『新しく生きる』高橋和巳/三五館》
127/2003・12・20
二点間の最短距離は直線である
126/2003・11・26
あなたの知らないところに いろいろな人生がある
あなたの人生が かけがえのないように
あなたの知らない人生も またかけがえがない
人を愛するということは
知らない人生を 知るということだ
《『ひとりぼっちの動物園』灰谷健次郎》
125/2003・8・6
当たり前のことに気がつくって、それだけですごいことなんだよ。
考えるためには、何よりもまず当たり前なことに気がつくことだ。
あれこれの知識を覚えるのも大事だけれど、
一番大事なことは当たり前なことに気がつくことなんだ。
〈『14歳からの哲学』池田晶子/トランスビュー〉
124/2003・6・17
子を育てるものは、およそ孤独を覚悟しなければならぬ。
〈『新エミール』毛利子来/ちくま文庫〉
123/2003・6・7
あらゆる子供は信頼に値する。
あらゆる子供は信頼に値すると知っているのは、
他でもない、自分が信頼に値することを知っているからである。
他人を信頼することと自分を信頼することとは、同一の事柄である。
自分は真実を知っているというあの内的な感覚こそが、それである。
その感覚は、誰にでもある。
〈『あたりまえなことばかり』池田晶子/トランスビュー〉
122/2003・5・1
・・・人に教えることなど遠い先のことだと思う人もあるかもしれない。
その考えは誤りである。
わずかな台所の知恵ほどのものでも、
相手の生活がいくらかでも豊かになることを願いながら知恵を伝えようとするとき、
あなたは瞬間、師である。
伝えあう人間関係として、同僚関係があまり役立たないのは、お互いが馴れあいとなり、
師弟関係にあるような相手の人生への責任が薄くなりがちだからである。
互いに瞬間の師弟関係を体験しあうような同僚関係ならば・・・自然にそこには、
相手の人生への責任感が密かに流れている人間関係が醸成される。
〈『精神療法面接のコツ』神田橋條治/岩崎学術出版社〉
121/2003・4・1
・・・厄年は、本当は「躍年」。
〈『変な人の書いたツイている話PartⅡ』斎藤一人/総合法令〉